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俺が捨てられていたのは孤児院の前だった。
毛布に包まれ、封筒を抱いて眠っていたと聞いている。封筒の中には手紙が入っていた。俺が成長した時に手紙を読ませてもらったがHARUMAとローマ字で書かれていただけだった。孤児院の先生はここから名前を取って周藤遥真と名付けたそうだ。周藤とは先生の名字で俺たち孤児を本当の息子娘のように育ててくれた人だ。
高校に入ると同時に一人暮らしを決意した。その際、あの時の封筒と一緒に大金が置かれていたことを聞かされた。俺が自立するまで使わずに残しておいてくれたのだ。金額を聞くととてもじゃないが高校生が持つような額ではなかった。だから必要な分だけ貰い残りは孤児院の運営資金として使ってもらうことにした。
そして俺はアルバイトをしながら無事に高校生活を送っていたわけなのだが……。
「あの……マスター」
放課後、バイトで生活を切盛りしている俺と妹は、二人で同じバイトをしている。
ここ喫茶店レストは雰囲気と時給、マスターの人柄で選んだバイトだ。
ちなみにここの制服はマスター自身がデザインし、自ら縫ったものらしい。
マスターの趣味はコスプレをさせること。デザインが異なる衣裳を作っては俺たちに着せて、気に入ったらそのまま店の制服にしてしまう。ちなみに雫の制服はメイド服が基本だ。あの姿を初めて見た後、マスターと熱い握手を交わしたのは記憶に新しい。閑話休題。
「なんだいハル君」
マスター(営業中はマスター以外で呼ぶと不機嫌になる)は返事をするものの、視線を店の一番端のテーブルから一切離そうとはしない。
「……仕事してくれませんか」
「おやおや……不思議なことを言うね。私はしっかり自分の仕事をしているつもりよ」
やはり目は動かず、ある一点だけを注視していた。あ、瞬きはするようだ。
「まったく説得力ないですよ……」
カウンターから身を乗り出し、肘をついて顔を支えている。その姿のどこをどう見たら仕事をしていると胸を張れるのだろうか。誰でもいいから教えてくれ。
ちなみにこの喫茶店は隠れた名店としてなかなかの人気があり常連客も多い。平日の午後といってもティータイムを楽しみに来たお客さんが十数人+αほどいる。つまり、暇ではない。
「やれやれ、君もここでのバイトも長いというのに、まだ私のことを理解していないようだね。お姉さんは悲しいな」
嘆息しながら肩を竦める。その姿が様になっていて、こちらが悪いような錯覚を覚える。
……いけない。本当にそう思えてきた。さっさと反抗しないと口車に乗せられるにちがいない。
「じゃあ、マスターの仕事はいったいなんなんです?」
「品定め」
「は?」
間髪いれず即答してきたことも驚いたが、意外な答えには呆けることしかできなかった。
「だから、品定めだよ。し・な・さ・だ・め」
アクセントを付けて強調してくる。もちろん強調されただけでわかるはずがない。
「えーと、いったい何を定めているのでしょうか?」
「無論君が連れてきた可愛らしい娘さ」
わかりきったことを聞くんじゃない、と目で訴えかけられる。
俺との会話をするためか品定めが満足したのかわからないが、やっと視線を外して俺と向き合う。たぶん理由は後者なのだろうが。
「ハル君の周りには可愛い娘が集まると思っていたが……やはりあたしの眼に狂いはなかった!!」
「はあ」
「なに気の抜けた返事をしているんだい? 誉めているんだよ。よっ! 男前!」
誉められているのだろうか。据わった目で言われても馬鹿にされているとしか思えない。
「しかも他種族の娘じゃないか、あの娘にあたしが繕った制服を着せたら、さぞ可愛い獣耳メイドさんになるだろうねぇ」
あまり考えたくはなかったが、マスターは俺が連れてきたクララを凝視しているようだ。
この喫茶店のマスターこと佐倉棗さんは大の可愛いもの好きで、妹がここで働きたいと言った時も快くすぐに了承してくれた。後でお礼を言いに行った時に理由を聞いたら「可愛かったからいいの」と真顔で答えていた。
