入ってもいい?
「高垣〜」
佐野課長の呼びかけに私は「ハイ」と返事をして、入力中だったパソコン画面から顔を上げた。
課長は右掌を下に向けてチョイチョイ、と手招きしていたので、私はいったん入力中だった画面を上書き保存してから、急がずに素早く、課長のデスクに馳せ参じた。
「何でしょう? 課長」
「これ、昨日営業の同行してもらった時の内容をまとめた報告用の書類な。俺がおおまかな流れだけ作ったから、細かいところとか数字の入力とか、仕上げてみてくれるか。終わったらもっかい、俺に見せて」
「はい。いつ頃までにお見せしたらよいでしょうか?」
「最終的には今月末日までの提出。だから俺のところには、その数日前までに持ってきて欲しいね」
「わかりました。できるだけ早めにお持ちしますね」
私が一礼して、自分のデスクに戻ろうとしたところ、「それから、」と課長が私を呼び止めた。
「お前、企画部の山口さん……て、親しかったか?」
え。
山口さん……ですか?
佐野課長からその名前が出たことに、いささか驚いた。だが、今、カフェ店でのあれこれを話すような場面では無いしなぁ……
「親しい、という程ではないですよ。営業部とは同じフロアですから顔は知ってますし、会えばご挨拶する、という程度です」
「まぁそう、なんだろう、けど……。うーん、気のせいかな。今朝たまたま二人が一緒に出社してたのを見たんだが……」
佐野課長はメガネの奥の瞳を一瞬光らせ、私を探るように見つめた。しかし、何も見つからなかったらしく、諦めたようにフゥ……と息を吐く。
「会社で仕事中だと、無理なんだよな。さすがの俺でもまだ、入れない……」
入れないって、どこに⁇
私がキョトンとしていると。
「いや、こっちの話。……今日、仕事終わった後、ちょっといいか?」
「はい。大丈夫です」
私は再び一礼して、自分のデスクに戻った。
***
「いただきまーす!」
退社した後、私は昨日ぶりに課長のマンションにやってきた。「なんか、飯作ってやる」とのお言葉に、瞳がキラキラと輝いてしまった自覚があるが、餌付けとか、されませんから!
……されない、ハズ。
課長は帰宅して、部屋着に着替えると、キッチンの冷蔵庫を覗き込み、「急だからなー、適当な」と言ってサラダ、パスタ、スープの3品をちゃちゃっと作りあげた。
でた!
冷蔵庫にあるものだけで、ちゃちゃっと作っちゃうパターン、ですね⁈ 普段からホントに料理してる、真の料理上級者のみが使えるスキル! そして「適当」とかいいつつ複数品作ってくれて、食べたらめっちゃ美味い! というあのパターン! ですよね⁉︎
パクリ。
美味っっっ。
何これ。平日ランチ800円とかだったら行っちゃうレベルなんですけど!
課長……さすができる子! もはやどこに嫁に出しても恥ずかしくないレベル!
いやいやいや。餌付けとか、されてないですよ。
……されてない、ハズ。
私は上機嫌で、ほくほくとご飯を頂き、「ごちそうさまでしたー。すごく美味しかったです!」と手を合わせた。課長は「おそまつさまでした」と笑い、お皿を下げると、食後のコーヒーを私の前にコトリ、と置いてくれた。
「で、山口さんについて、なんだけど」
ん?
なんか、さてここからが本題です、みたいな空気が。え、あのめっちゃ美味いパスタさん達が前座?
山口さん問題は、そんなに重要な案件、なのですか……?
「なにゆえ今朝山口さんと出社の件、ですよね……。うーん、話すと長くなるのですが……」
私は、以前駅構内のカフェ店で偶然山口さんと出会った事と、ついでに課長にもアキちゃんの可愛さを満面の笑みで語り。そして今朝再び彼と偶然カフェ店で遭遇した話をした。
私と課長がお付き合いすることになったことを知られてしまったが、誰にも口外はせず、何かの時には相談に乗ってくれるらしい……という事も。
「ふぅ〜ん……」
課長は頭の中で私の話を色々と整理しているらしい。右手で口元を覆い、視線を伏せて、何やらブツブツと唱えている。
「まだ出社前……アキちゃんに浮かれた高垣……なるほど。垣間見えちまったところからの、」そこでひー、ふー、みー、と指を折り。「四ヶ月……昨日のロビーで俺達を目撃……で、」
私の方にチラリ、と視線を向けた。
「今朝、偶然、現れて。俺と付き合ったことを確認し、相談相手に立候補……と」
私が頷くと、課長は俯いてクックック……と肩を震わせ苦笑した。
「なかなか天晴れな男だな、山口」
と、突然山口呼ばわりし始めた。
え。敬称取っちゃいます? ……まぁ、課長の方が年上だから問題ないですけど。山口さんはたしか私の三期上の方なので、今27歳位のハズ。
「言っとくけど、気に入らない奴とか思ってるわけじゃ無いよ。むしろスゲー、とか思ってる。ちょっと男として、対等に見る気になったかも」
はぁ……だから敬称略、ですか。
「美由相手の難しさは俺もよくわかってるからな〜。ホント隙が無くて長期戦は必須だし。なかなか入れないわけなんだけど……」
ぬあ! な、名前呼び変化っ。
なんかスイッチ切り替わっちゃうんですか⁈
「相談相手……ね。もう俺に先越された、ってわかってもそのポジで入って来ちゃうわけでしょ? 凄いよな〜。そんで今後、もし何かあったとしたら、その情報を最速でゲットできちゃうし、先約が居なくなった場合は後釜最有力候補、だろ? いやはや……現状では最善の判断だよな」
???
先程から入る入れないって、どこへ?
どこに?
私がわかっていない、ことを課長はわかっている、のだろう。
課長は私を見つめてくすり、と苦笑した。
「つまりね……俺は幸せ者だなぁ、ってこと」
課長がふわり、と私を抱きしめた。
「か、課長……」
「課長……?」
「……ひ、弘也さん……」
「正解」
あわわわ……なんか次々とスイッチ切り替わっちゃうんですかああ!
ギブギブギブギブ……!
脳内では何度も弘也さんをタップだが、実際にはただ硬直するのみ、の私。
「せっかく俺を境界線の内側に入れてくれたんだから……絶対、美由が嫌がることは、しない。大事に大事にしたい。だからいつか……もう少し、入っても、いい?」
どこに、何が?
なんだか凄い意味にも取れるんだが……き、気のせい……? ええい!
恋愛偏差値低いから、わからーーーん!!!
脳内でドンガラガッシャーン! と盛大にちゃぶ台をひっくり返した私も、カチリ、とスイッチが入ったように、肝が座った。
私は、硬直していた身体からゆっくりと強張りを解き、それに気付いた弘也さんが腕を緩めた隙に、スルリと弘也さんの首に腕を回す。
昨日の車の中で、色々教えてくださいね、と宣った私だ。
教わったことは、実践せねば、なるまい。
私は弘也さんの耳元に唇を寄せて、甘く囁いてみせた。
「いいですよ……弘也さんなら。いつか私に、もっと、入って、ください」
そしてそのまま唇を下ろし、首元にちゅ、と。
ドッカーーーーン!!!
弘也さん、爆発、です。
爆発させちゃいました(^−^)v
お読み頂き、ありがとうございます。