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 クララを見送ってからすぐ後に、ホームルームを終えた雫が教室にやって来た。迎えの挨拶代わりに熱い抱擁をがしっ! としたかったところだが、そんな妄想を実現させるわけにもいかず、バイトに間に合わせるため早々に二人で下校することとなった。

 学園を後にした俺と雫の二人は、喫茶店レストまで続く道を歩いている。

 雫が高校に入学して以来ずっと一緒に下校している。もちろんバイトが同じという理由もあるが、一緒に下校しないと不埒な輩が雫をナンパしてこないとも限らないので心配でしかたがないのだ。我ながら過保護だとは思ってはいるが、雫の兄となった男のさがとして受け止めている。


 赤ん坊の頃から孤児院育ちの俺には兄弟はいない。

 雫とは俺が小学生の時に出会った。交通事故で両親をなくし、身寄りがなくなったということで孤児院を訪れることになったらしい。親がいなくとも祖父母や叔父叔母がいたのではないか、と疑問は昔からあった。だがこの質問が俺の口から出てくることは一生ないだろう。家庭の事情もあるだろうし、俺が口出しすることではないように思えたからだ。なにより雫との生活が楽しく居心地がいいので離れたくない。


 孤児院に来て間もないころの雫は人見知りが激しく、いつも大人の後ろに隠れておどおどしている内向的な女の子だった。そしていつしか大人の後ろから俺の後ろに隠れるようになっていた。

雫が俺のことを「お兄ちゃん」と呼ぶまで時間はかからなかった。


「兄さん」


 月日がたつのは早い。

 なかなか俺の後ろを離れなかった少女は隣に並ぶようになり、「お兄ちゃん」という呼びかたも、高校に入ってからは「兄さん」に変化した。

 何気ないところでの妹の成長が嬉しくもあり、少しだけ寂しくもある。そんなことを思いながら俺は妹の言葉に耳を傾けた。


「どうした?」

「アレは、なんでしょうか」

「アレ?」


 雫は前方を指さしながら立ち止まる。

 俺も雫に倣いその場で足を止め、指さされた方向へと視線を移した。

動物がいた。おそらく異世界の生物。頬や額にあたる部分に丸みを帯びた模様がある。その異世界の動物は子狐のような身体を縮め、頭を垂れながらこちらにとぼとぼとこちらに歩いてくる。


「異世界の動物が飼い主といないなんて珍しいな。それに元気がないように見える」

「はい……もしかして飼い主とはぐれたのでしょうか?」


 異世界人が移住する際、ペットを持ち込むことは厳密な審査が必要となっている。異世界の生物には人間を襲う凶暴な動物もいるので、持ち込み可能なペットの種類は限られる。

見たところ首輪はしていない。だが野性ということはありえないので、雫の言った通りはぐれたか家を抜け出してきた線が強い。


異世界獣……じゃ呼び名が長いな。栗色の毛並みだから即席名称マロンにしよう。

その異世界獣改めマロンは俺達の視線に気づいたのか立ち止まり首を上げた。最初に雫を見つめ、次に俺と目があった。

 その途端、様子が変わった。マロンはしきりに耳を動かし、尻尾は犬が喜んでいる時のように左右に揺れている。変わらないことといえば、小動物独特のつぶらな瞳が俺に注がれていることだけだった。そして……、


