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「ごめんなさい! 兄さん」

「ははは、いいんだよ。雫が悪いわけじゃないんだから」


 俺がマスターと付き合っているという誤解はバイトが終わるまで解けることはなかった。

 俺が慌てる姿に満足したのか、マスター自身が雫の誤解を解くこととなった。


「いやー君たちのおかげで今日はなかなか楽しめたよ」


 誤解の元凶が満面の笑みでカウンターに肘を掛けながらほくそ笑む。カウンター越しで話すのはバイト終了時のいつもの日課だ。


「勘弁してくださいよ。棗さんのせいで俺が心労で倒れたらどうしてくれるんですか」


 営業時間も過ぎているのでマスターではなくいつも通り名前で呼ぶ。バイトを始めたころ、名字で呼ぶと他人行儀でいかん、と言われたのがきっかけだ。


「心労?」

「そうです。雫に避けられるような日が来たらショックで寝込みますよ。俺は」

「兄さん!」


 恥ずかしかったのかリンゴみたいに真っ赤になった雫が制服の袖を強く引っ張ってきた。


「このシスコンめ」

「なんとでも言ってください。褒め言葉です」


 事実なので反論する気は毛頭なかった。


「こんなお兄ちゃんを持って、雫は大変ね」


 労うように言葉を掛けているがうちの妹には逆効果だった。


「いえ……。私も兄さんのこと好きですから」


 そう言って俺の後ろに隠れる雫はまだ袖を離していなかった。


「はいはい。ごちそうさま。もうおなかいっぱいです」


 棗さんは呆れて何も言えなくなったのか、目を閉じてボリボリ背中をかいてけだるそうにしている。


「雫ちゃん。奥で食器を洗ってくれるかい? ハルくんは店内の掃除ね」

「あ、はい。わかりました。すぐやりますね」


 雫は掴んでいた手を離し、店の奥へと足を向ける。俺も掃除用具でも取りに行こうかと思ったが「ハルくん。ちょっと」と棗さんに呼び止められできなかった。


「どうしました?」

「そういえば例の獣耳族のお嬢さんとは仲良くやっているのかい?」

「なんです? 突然。………あっ、お店に引きこむって話はもう諦めてください。彼女忙しいみたいですから」

「それもあるけど……ほら、彼女は君の許婚らしいし。デートはもう行ったのかな~なんて思ってね」


 またか。恭介の次に棗さんにも言われるとは思わなかった。


「別に行きませんよ。確かにクララの話によれば俺は許婚らしいですけど……俺たち付き合っているわけじゃありませんから」

「もったいない!」

「は?」

「もったいないと言っているのだよ。ハルくん!」


 興奮した様子でカウンターから身を乗り出した棗さんは矢継ぎ早にはやし立ててきた。


「君に会うために転校してきた彼女と、もっと親しくしてもいいじゃないか。いまさら君がデートを誘うのなんてどうってことないだろ」

「いや、デートなんて行ったことないですし………それにさっきも言いましたけど俺とクララは友達ですから、友達二人で出掛けてもデートにならないんじゃ……」

「そんなの気分の問題さ。二人で行こうが三人で出掛けようが、異性がいればデートになるの!」

「はー………」


 三人いたらまたデートから遠ざかるのは気のせいだろうか。呆気にとられている俺を置いて、棗さんは言葉を続けた。


「とにかくクララちゃんとデートに行くことは決定事項です」

「いやいや。勝手に決めないでくださいよ」


 当然棗さんがデート宣言したところで、俺とクララがデートしなければならないという義務はないが、有無を言わせぬ物言いにたじろいでしまった。


「行かないなら柚月ちゃんに今日のあたしとハルくんのラブラブ会話を教えちゃう」

「なっ! それは酷いですよ!」


 なにより柚月は雫のことを妹のように可愛がっているから泣かせたことが知られれば………………ブルブル。


「いやなら大人しくデートに行ってきなさい。別にデートに行こうって誘わなくても、クララちゃんはこっちに来てから日も浅いことだし、いろんな場所に連れてってあげるのもいいんじゃない?」

「あ……そうですね。確かに必要かもしれません」


 そうだ。すっかり忘れていたが、クララは転校してきたばかり。まだ不慣れな土地で悩むことも多いだろう。だったら俺がサポートをするべきなのかもしれない。彼女がこの地までやってきた理由である俺自身が……。


「口実はできたね。じゃあ早速、明日誘ってみよー」

「口実って……」


 棗さん自身が提案したのにその言い方はないだろうと思いながら、俺は苦笑いでお茶を濁した。

それより明日、クララになんて言って誘えばいいのかが俺にとっては難易度の高い問題だった。不慣れなことを考えているせいか、少なからず胸の動悸が激しくなっているのがわかる。


「ふふ、悩め若人よ」


 どことなく慈愛に満ちた顔をする棗さんは、俺がお世話になった孤児院の先生に似ていた。俺に女そ……なんでもないです。気にしないでください。


「兄さん。クララさんとデートに行くんですか?」


 食器を洗い終わったのか、雫は水で濡れた手をハンカチで拭いながら厨房から出てきた。


「成り行きでな。……いや、この言い方じゃクララに悪いな。せっかくここに転校して来たんだ。いろいろ教えてあげられたらいいと思っているよ」


 本心だった。もう連れて行こうと思っている場所の候補はあがっている。だが……。


「まあ、クララの都合がよかったら、だけどね。もしかしたらとっくに他の友達と出かけている可能性もあるから」


 そうだとしたら棗さんの言うように口実がなくなってしまうな。クララの前で慌てふためく自分を想像し苦笑した。


「兄さんなら大丈夫です。クララさんだって喜んでくれると思いますよ」

「そうさ、いけるよ! 最後まで」と棗さんが続く。


 最後ってなんです? という質問は答えが怖いので飲み込むことにしたが、ふと別の疑問が頭に浮かんだ。


「そういえば、どうして棗さんが俺とクララのことを気に掛けるんですか?」

「そりゃーもちろん。おもしろそ……じゃなかった、恋愛に不慣れな弟分の後押ししようという姉心さ」

「……そうですか」


 誤魔化しきれてないよ。姉さん。

俺はため息をわざとらしくついて、店内を掃除するため店の奥へと引っ込んだ。



     †



 翌日の放課後。俺は見事にクララとのデートの約束を取り付けることができた。

 俺の提案に最初は驚いていたクララだったが「うれしいです。楽しみにしていますね」とほほ笑んでくれた。

 その日の夜から慣れないデートプランを考え、クララの笑顔に答える努力をした。

そう、この時の俺は柄にもなく浮かれていたんだと思う。平和続きの毎日に、自分の命が狙われていることなんてすっかり記憶の片隅に追いやっていた。

 だから完全に油断していたと、デート当日に思い知らされることとなった。

 さらに妹や幼馴染が俺たちの後をつけているなんて思いもしなかった。


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