なにが、あったの。(山口視点)
あのカフェ店での出会いからはや四ヶ月が過ぎた。
季節は巡り、春から夏へ。
仕事中の高垣さんは、相変わらず高垣さん、だった。
ザ・仕事一筋。
隙がまったく、無い。
あざとさもまったく、無い。
あの日俺に見せてくれた、無防備な笑顔と、寄せられた口元と、見上げられた上目遣いの瞳。
あれは、あの日あの時だけの、奇跡のような瞬間だったようだ。
まだ出社前で仕事モードではなく、ずっと想いを寄せていたアキちゃんの名前を知り、テンションが上がりきっていたが故に起きた、奇跡。
その後社内で会って挨拶はしてくれても、高垣さんがあの日のあのような振る舞いをすることは無かった。
彼女のまわりには、まるで目には見えない境界線のようなものがあって、その中に恋愛という要素を入れてくれない。
ハァ……
俺は今日も溜息を吐いた。
今はまだ、なんもできねー。
高垣さんがもう少し仕事に慣れて、まわりを見てくれるようになるまで。
彼女が仕事に集中したい気持ちを、尊重してあげよう。うん。
ザアアアアアーーーッッッ
うわ、すげー雨。
その日。会社の中に居ても少し恐怖を覚えそうな程、激しい夕立ちが降っていた。
俺はそれを窓から呆然と眺め、これは、やむまでは外出は無理なのでは? と思案する。
まもなく退社できる時刻だが、しばらく会社で待機した方が良いだろうか……?
俺は一階に降りて、外の様子を見に行くことにした。
高垣さん……⁈
一階のロビーには、全身びしょ濡れになった高垣さんがたたずんでいた。
だ、大丈夫ですか⁈
俺が声をかけようとするよりもほんの少し早く。
長身の男性が近づき、彼女にタオルを渡す。
あれは、営業部の、佐野課長……
高垣さんの、直属の上司にあたる人だ。
高垣さんほどではないが、佐野課長の方もかなり濡れてしまっている。
おそらく、二人とも外回りか何かで外出していて、この突然の雨に降られてしまったのだろう。
俺が何も言葉を発することができぬまま、物陰から見つめていると、やがて二人は外に向かって歩き出した。
佐野課長が濃紺の傘を広げて、高垣さんが会釈してその中に入る。
え。
なんで。
あんな状態で。二人一緒に。どこへ。
俺はその日一日、帰宅して寝床に就くまで悶々と過ごすこととなる。
高垣さん……
……
……
……
……ええい、くそ!
気になって眠れねぇ〜〜!!
次の日の朝、俺は。
迷いに迷った挙句。
いつもより20分早い電車に乗ることにした。
「おはよう、高垣さん」
駅構内のカフェ店にて、無事に高垣さんに遭遇する。四ヶ月ぶりの遭遇だ。あの時と違い、今回は故意の遭遇であるが。
「山口さん! おはようございます」
「久し振り。今朝もちょっと早く起きちゃってね」
ホントは一睡もしてない、がな!
「今日もアキちゃん、元気そうだね」
「そうですね!」
アキちゃんの名前を出した途端、高垣さんは笑顔になった。アキちゃん、スゲェな。
俺は穏やかに微笑みながら、高垣さんの隣の席に腰を下ろした。
さて。
重要なのは、ここからだ。
「そういえば、昨日夕立ち凄かったよね。高垣さん、帰り大丈夫だった?」
ボン!
高垣さんの顔が一瞬で赤くなった。
「そ、そうですね……一応……大丈夫……でした……ハイ」
……
……
……
……なにが、あったの。
俺はテーブルに両肘をつき、指を組み、項垂れる。orz……。
この四ヶ月……
高垣さんを見つめて……
想いを抑え……
仕事に集中できるよう、見守ってきたというのに……
ここにきて、別の男に持っていかれるとは……⁈
う、そ、だ、ろ〜〜!!
「あの、山口さん……?」
「……高垣さん」
はい? と首を傾げる彼女に、俺は静かなる決意を述べることにする。
「ごめん、高垣さん。俺、昨日見ちゃって」
「?……何を」
「もしかしてだけど、佐野課長と、付き合うことに、なったんでしょう……?」
「!!」
高垣さんはアワアワと狼狽え……そのリアクションでもって、俺の言葉を肯定する。
「ああああの、山口さんっ。このことはどうぞ、内密に……」
「大丈夫。俺は高垣さんの味方だよ。絶対、誰にも言わないから、安心してね」
高垣さんはあからさまにホッとして、肩の力を抜いた。
「俺、高垣さん達のこと、応援しているから。何か困ったことがあったら、いつでも言ってね」
高垣さんの瞳が驚いたように見開かれ、うるうると潤み、「山口さん……! ありがとうございます!」と、感激された。
「実は私、恋愛偏差値とか低くって、色々とわからないことでいっぱいだったんです。だから今後、もし何かあった時には、相談させて頂けたら、嬉しいです!」
俺は、俺史上最高の微笑みを浮かべてみせた。
そうだね、高垣さん。
高垣さんの恋人の座は、佐野課長に譲るけど……。
今後、もし何か、あった時には。
一番に、俺に、相談してね。
相談相手、のポジションを。俺にちょうだい。
もし君が困っていたら、一緒に考えさせて。
もし、嬉しいことがあった時はまた、あの笑顔をみせて。
俺はこれから、君にとってのそんな存在に、なってもいいですか?
君の境界線の内側に、俺も。
どうか、入れてください。
そして、もしもいつか、叶うなら……
……なんてな。野暮だな。
でも、想うのは、自由だよね?
俺は静かに、微笑んだ。
「そろそろ行こっか、高垣さん」
「はい、行きましょう」
俺と高垣さんが席を立ち、カップとソーサーを返却棚に下げると。
「おそれいります、ありがとうございます!」
アキちゃんの明るい声が響いたので、俺と高垣さんは、二人で顔を見合わせて笑った。