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二人の誤解を解き、我が教室二年三組までたどり着いた。
学年が一つ下の雫とは階が異なるため今は柚月と二人。ちなみに柚月は二年一組。まだ朝のチャイムまで余裕があるので少し俺の教室で喋っていくのが日課だ。
雫とのしばしの別れを噛み締めながら教室のドアを開けた瞬間、
「おはよう! 遥真、柚月ちゃん」
疲れ切っていた俺に無駄に陽気な声が届く。
「おはよう。川橋君」
「おう………って恭介。どうして俺を羽交い絞めにするんだ?」
高校からの悪友である川橋恭介が挨拶と同時に俺の背後にまわってきた。
「なぜかって? それは自分の胸に聞きやがれ! こんちきしょぉぉぉぉぉ! 朝っぱらから雫ちゃんや柚月ちゃんとイチャイチャしやがって!」
「別に普通だ! あ、おい! 首を絞めるな!」
俺の言葉に反応して腕の力をさらにいれてきた。苦しい。殺意を感じる。
「へ~、ふーん、ほ~。それが普通ね。このリア充め。俺にも分けろ!」
そういう意味じゃねぇよ。
「俺に言うな。本人に言ってみろ」
腕の拘束が緩み、恭介は隣に目を向けた。
「柚月ちゃ~ん。今度俺とデートに――」
「遠慮するわ」
即答だった。しかも怖いぐらいの可愛い笑顔のおまけ付き。
「で、ですよねー」
怖気づいて腰が引けている。ちょっと哀れだった。
「まったく、毎日飽きないわね。あなた達は……」
腰に手を当てながら嘆息している。というか、こいつと同類に扱わないでください。柚月さん。
「まあいいわ。遥真、私は自分の教室に行くから。また後ほど」
「おう、またな」
また、というのはお昼を学食で一緒に食べる話だ。
高校二年に上がって初めてクラスが分かれても変わることのない習慣。最初の頃は同じ教室でないことに少なからずショックを受けたが、人の慣れとは恐ろしい。半月も過ぎれば日常となってしまう。
まあ、登下校はほとんど一緒。休み時間もたまに遊びに来る。昼は毎日会っていたのでほとんど一年の頃と変化がないのだから慣れるのは時間の問題だった。
前にこのことを柚月に話したら、ふ~んとつまらなそうに頬を膨らませ不機嫌になった。あの時は機嫌を取り戻すために柚月が好きな甘いものをおごって、金が財布から巣立っていった。もちろんお金に帰巣本能などあるはずもなく、俺は子を見守る親鳥の心境に陥るはめになった。
まあ、デザートを食べている時の柚月は終始笑顔だったので、それを眺めるために使ったと思えばあまり苦ではなかった。
教室を出ていく柚月の後ろ姿を見送り、自分の席にむかう。恭介はそそくさとどこかに退散したようだ。あいつも柚月の恐ろしさを学習したのだろう。
くじで勝ち取った俺の席は窓際から二列目の最後尾。隣の席には俺より十分は早く到着していたであろう友人が、朝から誰とも話さず黙々と読書を楽しんでいた。
「おはよう。ステラ」
なるべく音を立てずに椅子に座る。雑音立てると怒るんだよこの娘。
「……周藤か……おはよう」
分厚い眼鏡の奥からチラッとこちらに目配せをしてボソッとだけ発言をする。一つ一つの行動が最低限度に集約されている。まるで無駄な体力など使う気はさらさらないと断言しているようだ。
「今日はなにを読んでるんだ?」
「ん」
ひとときも文章に視線を外したくないらしく、表紙と背表紙だけこちらに見せてくる。
そこには可愛らしい女の子の絵がポーズをとっていた。どうやら新しいラノベを買ったらしい。
「面白いのか?」
「なかなかだな」
「じゃあ、また貸してくれ」
「………ん、いいぞ。今日中には貸せる」
「サンキュー」
やはり視線は外れない。なかなかと言いながらも随分と御執心のようだ。
これ以上邪魔するのも良くないので、机に向きなおった横顔を眺めることに移行した。といっても、長い前髪と分厚い眼鏡でほとんど見えないんだけどな。
一年前にひょんなことから知り合った文学少女ステラ・エルディス。
名前の通り日本人ではない。それどころか外国人ですらない。外界人――これは異世界の住人を指す言葉の総称だ。彼女は三世界の内の一つ、魔界の住人。
魔法使いと呼ばれている魔界人の外見は人間との差異はあまりない。ただ背中に魔術背紋という生まれながらにしてもった自分のマークがある。簡単にいってしまえば指紋と刺青を足して二で割った感じ。