「うわっ!」


 走ってきた。と思った瞬間にはもう俺の胸元へとダイブしてきた。俺はしがみつくようにして離れないマロンを、落とさないように抱きかかえた。


「ど、どうしたんだ。いったい」


 訳がわからない。飼い主でもないのにここまで動物に好かれたのは初めてだった。


「兄さんって動物に好かれる体質でしたっけ?」

「いや、そんな設定は知らないな」


 雫が俺と同じ疑問を抱く。


「でも……とても懐かれていますよ?」


 俺の顔を見ながら笑いかけてくる妹はどことなく楽しそうだった。


「確かに……」


 腕の中で丸くなったマロンは目を細めながら弛緩した表情を浮かべている。時折頬を胸に擦り寄せてくるのでくすぐったい。


「兄さん。嬉しそうですね」

「え?」


 どうやらいつの間にか頬が緩んでいたらしい。

 くぅ~んと甘えるような鳴き声で俺を見上げるマロンは、これまで見てきたどの動物よりも可愛く、美しかった。自然と口元がほころび笑顔になってしまうのはしょうがない。


「まあ、そうだな。こんな可愛い子に好かれたら嬉しくもなるさ」

 そう言って顎を撫でる。マロンはくすぐったそうに身を捩っているが逃げ出さない。やばいな。可愛い。

「………いいなー」


 雫が羨ましそうに俺の手元を見ている。………なるほど。雫もこの子に触りたいのか。


「雫も撫でるか?」

「え? あ、はい! ぜひお願いします!!」


 妙に興奮した様子で雫は俺を見上げてくる。

 そしてそのまま……なぜか目を瞑って待機。ってなぜに?

 マロンを触ろうとせず、そのままじっとしている姿は、まるでキスをせがむ少女に見えなくもない。いや、俺の眼にはそうとしか映らない。

 こ、これはどういう意味なんだ!?

 俺が何もできないでいると、どんどん雫の頬は赤く染まっていき今にも爆発しそうだ。


「あ、あの……兄さん。ま、まだですか?」


 限界が近いのかプルプル震えだしている。

 というか、まだはこっちのセリフなんだけど……。


「雫も撫でないのか? この子のこと」

「へ?」


 パチっと驚いたように瞳が開いた。


「いや、だからこの子を触りたかったんじゃなかったのか……?」


 控え目に言ったその瞬間。

 ボンッ! という効果音が鳴ったんじゃないかと、錯覚に陥るほど雫の赤みが最高潮に達した。


「いいいいいや、あの、確かにその子を撫でてみたいとも思いましたけど! でも、その! え~と、私が本当に羨ましいと思ったのはそっちではなくてですね! だから、えっと……う、うぅ~~~~なんでもありません……」

「そこまで言っといてなんでもないってことはないだろ……」


 あまりの慌てように俺もマロンも呆然としてしまった。

 よほど恥ずかしかったのだろう。

 顔を伏せて、なおかつ前髪が目元を隠しているせいか表情はわからないが、さっきのマロンのように元気がない。


 これは駄目だ。兄として妹に恥をかかせたのかもしれない。早急に原因を探る必要がある。だが直接聞くなんて愚の骨頂! 愛する妹のためなら自ら真相に辿りつかねばならぬ。

だがいったいどこがいけなかった? 俺が雫にマロンを撫でるか聞いたとき、雫は元気よく……というよりは興奮した様子で返事してくれた。もちろん俺は雫もマロンのことを撫でたかったと解釈したんだが、それは間違いだったらしい。だったら雫はいったい何を撫でるつもりだったんだ? もしかして俺か? 俺の頭なのか!? やばい! 想像しただけで幸せになれそうだ。そういえばマスターに撫でられているとき、雫に目撃されていたと解釈すればその線もありえなくは無い! マスターの行為を羨ましがった雫がこの機会に俺のことを……いや、まて、違うだろ。落ちつけよシスコン。この考えだと雫のあのキスを迫るような行動の意味が付かない。あれは俺の頭を撫でようなんて考えの行動じゃないだろ! だがあれには最大のヒントが含まれているはず……くそう! もうちょっとでわかりそうなのに! (思考時間約二秒)


 駄目だ! これ以上は時間を掛けられない! 早く答えを見つけないと……。

 ぺんぺん。

 ん? 腕にいるマロンが前足を使って俺の胸をノックしていた。

 ごめんな。今君に構っている余裕は無いんだ。早くしないと雫に恥をかかせたまま、この話が終わってしまう。

 くぅ~ん。と俺を見上げながら鳴くマロン。

 ええい。可愛いなこんちきしょう。また撫でてあげるからもう少し待っててくれ。

 俺はさっきと同じように、マロンの顎に手を添えて撫でてやった。

 それを見た瞬間俺は、


「あっ」


 一つの答えを導き出した。

 この答えはかなり有力だが、もし間違っていたらかなり恥ずかしい。いや、恥ずかしいからこそ裏付けとなっているのかもしれない。

 それに答えがわかったからといってどうすればいいというのだ。思いついたことを実行に移すのか? こんなところで? でも雫はさっきそう望んでいたからああいった行動をしたんだ。……ここは腹をくくってやるしかないか。


