おどろう!きみはさくらのぱーとなー ほんばん!
『ジュニアIの選手のみなさま、これより試合が開始されますので、入場ゲートまでお越し下さい』
アナウンスの声で、僕と同じ年齢の子供たちがアリーナ前のドアへと並ぶ。
男女ペアの二列、僕ふくめた6組だ。
『一番!』
アリーナからのアナウンス。その声と同時に僕の二つ前のペアがアリーナへと入場していく。背中のゼッケンには一番と表記されていた。
「一番、がんばれっ!」「いいぞっ、一番!」「しっかりと踊れよ~!」
観客席からの歓声、応援の声、様々な声に包まれながら一番ペアはその声に応えて手を振り、ライトの照らす舞台へと歩いていった。
『二番!』
僕の一つ前のペアがアリーナへと入場、前のペアも同じように背中に二番のゼッケンをつけ、歓声を受けて歩んでいく。
『三番!』
そして僕たちだ。僕とエリの背中のゼッケンは三番。
僕は右隣にいるエリにうなずき手をさしだす。
僕の右手、手のひらを上にして、その手をエリは左手でそえるように置く。
そして、僕は左手で車イスをこいで前へと進み、ゲートをくぐり、ライトの中へ。
そこで、僕らを待っていたのは、歓声ではなく、
「え、車イス?」「どうしたんだろう?」「さっきの車イスダンスの子たちだろ?」
「出番を間違えた?」「でも、ゼッケン3だし・・・」「誰か止めに入るだろ?」
会場に疑問の声、不思議に思う声、間違いだと言う声。
あきらかに会場がどよめくのを、奇妙な視線を、目と耳と肌で感じた。
すごく、嫌な汗が出る。とても、入ってきた所へと引き返したい気分だ。
「さんばぁーんッ!」
しかしそのどよめきを打ち破るかのような大きな声がアリーナ中に響き渡る。
「いったれや、さんばーん!ヒロ―!」
この独特な関西弁は当然、じっちゃんだ。体育館の外、さくらのひもを持って立っていた。さくらも、こちらをじっと見つめている。
それだけじゃない、
「がんばれー、ヒロ―、ムリせずがんばれー」
とても大きな、だけど優しい声はお母さん。
「さんばん、がんばって!ヒロ、ダンスを楽しんで、それにエリ、任せたわ!」
アヤさんが大きく手を振る。
「エリ、ヒロ少年、決して恐れるな!自分の感覚を信じろっ!」
この独特な言い回しはトッシーだ。
「さんばんッ!輝いてるよ!いま、すごく凛々しく見えるよ!」
なんか妙にテンションが高いのはヤスちゃんだ。
みんなの声援を背中に受けると、どうしてだろう?さっきまでの嫌な汗が引き、心に元気が出てきた気分だ。
僕とエリはアリーナに白線で広く区切られた枠の中に入る。その中で僕ら6ペアは踊る事となる。
ある程度周りと距離を保てる場に、僕とエリは位置し、そして車イスの両側面についたブレーキを引く。
僕とエリはお互いに視線を交わす。
エリは何も口に出さず、つないでいた僕の右手をさらに強くにぎりしめる。
そしてエリの右腕が僕の左腕を下から支え、手はワキの下に位置する。
腕の形がしっかりと決まり、僕は足に強く力をこめる。それと同時にエリが僕の腕をしっかりと引く。
息が合い、僕は足をもたつかせることなく立ち上がることができた。
大人のように背の高いエリに支えられ、男女逆のホールドがしっかりと決まる。
着用している黒の燕尾服とズボンの下、ヒジとヒザに転倒の衝撃を和らげる薄いサポーターをしているけど、曲げ伸ばしは良好だ。
頭部にヘットギア(ヘルメットみたいなの)を付けるようにヤスちゃんに言われたけど、僕はなんとなくイヤで、それは断った。
僕なりの見栄をはったんだと思う。わがままかな?