魔術背紋は美しい幾何学文様と聞くのでぜひステラのも拝見したい(下心ではない)のだが、そんな機会は回ってこない。というかプール開きがあったとしてあの腰まで伸びた髪に阻まれそうだ。切るのが面倒だと言って三つ編みにしているが、なんか似合っていない。
出会った当初そのことを指摘したら「……面倒臭い」と両断された。ステラはあまり外見には拘らないようだ。もったいない。
「遥真くん、いくらステラが巨乳だからって視姦してはダメよ」
「うおっ!」
突然眼鏡を奪われて、視界が軽くぼやける。
長年愛用している我が相棒を探し求め声がした方を向くと、俺のすぐ隣に一人の女子生徒が立っていた。よく見ると俺の眼鏡を掛けている。
「ユリアか……人聞きの悪いことをいうな。俺は別に胸なんてみていない」
「胸じゃなかったの? それじゃあ太ももかしら……マニアックね」
「……あの、人の話聞いてます?」
「違うの? それならどう? 私はステラほどで大きくはないけど形には自信があるわ」
「いきなりなんの話!?」
組んだ腕によって押し上げられた胸は破壊力抜群だった。確かに形はよさそ……じゃなくて!
「それともやっぱり脚フェチだった? ならこういうのはどうかしら?」
ポスっと軽い音と同時に、俺の膝の上にユリアが腰かけてきた。
「って、近い! そんなとこに座んないでくれ!」
あまりの一瞬の出来事に抵抗する暇さえもらえなかった。
「ほら、これなら柔らかさが直に伝わるでしょ? 我ながらいいアイディアだと思うわ」
脚を組んで腰を軽くゆすっている姿は色っぽく、言葉通りユリアの太ももの柔らかさどころか体温も伝わってきてその熱がそのまま俺の体温を上げているような錯覚を覚える。本当に脚フェチになってしまいそうだ。
断っておくがユリアは恋人とかではない。一年前に知り合ったただの友人だ。その友人がこんなことをしてくる理由は単純明快だ。
「ふふ、赤くなった。相変わらず可愛いね」
そう、俺をからかって楽しんでいるだけなのだ。
ユリア・ストーレットはステラと同じ魔界人だが出身国が違う。魔界には二つの種族があり、それを核に国が分かれている。だからユリアとステラは同じ異世界人だが、違う国の異なる種族ということだ。この二つの種族の違いは実にシンプルで、それは何かというと瞳の色だ。ステラはエメラルドのような翡翠。ユリアはルビーのような紅玉。他の違いは無く、両族とも魔術背紋をそれぞれ持っているだけだ。
だが種族関係なしに息もかかるくらい顔が近いと赤くなるのは当たり前だ。恥ずかしいので早く離れてほしい。
「からかうのはもういいだろ。早く退いてくれ」
「……」
さっきとは打って変わって物静かになったユリアがいた。
「? 急に黙り込んでどうしたんだ?」
にやにやと意地の悪い笑顔をしていたのに今は心なしか真面目な顔にみえる。俺はその変化に戸惑いを隠せない。いったいどうしたというのだろうか。
「ん~やっぱり遥真くんは眼鏡を取ると目つき悪いね」
「ほっとけ!」
シリアスな雰囲気を出していたくせに考えていたことはしょうもなかった。それにけっこう気にしていることなので触れないでほしい。
「うんうん。でも私は眼鏡を掛けてない方がいいかも。どう? これを機にコンタクトにしてみるのはどう」
「遠慮しておく。俺はその眼鏡を気にいっている。それにコンタクトは高そうだ。無駄遣いはしたくない」
コンタクトを買う余裕があるなら雫になにかプレゼントでも渡すさ……とは口に出さない。からかわれるのは問題ないのだが、それで話が進まなくなりそうだったからだ。
「ふふ、おおかた妹ちゃんにプレゼンを渡す金にした方が有意義だと考えているわね」
心を読まれた!
「驚いた顔をしているところ悪いけど、君の知り合いだったら簡単に行き着く結論だからね?」
俺の頬を指で突っついてくる。効果音でいうとぷにぷに(想像以上に柔らかそうだな俺の頬。まったくもってどうでもいい情報この上ないが)。
「たしかにそれも考えていたが……まず俺にコンタクトを進めるより、ステラに忠告した方がいいんじゃないか? どう考えてもアレは似あってなっぶは!!」
痛い! 頭部になにか襲ってきた!
