さくらはね、ヒロくんをまもるのがおしごとなんだ!
さくらと一緒にリハビリをするようになって、1ヶ月がたった。
毎週日曜は病院でリハビリの先生とトレーニング、それ以外は自宅で簡単なリハビリを行う。いつも通りの練習メニューに、さくらとのリハビリが加わった。
これがすごく楽しい。
さくらと一緒に体を動かすのも楽しいけど、他のリハビリを受けている人たちが、さくらをさわりに来るようになった。
最初は大きな犬を見てみんな恐がっていたけど、さくらが何もしないって分かると、ひとりふたり、さわりに来て、気付けばたくさんの人がさくらをさわりに来ていた。
すぐに病院でさくらは人気者になった。そのおかげで、僕は多くの人とお話ができるようになった。
前まではリハビリで頭がいっぱいだった。お話しする時間があるなら、リハビリをしないとって思っていた。
というのは言い訳で、まあ、人見知りでもあったからね。自分からお話をしに行くのは苦手だったんだ。
でも、さくらがいるおかげで、みんながお話をしに来てくれるようになった。
みんなとお話しするようになって、みんなのことが知れた。みんな色々と大変なんだなって分かった。そして、僕だけじゃないんだって、分かった。
今日は5月の第二日曜日、今日も病院でリハビリだ!
「さくら、おいで、リードつけるよ!」
いつものように、さくらを呼ぶ。さくらがチャッチャッチャと足音を立てて寄って来る。ぼくはさくらのハーネスにリードをつけた。
「準備できた?ヒロ、行くよ」
お母さんが外用の車イスを持って、玄関で待っていた。
ぼくはさくらのリードを口で加えて、お母さんのもとまで、車いすをこぐ。
さくらは僕のスピードに合わせて、横について歩いていた。
「さあ、乗りかえるよ、さくらちゃん、お願い」
お母さんが言うと、さくらは四本足で立ったままじっとしていた。
僕は室内用の車イスの両側面についたバーを引っ張り、ブレーキを止める。
そしてさくらの体にしがみついて、しっかりと上体をさくらの背中に預ける。
「それじゃあ、車イスを引くわよ」
お母さんがそう言って、室内用の車イスから、外用の車イスを差し替える。
「はい、オッケー、座っていいよ」
お母さんの合図で、僕はさくらから手を離し、外用の車イスに座った。
「ありがとう、さくら」
僕はさくらに言った。
さくらは名前を呼ばれて僕のほうを見た。そして口を開き、舌を見せた。
車イスの乗りかえは、いつも誰かにだっこをされてやっていた。でも今はさくらにおんぶをされてやっている。正確に言えば、車イスの差し替えがあるから、僕とさくらとお母さんの三人なんだけど、もう少しリハビリがすすみ、松葉杖が使えるようになれば、僕とさくらだけでできるようになるらしい。
それで、今日は病院で松葉杖の練習をする日なんだ。
車イスから車の座席に乗るのは、さすがにお母さんにだっこされて乗る。
座るのは後部座席だ。その後すぐにさくらが横に乗ってくる。
「あはは、もうせまいよ、さくら~」
さくらは大きな体で席をあっぱくする。
僕は、もうっ、て怒ったような声をだしてさくらの背中をペチペチと叩いた。
さくらは叩かれているのを気にせず、前の窓から景色を見ていた。
「さくら」
僕が呼ぶ。さくらはこっちを振り向いた。
病院の外を僕とお母さん、そしてさくらが歩いていた。
前までは病院の中からリハビリ教室へと行っていたけど、リハビリの先生から病院は色んな病気を持っている人がいるので、雨の日以外はなるべく外を通って、別の入り口から入るように言われた。
それは仕方のないことだと思うし、それでも良かった。さくらと一緒に外の景色を見て回れるのは楽しいからだ。
それに病院の中を通ると、みんな不思議そうな顔で見てくるけど、外の道を通ると、僕やさくらのことを知っている人に会うことが多いし、みんなが僕とさくらにあいさつをしてくれるんだ。
そのあいさつが、僕には温かく感じた。だから良かった。
外の通路を通り、別口から病院の中に入って、リハビリ教室に行く。
「おはようございます」
僕は大きな声であいさつをした。
「おはよう」「ヒロ君おはよう」「おお、今日もさくらと一緒だな、おはよう」
するといっぱいのおはようが返ってきた。リハビリの先生や、リハビリを受けている人、その家族のひとから、あいさつが返ってきた。
この声を聞くと、僕はがんばろうって気持ちになれた。
僕は前まで、あまりあいさつをすることがなかった。あいさつするにしても、先生くらいなもので、後は誰とも話さずにモクモクとリハビリに向かっていた。
でも、今は違う。みんなとお話しするようになって、大きな声であいさつするようになった。みんなと、みんなでがんばりたいと思ったからだ。
だから僕は大きな声であいさつをするようになった。
