序
白く曇った窓を力強く上に押し上げ、少年は乗り出すように外の景色へと顔を向けた。
舗装されたとは言え、石畳の道の上を行く馬車はがくがくと揺れ、共に乗った従者の一人が窓枠に顔をぶつけでもしないかと小さく声をあげる。
しかし、そんな事など丸で気にも止めず、少年は窓の外に広がる平原の、濁りひとつない純白さにほうっとい気を吐き出した。
吐いた息さえもが一瞬で白く染まり、空気の中へと溶ける。
ここは白しか存在することが許されていないのではないかと、そう思わせるには十分な光景であった。
「もうじき警備帯に着きます。どうか、窓をお閉めください」
従者のいささか険しい声の響きに、少年はちらりとだけ視線を声の主に向け、そして何も言わず窓を閉めた。
白い窓が外の景色を遮断してしまったものの、つんと残った空気の冷たさがわずかながらも外と内とを繋いでいるようで、着慣れない厚手の外套から出した手を膝の上で広げ、少年は指先の冷たさを柔かく握り締めた。
まだ幼いその手の左中指には、琥珀色の小さな石が埋め込まれた白金色の指輪がはめられている。初めてこの指輪を授かったときは、絵本で見る雪のようだと思っていた。しかし、現実に目にした雪は、この指輪よりももっと白く、そして圧倒されるほどに大地の全てを覆い尽くしている。
そして、これから行く国はそんな雪に一年の大半を覆われているという。
「どんな国なのでしょうね」
書物では、その国の歴史は大量に得ている。そして、幼い頃に母親が話し聞かせてくれた国としても知っていた。
だが、まだ自分の目でその国を見たことはただの一度もない。
少年が持つ知識としての国は、国土の大部分が氷に覆われているため土地は痩せ、育つ作物はほんの少量しかなく、国民は飢えと寒さに身を縮こませているそうだ。その代わりとでも言うように、国土の奥地では鉱物の採掘が盛んに行われている。それに伴い、細工業が盛んでもあり、輸出される装飾品は様々な国で非常に高値で取り引きされている。
そして少年がはめている指輪もまた、これから向かう国の品であった。
琥珀の石を撫で、がたんと音をたて止まった馬車の窓へと少年は顔を上げた。
「着いたようですね」
従者が外に漏れぬよう小さくも苦々しい口調でつぶやく。
無理もない。
頭までも覆う外套の下、空色の双眸で従者を見やり、少年は気取られぬよう小さく息を吐き出した。
これから向かう国の名はムルカ。
大陸の最も北に位置する国である。
そして少年が生まれた国であり、大陸のほぼ中央に位置するラジークとは、古くから交友関係にある国でもあった。
もっとも、国同士の交友と呼ばれるものが、裏で様々な手引きがあるゆえのものであることを、まだ若い少年は知っていた。
重い外套の下から肩先まで伸びた薄い茶色の髪をさらし、少年は雪にも負けぬ白肌色の耳で厚壁越しに聞こえてくる外の従者と警備兵たちの会話に耳を澄ました。
大陸の中央にある国は、ただそれだけで東西南北に位置する国々の通り道となる。国の中央には大陸を横断する道が整備され、荷が通る道筋には自然と街が作られる。そうして通行税共々、国に多大な利益を生んでくれるのだ。
一方、極北に位置するムルカは、いくら鉱物や細工物で利益を得ているとはいえ、その利益のほとんどが食料や、寒さを超える為の薪木などに当てられる。
けして貧しい国ではないが、裕福と呼ぶにはあまりにも侘しすぎる環境にさらされていた。
それゆえに、少年はこの国へと招かれたのだ。
「どうぞ、お通りください」
警備兵らしき男の言葉に、一拍の間をおいてまた馬車が動き出す。
国土のほとんどを雪に覆われた国。
それこそが、少年――ラジーク法国第三王子エルリオット・メル・シャンティスの亡母セッカの生まれた国であった。