好奇心でなぜ自分を採用したのかを聞いてみたら「からかったら面白そうだし。なにより女装し……」いや、思い出したくない。
「ということで、あたしもあの娘に話があるからよろしく言っといてちょうだいな」
結論をだした棗さんは止めることができないので、あとはクララの判断に任せるしかない。合掌。
「わかりました。……けど、無理じいとかはしないで下さいよ」
今クララの正面に座って談笑している柚月はマスターにバイトを進められた被害者の一人だ。容姿、スタイルと申し分ない柚月は初めてここを訪れた時にマスターのお眼鏡に叶ってしまい、キャッチセールス顔負けの説得を永遠に聞かされていた。俺が仲裁に入って止めなかったら今頃俺とバイトをすることになったかもしれない。助けが遅い、と柚月は怒られてしまったが、マスターが勧誘に時間を割いている時間ずっと一人で店を切盛りしていたのだからどうしようもない。
「はいはい」
恍惚な表情で返事をするマスターの頭の中では、クララが着せかえ人形のように扱われているに違いない。
「離してくださいっ!」
突然、妹の怒気をふくんだ声が店内に響いた。慌てて声の方向に視線を移すと、客であろう二人の男に言い寄られている妹の姿が映った。
妹は黒を基調としたメイド服で身を包んでいる。
その可愛らしい姿でお客さんを魅了しながら働きまわっていたせいか、ゲスな男にナンパされたらしい。男は汚い手(シスコン視覚)を全く離そうとせず、卑下た笑い(シスコン聴覚)で妹に詰め寄っている。
つーか、俺の愛しの妹に気易く触れんじゃねぇよ。下郎がっ!
「マスター」
この怒りを見透かされないように無機質な声で許可を求める。
「うん。いいよ、いっといで。アレは他のお客さんにも迷惑かな」
マスターが先ほどとは全く違う雰囲気を纏って目を細める。
「あっ、ついでに眼鏡取っちゃいな。…………うん。相変わらずこっちは雰囲気があるね」
「………まあ、いいですけど」
ユリアに続きマスターにも眼鏡を没収される。なんだろう。人の眼鏡を掻っ攫うのが最近の流行りなのだろうか。マスターから許しも得たのでこのまま行くが、視界が多少ぼやけるのが心もとない。まぁ、あの男たちの汚い顔を見なくて済むからいいけど……。
男たちは余程鈍いらしい。俺の存在に気づいたのは妹を掴んでいる腕に、俺の手を置いたときだった。
「ああん? なんだおまえ?」
人を見下したような目と怪訝そうな顔に嫌悪感を覚える。今すぐ殴り倒したいが良心により自粛する。
「兄さん!」
雫は俺が来たことに安心したのか顔に笑顔が戻る。笑いかけてやりたがったが今はこの社会のゴミを掃除しないといけない。
「お客さん。店内でのナンパはご遠慮ください」
「は? シスコン兄ちゃんの登場か? ご苦労なこって。んで、いつまで腕掴んでんだよ。俺はお客さまだぜ、お客さま」
男は自分のことは棚にあげ、いまだ雫をはなそうとしない、もう一人はけらけら品なく笑って傍観に徹している。
「痛っ」
雫が顔をしかめた。おそらくより強く手首を絞められたのだろう。そう思った瞬間、俺の手は動いた。
「あがっ!」
「おい、ブサイク。誰がさまだって? いいからとっととその薄汚い手を離せって言ってんだよ」
できる限りの握力で男の腕を握りつぶす。その拍子に男は妹の手首を離し、俺の手を振り払い後ずさる。その間に雫を背後に隠し、手が出せないようにする。
「なにしやがんだ! てめー!」
「俺たちは客だぞ!」
唾を飛ばしながら怒鳴り散らしてくる二人に俺は冷ややかな視線を向けた。
「だからどうした」
「は?」
「ここはそんなこと関係ない。お客さんに金を貰ったらそれと同等のメニューをだす。ただそれだけの喫茶店だ。それに、俺たちは客だ……なんて上から目線をする奴はすでに客でもないんだよ」
客は神様じゃない、あたしたちと立場は同じだ。だからお客さんと呼びなさい。親しくなったら愛称でもいいわとはマスターの最初の教えだった。
「なっ! そんなことが許されると思って……」
「許されるからここは成り立っているんだろ。いい加減周りのお客さんに迷惑だから静かになってくれないか……もしくは出て行ってくれ」