車イスは係りの人が枠外に下げてくれ、全員の入場が完了する。
6ペア全員、男女手をつなぎ立った状態で、その時を待つ。
流れてきた曲は『春の声』だ。
ワルツの代表曲で、とても柔らかな曲調、でもどこか大きな心を強く打つような力強さがある音楽。
アリーナに音楽が包まれると同時に、皆いっせいにクルクルと動き出す。
それは僕らも同じで、エリに手を引かれ、僕は左足を前へと出す。
他のダンサーとは遅れたテンポとステップ、でも確実に足を出す。
一歩、二歩、そして三歩目で両足をそろえる。
足は動く。痛みはあるけど、大丈夫。
そして今度は右足を後ろに一歩下げ、二歩目の左足も下げ、そしてそろえる。
基本ステップは順調だ。
エリの温かい手を強くにぎって、次に備える。
次はターンだ。片足を軸にクルッと回るステップ。
まず左足を横に出す、同時に僕の左腕とワキを支えるエリの手に力がこもる。
そして左足を軸に右足を大きく円を描くように下げる、同時にエリの右手が僕の体重を支えようと、左ワキの下から肩の所までのびる。
右足が上手く地面に着地、足に地を感じる、同時にエリが僕を強く引き寄せて次の一歩に備える。
そして右足を軸に左足を前に円を描くように出し、着地、次は左足を軸に右足をそろえた。
できた。ターン、これがナチュラルターンだ。周りのペアと比べ倍以上遅いステップだけど、無事に成功した。
同時に近くで拍手が起きた。観客の誰かが僕たちに拍手をしてくれた。
この調子でステップは続く。緊張のせいか、息が辛いけど、足への負担は思うほどなかった。それどころか、いつもより体が軽く感じた。
体が、思うように動くのがすごく楽しい。エリとのダンスがとても心踊る。
これなら、みんなと同じように踊れる。自信がある。
「ねえ、テンポ上げてみたい」
僕はエリに提案する。
もちろん、エリはニヤリと笑い、
「そうくると思っていたわッ!」
応えると同時にステップのテンポを上げる。
前々から余裕があればステップを速めようと二人でこっそり決めていたんだ。
そこでステップを倍の速さにする。周りからすれば半分のペースだけど、それでも僕にとってはギリギリの速度だ。
「いいぞ、ヒロ少年!そのまま踊りきれっ!」
「もう、やっぱりあの子たちったら・・・」
「すごい、すごいよヒロ君!エリちゃんも輝いているよ!」
応援か、あきれた声か、色々と聞こえたけれど、僕らが倍速で踊るとあちこちで拍手がおきた。
ステップも順調、音楽も半分を乗り切った。「行ける」僕は確信した。
僕はエリにうなずきかけ、エリも小さくうなずく。
ここでダンス技の一つ『ハイホバー』をくり出す。
ハイホバーはステップを一時停止して足をそろえ、男女つま先立ちで背伸びをし、姿勢とバランスの美しさを見てもらう技だ。
エリはキレイに見せるため、背筋をやや後ろに反って体のラインを浮かび上がらせる。それでも僕をしっかりと支えてくれる。
ただこの姿勢でじっとしているだけだけど、これがまたバランスを取るのにとても難しい。
特につま先立ちなんて、足に装具をつけた僕には足の負担がきつい。
けど、エリがちゃんと支えていてくれるおかげでしっかり停止することができた。
ハイホバーが成功し、いっそう拍手が起きた。
「いいよっ!三番!キレイだよー」「がんばれー、あとちょっとだー」
4小節間の停止が成功。そろそろ足もきつい、エリもどこか息苦しそうな表情を見せていた。
技も決まった。もとのステップに戻してあとは最後まで踊り切ろう。
僕とエリはハイホバーを止めて、曲のリズムに再び乗ろうとした。
その時だった。
エリの目が見開き、
「あっ、ごめっ!」
声と同時に、僕の左腕とワキ下を支えるエリの右腕から力が、フッと失われ、僕は左ななめ後ろにバランスを崩す。
僕の右手とエリの左手はまだつながれていたけれど、それでも僕の体重を支えるには至らず、手は離れ、僕の視線はエリから大きく上へと向かっていった。
ダンッ!