 決意した俺の行動は早かった。

 視線を落としたままの雫に接近し、片手でマロンを抱きかかえられるようにした。

 そして空いた片手をいつものように雫の頭には持っていかず、顔のほうで止めてそのまま……雫の顎を撫でた。


「に、兄さん!?」


 やべー慣れてないから超恥ずかしいぞ。これ。

 弾かれたように顔を上げた雫を追って、俺の手は雫の顎を撫で続ける。マロンにやったように優しく、丁寧に撫でていると、最初は恥ずかしがっていた雫も慣れたのか弛緩した顔でされるがままになっていた。途中「く~」とマロンみたいな声を出してシスコンのツボを刺激してくる。


 やはりこれで正解だったようだ。雫は俺がマロンを撫でているのを羨ましがっていたわけではなく、撫でられているマロンの方を羨ましがったのだ。…………まあ、なんていうか、流石俺の妹だぜ!

 ともかくここが人通りの少ないところで良かった…………今の俺達はシュールすぎて危険だ。

 いつもの頭を撫でる時間と同じぐらい顎を撫で続け、俺は手をひっこめマロンを抱き直した。そのときくぅーんとマロンが鳴いて、俺の行動が当たりだとそう教えてくれたように感じた。


「あ、ありがとうございます。兄さん」

「どういたしまして……そ、そうだ! 雫もこの子を撫でてみるか!?」


 雰囲気に耐えられなくなった俺はさっきできなかったことを提案した。


「は、はい! そうですね! 私も触ってみたかったんです!!」


 誰がいるわけでもないのに誤魔化すようにテンションが高い兄妹がここにいた。


「でも私が触っても大丈夫でしょうか?」

「大丈夫じゃないか? ほら大人しいし」


 背中を撫でていた俺を見た雫が手を伸ばす。恐る恐る触れるがマロンは気にした様子もなく撫でられ続けた。


「かわいいですね。飼い主さんはどうしたんでしょう」

「ん~もしかしたら捜しているかもしれないな。折角だしバイトが始まるまで捜してみようか」

「はい。賛成です。私たちが見つけてあげましょう」

「決まりだな。安心しろ、すぐ飼い主の所に連れて行ってやるからな」


 意味は理解できないだろうが気持ちだけでもと思い言葉を投げかける。それに答えてくれたのかわからないが、マロンは首を伸ばし小さな舌で俺の唇をペロッと舐めた。


「はは、くすぐった……」

「きゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 くすぐったいなと言おうとした矢先。突然俺でも雫でもない第三者の悲鳴が響き渡った。


「な、なんだ?」

「兄さんっ!」


 雫が不安になったのか昔のように後ろに隠れ制服の端を掴む。

 なにが起こったのか確認するため、辺りを見回すとそれは目に止まった。

 いつからそこにいたのだろうか。人影が電柱に身を隠し、こちらの様子を窺っている。これが男だったら不審者に違いなく、妹に害が及ぶ前に始末するのだが――その心配は無用らしい。どう見ても女性だし、しかもクララと同じ獣耳族だ。スタイルがいいのか身体は隠れているのだが、スカートの端やら獣耳族特有の耳やら尻尾が見え隠れしていた。……ん~デジャブを感じる。


