グレーはグレーのまま。
「え、佐野課長、今月誕生日なの?」
「しーっ。山口さん、声大きいですよ。ここ会社の最寄り駅なんですから、もう少し、音量落として下さい」
私は人差し指を口元に当てながら、山口さんに注意した。
ここは、駅構内のカフェ店。出社前の朝。
最近私、高垣 美由と、彼、山口 智さんはこの店におけるエンカウント率がひじょーに高い。私は元々、毎朝立ち寄っていたお店なので、山口さんの来店する頻度が増えた、ということだろう。
これがもし毎日遭遇、とかだったなら、少々鬱陶しいと感じたかもしれないが。遭遇率は週に一回程度で。そして会社では挨拶以上の会話をしない、という姿勢を貫いていらっしゃるので、絶妙に許容範囲の距離感を保っているのだ。
おそらくその絶妙さは、偶然などではない。
さすがの私でも、薄々感じるものがあるのだが……。
グレーはグレーのままの方がよいことも、ある。
正直、今のこの距離感が私には居心地がいい。私には山口さんとしか話せない話題があるからだ。
一つ目はアキちゃんの話。
二つ目が佐野課長の話。
私の中で結構重要な位置を占めているこの二人について語ることができるのは、山口さんだけなので。
「私も最近知ったばかりの情報でして。なんか9月21日だそうです」
「敬老の日かぁ……渋いね」
渋い。そう。それは私も思ったが、そこはスルーしましょう。本人もおそらくその突っ込みはもう聞き飽きていそうなので。
「当日はバリバリのシルバーウィークでお互い予定があり、お会いできないのですが。18日の金曜日に仕事終わりで夕飯をご一緒することになったので、その時に何かプレゼント的なものをお渡し出来たらいいなー、とか思いまして。どんな物がいいかなー、と……山口さんの男性目線の意見も参考までに伺いたいわけです」
「なるほどなるほど」
山口さんはブレンドを一口飲んだ。
「大切なのは気持ちだから、高垣さんが選んでくれた物なら、佐野課長、なんでも喜ぶと思うけどな」
「はい。それは重々わかっております。しかし」
私もブレンドを一口飲んだ。
「たとえ私が選んだ物であっても、実際には熊が鮭を咥えた置物とか貰っちゃったら、非常に困りますよね? それが現実というものです。よって今、建て前とかそーゆーの、要りませんから。現実的なアドバイスをお願いします」
「現実的な……ですか。」
山口さんはハハハ……と苦笑した。
「一番現実的で、100パーセント確実に佐野課長が喜ぶプレゼントなら、一つわかるけど」
「え。何ですか、それは?」
私は身を乗り出した。
「ズバリ、夕飯の後、高垣さんがそのまま課長の部屋にお泊まりすること。だね」
「み、身も蓋もない……」
「一番現実的な案デスヨ? 男性目線では」
山口さんは笑顔を浮かべているが。
私は乗り出した身を背もたれに戻した。
「なんか、箱に入れて包める範囲で現実的な物、でお願いします」
「うーん。それならさ、実際見ながら探そうよ。高垣さん、今日仕事のあと、時間ある?」
***
てなわけで。私と山口さんは会社から電車で数駅のところにある、ショッピングモールにやって来た。
オサレな雑貨店に入ってみる。
私は実用性の高い生活用品に的を絞って探してみた。だって、 佐野課長みたいな大人の男性の好みとか、まだよくわからないし。ネクタイとか身に着けるものはリスクが高くて、恐い。
しかし色々なものがあるなぁ……。
買わないとしても、見てるだけでも楽しいかも。
お。キッチンツールも色々あるぞ。
課長はお料理得意だから、こんなの喜ぶかなぁ。
「山口さん、見てください。これ、中にニンニクとかショウガとか入れてプッシュすると、みじん切りになるらしいですよ」
「高垣さん、これ。このしゃもじ、こうやって、自立するらしいよ」
便利ですね〜。
便利だね〜。
ニコニコニコニコ。
……で、使うのか?
あれば便利だが、無きゃ無いでなんとかなるっぽい感が半端ない。
うーん。やはり主婦では無い二人では判断出来ないのでキッチンツールは却下だ。
ハァ……と私は息を吐き、隣の棚に目を移した。
あ。
これ。可愛い……かも。
私は赤い色のマグカップを見つけて、手に取った。シンプルな形で、手に持ち易くて、この、赤い色が可愛いなぁ。
私はカップを持ち、360度眺めながら、笑顔になる。
「それ、ペアカップみたいだね」
山口さんが教えてくれて、男性用の方を取ってみせてくれた。
男性用は同じ形で色違いの濃紺だった。
私は吸い寄せられる様にカップを見つめた。
あの時の、課長の傘と同じ色。
顔が、みるみる赤く染まってしまう。
まるで今手に持っている、この女性用のカップみたい。
赤と、濃紺が。
まるで、私と課長みたい。
そんなことを考えてしまう私は、乙女なのか。そうなのか。
「とりあえず、山口さん」
私はマグカップを二つ持ち、レジに並びながら声をかける。
「その生暖かい目でニヤニヤしながら私を見るのを止めて下さい」
「ハイハーイ」
私が店員さんに「プレゼント用です」と告げているのを聞き、またもやニヤける山口さん。
だから。やめろって。もう!
***
「山口さん、今日はありがとうございました。助かりました。今度、何か奢りますね!」
私はペコリと頭を下げた。
私達は帰りの駅のホームに並んで立ち、電車を待っている。
もう一度会社方面に戻る電車に乗り、私はそのまま乗り続けるが、山口さんは途中で降りる形だ。
「じゃあ、コーヒーね。アキちゃんの店の」
山口さんが微笑む。私も微笑んで、視線を前方に向けた。
「あ……雨、ですね」
サアアアーー、と音がして、ホームの外で次々と傘が花開くのが見える。
最近「雨」というキーワードは、私の心にさざ波を起こすようになった。
もしかして、山口さんにとっても、「雨」はさざ波ですか?
雨の降り出した空を、黙って見つめ続けている山口さんの横顔を見上げていたら、なんとなく、そんなことを思ってしまって。
山口さんが保って下さっているこの距離感は、私にとってはひどく居心地がよいもので。
でも、山口さんにとっては……
私は俯いて、自嘲気味に笑う。
苦しくないですか、とか。
そんなことを言う資格も権利も確実に無い。
そんな私の心の内を知ってか知らずか、空を見つめていた山口さんが口を開いた。
「俺もさ、買い物楽しかったし。こう見えて結構、打算もあったりするから」
気にしないで、と笑う。
そうですか……安心しました。
私は静かに微笑んで、山口さんを見上げた。
「打算、そのまま持っていて下さい。100パーセント善意です、とか言われたら……受け取れなくなってしまうので」
「高垣さん、営業、向いてるね」
その、相互に利益が出るように持っていくところ、いいね。
「山口さんも、企画、向いてると思いますよ。山口さんの企てた案に、私……乗っかってみようかな、とか思ってて」
山口さんが、少し驚いた様に目を開いた。
それから目元を和らげて、優しく言った。
「保証しますよ」
と、右手の親指を立ててみせた。
私達は顔を見合わせて、笑った。
間も無く電車がホームにやって来て。
私はマグカップの入った紙袋をしっかりと、握りしめた。