華やかな曲に一つの大きな雑音が混ざり込む。
僕は自分一人で体を支えることもできないまま、みっともなく背中から地面へと落ちていく。
そして、後頭部に痛みと同時に、鐘が鳴ったような音がした。
一瞬、何も考えられなかった。
天井からのライトがまぶしい。
天と地が逆で、みんなが宙ぶらりんになっているみたいだった。
観客席から心配するような声が会場に響く。
客席を見れば、誰もが僕を心配していた。すごく、どよめいていた。
曲が聞こえないくらいだ。
普通の人がこけたくらいじゃ、ここまで心配する顔にはならないだろう。
イヤだな・・・またみんなに、心配させちゃった。
頭があまりに痛い。お尻もだ。これなら格好悪くても頭にヘッドギア、お尻に、パンツの中に座布団でも入れておけば良かったな、なんて後悔する。
僕は痛みをグッとこらえ、肩で呼吸をしながら、頭を起こす。
すると、目の前でエリもヒザをついていた。
そして、エリは、泣いていた。下を向いて、うつむいて、
「ごめ、なさ・・・ウチっ、ウチっ」
エリは小さな声で、小さくなって、泣いていた。
すごく肩で呼吸をしていた。僕なんかよりもとても、苦しそうだった。
「手がっ・・・力、でなくて・・・あしは、あしが・・・」
「エリ、僕は、僕は大丈夫だから」
体や足に痛みがないと言えばウソになる。だけど、僕はなんとか泣き続けるエリをどうにかしたくて、それでも、
「ごめんっ、なさい・・・ごめ、なさい・・・」
エリは泣き続ける。息がまともにできないのに、顔を真っ赤にしてクシャクシャにして、それでも謝って・・・
エリは悪くないのに、僕が、僕自身を支えられなかったのが悪いのに・・・
僕の目にも涙が浮かんできた。
僕だけじゃ、なにもできない。
立つことも、踊ることも、エリ一人泣き止ますこともできない。
僕はどうしたらいいか、周りを見る。
観客がすごくあわてているのが確認できる。
お母さんは口元に手を当てて地面にへたりこんでいた。
アヤさんとトッシーがお母さんの肩に手を置いてなにやら声をかけている。
ヤスちゃんは観客をかきわけてこちらに向かおうとしていた。
じっちゃんは、大きな扉の外、アリーナの外にいた。
そこで、ただただ、僕を見ていた。
じっと、にらむとは違う。とてもまっすぐに。
『こけるんは恥ずかしない。それでメソメソするんが恥ずかしいわ』
じっちゃんの言葉を思い出す。
そして、じっちゃんのとなりにいるさくらを見る。
同じく外から会場を覗くさくらも心配そうにじっとこちらを見ている。
さくらは口を閉じて、僕をじっと、まっすぐ、ただ、一直線に僕へ視線を送る。
僕は涙をふいた。そして、さくらに向かって笑顔を送る。
すると、すぐにさくらは舌をだしてマヌケな顔をした。
外で陽の光をあびたさくらの白い毛はふわふわで、風にゆれている。
大きなどんぐりの目はとても可愛い。
ああ、なんて優しい表情なんだろう。
そして、なにより心強い、もう一人の僕の『パートナー』
「さくらっ!おいでっ!」
僕が大きく声をあげる。
すると、さくらはじっちゃんの手を離れ、リード(犬用のヒモ)を引きずり、観客の間をすり抜けながら僕の所へやってくる。
「ヒール」
僕が言い、そしてさくらは僕の横でフセをする。
するとエリが泣いていた目をこすって、ようやく顔を上げる。
「さっ・・・さくら?」
エリが聞き、僕はうなずく。
「うん、そう、エリと一緒で、僕を支えてくれる優しい巨人のさくらだよ」
そして、僕はさくらの胴体を包むハーネスに手を伸ばし、自分の体をさくらへと引き寄せる。それでさくらの背中に覆いかぶさるように体を乗せて、僕を預ける。
「さくら、アップ」
指示と同時に、僕はさくらと共に立ち上がる。