みんながんばろうって、気持ちよくリハビリができるように。
「今日も元気だね、ヒロ君、さくらちゃん」
リハビリメニューを挟んだファイルを持ったヤスちゃんが、にこやかに僕の方へと歩いてきた。
「おはようございます、ヤスヒコ先生。ヒロってば、今日は松葉杖を使う練習が始まるからって、張り切っているんですよ」
お母さんが嬉しそうに言った。
「もう、いちいち言わなくていいよ」
僕は恥ずかしくなって、お母さんのお尻を叩いた。
「はいはい、ごめんなさいね」
「あっはっは、元気があるのはいいことだ、ヒロ君。その元気が、足を良くするエネルギーになるからね。さて、もう少ししたら準備運動が始まるよ」
ヤスちゃんに言われ、僕は教室の真ん中に移動した。
そこで足の装具を床に置いてから、さくらの背に体を預けて、前みたいに「ダウン」と言って、さくらに床へ下してもらった。
「ずいぶんと手慣れたもんだね」
僕のとなりに座る西本さんが言った。西本さんは僕と同じでリハビリを受けに来ていた。西本さんは車の交通事故で足が悪くなった人だった。新しく働き始めてすぐに事故にあったから、早く足を治したいって言っていた。二週間前に西本さんが話してくれたことだ。
「上手でしょ?僕もがんばってるからね。今日から松葉杖を使う練習をするんだ」
僕はさっき床に置いた装具を足につけながら言う。
「へぇ、やっとだね。気を付けてね、あれ脇をけっこうこするし、腋毛も抜けて痛くなるんだよ。ツルツルになっちゃう」
「えぇ~なにそれ~?」
僕は笑いながら言った。
「本当だよ、でもま、すぐに慣れるけどね」
西本さんも笑って言った。
「さぁ、時間ですよ。みんなで準備運動始めるから、先生を中心に輪を作って、なるべくとなりから手足が当たらない距離を作ってくださいねー」
リハビリの先生が言って。リハビリを受けに来た人はそれぞれ床に座ったり、車いすに乗ったりした状態で、先生の指導に合わせて準備運動を行った。
準備運動の後、いつものリハビリメニューを終えて、ついに松葉杖を使ったリハビリを行う時がきた。
これを使えるようになったということは、僕の足が少しは良くなっているということだ。それはとても嬉しかった。
「さぁ、説明通りにやってみて」
ヤスちゃんが言って、僕はさくらに支えられながら立った状態を維持する。そして、両手でつかんでいるさくらのハーネスの取っ手から、左手を離し、先生から松葉杖を左脇に差し込んでもらう。
これで僕は、左手に松葉杖、右手にさくらで立っている状態になった。
『おおー!』
リハビリ教室にいたみんなが、すごいすごいと、拍手をしてくれた。
僕は恥ずかしかった。でも嬉しかった。みんなからの拍手も嬉しいけど、ここまでしっかりと立てたことは今までになかったからだ。
いつも誰かにワキを抱えられただっこか、お尻を支えられて立っていたからだ。
それが今では、ほとんど一人で立っている。あっ、正確に言えばさくらと二人なんだけどね。
そのまま立った状態で、5分は立ち続けた。少し足が震えてきたら、ヤスちゃんが休憩しようと言って車イスに座らせてくれた。
「いやあ、驚いた。あるていどはさくらと一緒に立てるようになってたから、少しはいけるかと思っていたけど、一発で五分も立てるなんてね。こんなにできるようになったのはさくらのおかげかな?」
ヤスちゃんが目をパチパチさせて僕とさくらを見て言った。
「ええ、私もヒロがこんなに良くなるところは初めて見ました。こんなに急に良くなるものなんですか?」
お母さんが口元を手でおさえて言った。お母さんの目には涙が浮かんでいた。
「いえ、そんなすぐには・・・ですが、気持ちの変化が回復を促進するというのはよく聞きます。まさかここまでとは思いませんでしたし、ぼくも驚きです。きっと、モチベーションの差と成長期が上手く重なった影響でしょう」
「それじゃあ、今もっとリハビリすれば、ヒロは歩けるように?」
「ええ、しかし焦ってはいけません。せっかく築いたものが、無理をして崩れてしまえば元も子もありません。ここは慎重に、ゆっくりとペースを上げていきましょう。きっと、ヒロ君ならやれますよ」
「本当に・・・ッ」
お母さんが床に倒れるかのように座り、顔をうつむいて、涙をポタポタと落とした。
どうしたの?って、僕は車イスで近付いたけど、車イスからだと下を向くお母さんの表情は分からなかった。
代わりにさくらがお母さんの顔をのぞきこんで、ぺろぺろと、お母さんのほっぺをなめていた。
※最後のさくらが舌でお母さんを舐めていますが、介助犬や盲導犬、動物介在療法等の犬って意外と舐めてくる犬はいるんですよね(笑)
実体験です(笑)
もちろん、そこは厳しく躾けられてますから、激しく自分から舐めに行くような事は滅多にないです。
・・・たぶん(笑)