 だが獣耳族となると俺を暗殺してきた刺客という線もあるのだが……なんだろう。あまりに拙い隠れ方のせいで今一つ緊張感が沸いてこない。

 他に人影は無いので彼女が悲鳴の発信源なのだろうし、護衛の方々が出てこないということは危険が無いと判断してもいいのだろう。


「あの、どちら様ですか?」


 無視する訳にもいかず、声を掛けてみることにした。


「いえ! あの、私は、その……」


 他種族と思われる少女は、電柱に隠れたまましどろもどろに答えようとするが、要領を得ない。


「……もしかして、この子の飼い主さん?」


 この子とは今も俺の腕の中で丸くなっているマロンのことだ。彼女が現れてから、マロンは電柱少女がいる方向を見つめたまま動かないのだ。


「あっ……はい、そうです!」


 憶測だったのだが、どうやら当たってはいるみたいだ。そう思ったのも束の間。


「いえ! やっぱり違います!」


 どっちよ。


「……」

「……」

「……」


 しばし沈黙が続いた。

 さて、俺はどうするべきなのだろうか……少女はこの動物を知っているっぽいが、あの定位置から動く気配はない。雫も離れるタイミングを逃したのかずっと俺を掴んだままだった。

 突如、く~んと腕の中で可愛らしい鳴き声が聞こえた。

 沈黙を破ったのはさっきからずっと電柱を見つめていたマロンだった。

 電柱に隠れていた少女は「……わかりました」と鳴き声に返答して、おずおずと隠れていた姿を現していった。


 そよ風に流れる長髪。獣耳族特有の耳と尻尾、そのすべてが銀色に輝いている。澄んだ藍色の瞳の持つ彼女は、クララが太陽なら間違いなく月という表現がぴったりだ。


「失礼しました。その子……くーちゃんはわたしの連れです」


 先ほどとは打って変わって、おどおどしていた態度が嘘のようにハッキリとした口調だった。なるほどこの子はくーちゃんというのかマロンという名は俺の中だけで止めておこう。名前を栗にしとけばクリのくでくーちゃんになったのに惜しいことをした。って、どうでもいいか。


「連れ?」

「はい。獣人界は動物と話せますから、飼い主、ペットという感覚はありませんので」

「あ、そうだったんですか!! すいません」


 しまった! 異世界のことなのだからもう少し言葉に気をつけるべきだった。異世界好きと豪語しているのに凡ミスをしてしまった。


「あ!! い、いえ! お気になさらないでください!! そういうつもりで言ったわけではありませんので!!」


 急に慌てだした銀色の少女に他意は無かったらしい。どうやら気を使わせてしまったようだ。


「えっと、それより捕まえてくださりありがとうございました。はぐれてしまってずっと捜していたんです。くーちゃん、お家に帰りましょうか」


 少女が手を差しのべながら俺(の腕のなかのくーちゃん)に近づいてくる。だが、


『くっ』

「はい?」


 くーちゃんが一鳴きしたとたん笑顔が凍り、立ち止まってしまう。


『くーん』

「そ、それはちょっと……」


 すごいな。本当に会話が成り立っているようだ。その証拠に銀色の少女はくーちゃんが鳴くたびに反応をみせている。


「どうかしたんですか?」


 内容が気になり冷や汗をかいて動こうとしない少女に声をかける。その少女は気まずそうに俺へと視線を移すと口を開いた。


「くーちゃん、居心地がいいのでもう少しこのままでいたいと……」

「このまま? こうやって腕に抱かれるのが?」

「……はい」


 絞り出すように声をだしている。そんな印象を受けるほど困った顔をしている。


「あーじゃあ、これからバイト行くんで、そこまでだったら付き合いますよ? 雫もいいよな」


 事の成り行きを見守っていた妹に声を掛ける。


「いいですよ。兄さん。時間もまだありますし」


 雫はまだ俺の服を掴んだままだったが気にした様子はない。

 バイトの時間まで余裕はあまりなくなっていたが、ギリギリで遅刻はしないだろう。


「……ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきますね」

「たいしたことじゃないですから。そういえば名前聞いてませんでしたね。俺は周藤遥真。こっちは妹の雫です」


 雫は軽くお辞儀をして対応した。

 バイト先まで短い時間だが名前を知らないと不便に思え、名乗ることにした。


「私は……」


 最初は言いよどんだ彼女だったが、次の瞬間、はにかみながら答えた。


「私はレイシア。レイシア・ラスティムといいます」


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