足がしっかりとのび、まっすぐ立つ。そうすれば後はさくらに片手を置くだけでバランスを取ることができる。
「おっとっと」
少しふらつきはするけど、姿勢をしっかりと正し、小さくなったエリを僕は見下ろす。そして、僕は口を開く。
「ごめんね、エリ。僕が無茶言ったり、足の調子が悪かったりしたから、余計にいつもよりガンバってくれたんだよね。とても体が軽く感じたよありがとう」
エリはきょとんと、僕を見ている。僕は言葉を続ける。
「泣き止んで、エリ。僕は君ともっと踊りたいんだ。足はだいじょうぶだよ」
そう言って、僕はエリに右手をのばす。
「僕と踊ってくれませんか?」
するとエリは涙を腕でふいて、僕の手を掴んで、スッと立ち上がる。
立ち上がったエリは、とても背が高く、シャンとしていて、キレイだった。
左手にはさくら、右手にエリ、両手に花っていうのか知らないけれど、なんだかとても心強い。
「二人とも、だいじょうぶ?」
気付けばそばにいたヤスちゃんが僕らに声をかける。
僕は大きくうなずく。
「うん、だいじょうぶ、そこまで痛くない」
「ははっ、なら大丈夫そうだ。まっ、怪我をしないで強くなる方法はないからね」
いつしかヤスちゃんから聞いた言葉だ。
「それじゃあ、ガンバって、二人とも!」
ヤスちゃんは言い、手を振ってさくらと共にアリーナのダンス枠から出ていく。
僕とエリはしっかりとホールドをし直し、そして視線を交わす。
「もう一度ゆっくりと、僕たちのできるテンポで踊ろう」
「ええ、まかせなさい。しっかりとついてきなさいよ」
エリのいつもの自信にあふれた声に、僕はうなずく。
そして『春の声』の少なく残された時間、僕らは他のペアとは違ったゆっくりのテンポで、それでも自信満々で踊り続けた。
そして、曲が終わり、踊りを終え、大きな歓声が、割れんばかりの拍手がアリーナを包んだ。
「二番、きれいだったぞ!」「一番、上達したねー」「6番、よかったよー」
他のペアに歓声が飛ぶ。その中にも僕への歓声もあった。
「三番、よくがんばった!」「三番、また見せてくれよ!」「さんばーん、ナイスガッツ!」
歓声に包まれ、僕は係りの人が持ってきてくれた車イスに座り、アリーナを出ていく。
車イスをこいで、廊下を通り、みんなの所へいく間、僕はエリに話しかける。
「エリ、ありがとう。なんだか、とても楽しくて、ハラハラした」
するとエリは、ジロリと僕をにらむ。
「もう、こっちが足をどれだけ心配したか分かってんの?それなのにノンキにハラハラだなんてっ」
「えぇ、ごめん、いや、でも、だいじょうぶだと思うし、痛くないし、それよりエリはだいじょうぶなの?エリもこけたし・・・」
「ほんとよっ、ウチがこけることなんて、むかしはあったけど、ウチ泣いちゃったし、恥ずかしい思いをしたわよ、責任取りなさいよ!」
「えぇ、そっち!?い、いや、その、責任と言われても・・・ごめんなさい」
するとエリは、プッとふき出して、
「ジョーダンよ、まじめねぇ。それより、ダンス会場に犬が紛れ込むなんて前代未聞よ、トシユキが今頃すごく喜んでるのが目に浮かぶわ」
「ふふっ、こういうの好きそうだもんね」
「そうね・・・ヒロ、ウチもハラハラしたわ。今日の事、一生忘れないかも」
「うんっ、エリ、きっと僕もだよ!」
僕とエリは笑顔を交わす。
僕とエリの間に、とても温かく柔らかな風が流れた。
そして、エリは僕に顔を近づける。
僕はドキッとした。とても顔が近い。顔が触れ合ってしまいそうだ。
エリは目を細めると、小さくピンク色な唇を開き、
「・・・で、だれが巨人だって?あんた後で覚えておきなさいよ」
低い声でそう言い、僕を置いて先に歩き出した。
僕は血がサーっと冷めていくのを感じた。