いつの間にか談笑していた者はいなくなり、店内には異端な者を見るかのように、視線が男たちの元に集まっていた。
「ちっ! 行くぞ!!」
「もう二度とこねぇよ!!」
俺の言葉でやっと視線に気がついた男たちは捨て台詞を残し、そそくさと逃げるように外へ出て行った。
店の常連さんたちが俺に向かって親指をつき立てグッジョブ! と口ぱくで褒めてくれる。俺もそれに習って同じ動作で返す。
「……兄さん」
「ん?」
常連客のみなさんの雑談が戻りつつあるなか、後ろからちょこちょこと袖を引かれる。声に元気がなかったことを不審に思い振り向くと、そこには肩を落とし意気消沈としている雫の姿があった。
「どうした?」
「ごめんなさい……私がしっかりしてなかったから迷惑をかけてしまいました」
そんな雫の態度を見て無意識に手が頭にのびる。自分でも自覚している癖っていうのも変な話だが、小さいころから妹が泣いているときに髪を梳くように撫でると泣きやんでくれたことから、俺には人の頭を撫でる癖がある。すこし……いや、そうとう恥ずかしく迷惑な癖だが、今のところそこまで邪険に扱われたことがないのが救いだ。
今回も効果は抜群だったようで、雫の悲しげな表情は和らいできた。そのまま俺は言葉を重ねる。
「雫。別に迷惑じゃないからな。ああいった奴ら自体が悪いのさ。それに俺が助けに行くまでちゃんと誠意を持って対応していたんだろ?」
声が聞こえるまで見ていたわけではないが……妹のことだ、しつこくされながらも対応していたことは、見聞きせずとも理解しているつもりだ。
撫でていた頭が小さく縦に揺れる。
「じゃあ、気にするな。ほら、仕事の続きをしようか!」
「………はい!」
元の明るい笑顔を取り戻し、接客へと移る妹を見送り、マスターのいるカウンターに戻る。一応、男たちへの対応について聞かなければならないと感じたからだ。
「マスターこんな感じでよかっ……」
「いいなーいいな~」
「はい? なにがですか?」
年齢不詳の看板娘も兼ねているマスターは、なぜか拗ねた子供のように唇を尖らせた。
「妹君に撫で撫でしちゃってーデレデレじゃないか~私もしてほしいなー」
「冗談言ってないでさっさと仕事に戻ってくださいよ」
「冗談ではないさー。あれはなかなかいいものだよ?」
実体験でもあったのだろうか。マスターは頬を緩めにやにやし始めた。もしこの人にそんな過去があったら結構な衝撃を受けるが、若いころ(もちろん今でも十分若い。ここ重要!)は美少女に違いないと断言できるので、それもありかと納得しておく。
「彼氏にでもしてもらったんですか?」
「んふふ~秘密だよ~」
からかってみたがはぐらかされてしまった。まあ、その答え方は半分認めているようなものだが……。
「あ、もちろん今は彼氏なんていないからね」
「聞いてません。というか知ってます」
「冷たいなーもうちょっと若者らしくがっついてきていいんじゃない? じゃあ俺と付き合います? ぐらいなストレートで」
「言ったら付き合ってくれるんですか?」
「ん~年下は趣味じゃないなー」
なら言うなよ! さりげなく振られてちょっと悲しくなってきたじゃないか!
「ふふふ、そんな暗い顔しなさんなって」
暗い顔にさせた本人がカウンターから身を乗り出して俺の頭を撫でてくる。
「さっき言ってたことと立場が逆になってますよ」
「おお! 本当だ……まぁ、これはこれで良いもんだね」
まったくこの人には敵わないな……。
ある程度撫でたら満足したのか、マスターは頭に置いていた手を離し、美少女二人が座っているであろう席を指さした。
「さて、お姫さまたちを待たせていることだし、今日はもうあがっていいよ。妹君はもう少し借りるわ」
「わかりました。お言葉に甘えてそうさせてもらいます」
「勧誘よろしくね」
善意だけであがらせて貰えたわけじゃなかった。
「……善処してみます」
あまり気は進まないがどちらにしろマスターが情熱的に誘いこもうとするだろう。心構えだけはしておいた方がいいとクララに忠告しておくことを決意し、眼鏡を回収してから着替えをするため店の奥に足を進めた。