「余計な御世話だ」
ステラが俺を睨んでいる。その上には先程のラノベが宙に浮かんでおり、ステラが操っていることは一目瞭然だった。
魔力によって操られたラノベは、ステラの手元へと戻っていった。
「ふふ、可哀そう」
言葉とは裏腹にユリアは哀れみを微塵も感じさせない笑みで、いつの間にか横に避難していた。いち早く危機を察知したユリアが、俺から離れていることが恨めしい。同じ魔界人なのだから本が俺を叩く前に魔法で助けてくれてもいいのに……。
「そう思うならもう少し労わってくれ」
頭を擦る。ステラも手加減してくれたようでこぶはできていなかった。
「自業自得ね」
「でも、絶対隠さない方が似合っているのに……」
「くどい」
また宙に舞った本が仄かな光を纏い高速回転を始める……って! なんで威力高めてんだよ!
「ま、まて! 冷静になるんだ。そんなことをしたら本が傷つくぞ!?」
最後の防衛線発動! ステラは本に……いや、好きなものに関してだけ潔癖症なのだ。だから本に折り目や汚れがつくことをよしとしない。今俺はそのことを盾にしている。
「ふん、私はいたって冷静だ。この魔法も本を守るために張った。ついでに威力も上がっているが気にすることではない」
「そこが一番大事なことなんですけど!!」
というかそんな面倒なことするなら他のものを武器に使えばいいのに……とは怖くてつっこめない。これ以上の武器でこられたら死ぬっ!
「では……落ちろ!」
物騒な掛け声とともに凶器と化した本が俺めがけて迫ってくる。とてもあの可愛い女の子が描いてあったラノベとは思えない。つーか高速回転して迫りくる本に何が描いてあるかなどわかるはずもなかった。現実逃避とともに瞼を閉じる。たぶんこれに当たったら今日は気絶して一日が終わるだろう。自分で招いたことだが、妹と過ごす時間が短くなるのが無念でしょうがなかった。……ぐすん。
「……」
俺が心の涙を流していてもいっこうに本が直撃してこない。どうしたんだ? これはもしや新手の攻め方なのか? 緊張の時間を長引かせ、あれ? これは当たらないんじゃないかと油断させといたところでドーン。そうして俺に精神的ダメージも負わせようというのか! ステラ、恐ろしい子!!
バカバカしいことを考えながら薄眼を開け状況確認。……うわー、目の前で本が頭にぶつかる寸前の距離で止っている。こえ―。
呆然とそれを見ていたが、数秒もしないうちに女の子のイラストが確認できるまでに減速し、ついには止まって重力に従い落ちてきた。
「おっと」
落ちてきた本を両手で受け止め回収成功。なにが起こったのか分からなかったが、ステラの見るとユリア方を睨んでいる……のかもしれない。眼鏡と前髪のせいで、ステラの視線が曖昧な表現になるのはあしからず。
「余計なことを」
俺の時より少し強めの口調になっている。
「ふふ、まぁ危なそうだったし、遥真くんが助けてほしそうだったから」
それに答えたのはユリアだった。やはりステラはユリアのことを睨んでいたのだろうか。
「ふん。そんなことをせずともギリギリで軌道を修正して当てはしなかった」
「もちろん、わかっているわ」
ニコニコと笑みを崩さないユリア。会話から察するに、俺を脅かすだけのつもりだったステラの本攻撃を、ユリアが一応止めてくれたらしい。
「ちっ」
あからさまに舌打ちをしたステラが目をそらし俺の方を向いた。
「もとをいえば君が悪い!」
ついでに矛先も向いている。いや、戻ってきただけか。そう考えると確かに俺が悪いのかもしれない。
「す、すまん」
「……」
「いたっ」
ペシッという音と共におでこに軽い痛みが走る。急に席を立ったステラにデコピンをもらったのだ。そしてステラはすぐに席に座りなおし、カバンから違う本をだして読みだした。
「……ってこの本は読み終えたのか?」
手に持っていたラノベをかざす。
「終わったから貸す。約束だったからな」
いやいや、嘘でしょそれ。栞が中途半端なところに挟まってるし。とてもさっきの間に読み終えたとは考えられない。
「脅かしたお詫びじゃないかな?」
俺より先に答えを導いたユリアは耳元で囁いてきた。なるほど、ちょっと納得。
「違う」
聞き耳を立てていたのか、ユリアが否定してきた。
「赤くなってるー怪しーなー」
「うるさい。そもそも君が……」
赤くなっているステラをユリアがからかう図が出来上がっていた。
取り残された俺は今更ながら教室の奴らに視線をむけた。大抵俺がユリアと話していると男子どもの視線が殺気へと変わり果ててくるんだが……ってあれ?
よく見ると教室の人口がいつもより少ない。
男は俺を合わせても女好きの恭介と二次元オタク委員長の佐々木雄一(こいつも俺の悪友の一人)しかいない。女子もちらほらと登校してきている男女合わせても約四分の一程度の人数しかいない。
「もしかして転校生を見に行ったとか?」
疑問と推測がそのまま口に出た。
「正解。勘がいいのね、遥真くん」
俺が呟いただけにも関わらずユリアには聞こえていたようだ。隣にいるステラは何故かプルプル震えて赤面している。俺が目を離した数秒でユリアはいったい何を言ったんだろう……相変わらず底が知れないな。
「今頃ほとんどの学生が転校生を一目見るために集結しているんじゃない? 美少女だから余計人を集めているみたいよ」
「男子どもの熱狂ぶりはすごかったな。アレが数日続くと思うと鬱だ」
ステラがため息交じりに会話に参戦してきた。復活が早いな……顔はまだ赤いが。
「女子のみんなも小動物みたいで可愛い~とか言ってたわ」
「なるほど。だから女子の数まで少ないのか……転校生も大変だな」
男子に女子まで、転校初日から大人気だな。彼女と話せる時間はほとんどないかもしれないと考えると残念だ。折角獣人界の話を聞けると思ったのに……。って、ん? 何かおかしいぞ。
「あれ?」
違和感の正体を探るためにもう一度教室を見渡す。ステラにユリア。恭介にオタク委員長。同級生女子数名。……あぁ、そういうことか。
「どうかしたの? 遥真くん」
「いや、美少女ってとこに一番食いつきそうなやつが教室にいるから疑問に思っただけ」
違和感の元凶を二人に教えるために、やつこと川橋恭介を指さす。あいつは呑気に他のクラスの女子と談笑している。
三つの視線に気がついたのか、恭介が女の子と別れこっちにむかってくる。
「やあ! どうしたんだいそんなに見つめて。もしかして僕の顔に見とれてたのかい? はっはっはっ! モテる男は辛いな~」
「そんなわけないだろ」
「ふふふ、ありえないわ」
「馬鹿だな」
「ぐはっ」
俺たちの情け容赦ない三連コンボをうけ崩れ落ちる恭介。
「遥真ならまだしも、ユリアちゃんやステラちゃんまで……」
ぶつぶつと何か言っているようだがいつものことだ。
「そんなことより、なんでお前ここにいんの?」
「……いきなり友人の存在を否定するのはどうかと思うよ? しかも追い打ち?」
言われて気づいたが確かにそうともとれる。日本語って難しいね。
しかたがない、言い直してやるか。
「それもあるけど俺が言いたいことと違う」
「なら否定しろよ!」
うるさいな。どうでもいいことに時間を割くほど暇じゃない。
「お前のことだ、転校生の話は聞いてるだろ?」
「無視かよ! ……まあいいけど。それがどうしたのさ?」
ここまで話してわからないのか、こいつは。
「美少女だそうだ」
「うん。知ってるけど?」
「……」
「……」
しばしの沈黙。
見つめあう四つの瞳。
それを見守る二人の少女。
俺は決意した。
「恭介。病院に行こうか」
恭介の襟を掴み、引きずって歩く。
「うわっ、なんだよ、また!」
必死に抵抗されるがそれどころではない。
「お前が美少女と知っておいて何も行動に起こさないのは変だ。絶対にどこか悪いにきまっている」
「落ち着け遥真! 僕はいたって正常だ。とっくに彼女のプロフィールも調べたし、盗撮だってしてきた!」
その瞬間空気が凍った。俺は脚を止め変態へ向きなおった。傍観していたクラスの女子たちは、冷ややかな目で俺の手元にいるそれを見下ろしている。ユリアとステラは俺の言葉を待っているようだ。
「あれ? 皆どうしたのかな?」
自分が言った危ない発言に気づいていないこいつに、俺は判決を下した。
「恭介……警察に行こうか」
「なぜ!!」
悪友の叫びとともに予鈴のチャイムが鳴った。
ときどき思うよ、なんでこいつが友人なのかと。