マジか!(山口視点)
四月某日。その日俺は、珍しく早起きをし、普段より20分程早く会社の最寄り駅に着いてしまった。
このまま行くのはちょっと早い。
会社は駅から徒歩5〜6分で着けるし。
どこか……ああ、駅構内のカフェ店でコーヒーでも飲んでいくかな。
俺は手堅くブレンドを注文すると、一人掛けの椅子が幾つか横に並んでいる席のひとつに腰を下ろした。見るともなく隣を見る……と、見知った顔があった。
「あれ……高垣さん?」
俺は多少驚いたので、思わず声を掛けてしまった。
高垣……たしか、美由、さん。
昨年新卒で入社し、営業部へ配属となった子だ。
新入社員の女の子……というものに、男は大なり小なり注目するもので。
かくいう企画部五年目となるこの俺、山口 智27歳も、営業部という、同じフロアのよく目にする部所に配属された彼女の、顔と名前を覚えてしまう程度には注目していた。
身長は女性としては少し高めで、健康的な綺麗な肌をしている。
髪は肩より少し短い、ショートボブ。くせの無いサラサラなストレートをブラウン系に少し明るくカラーリングしていて。
メイクや服装はいつもナチュラルでシンプルにまとめられていて、きちんとした感じの……清々しい女の子だ。
顔立ちは普通だが、彼女の健康的な明るさや、ナチュラルで清々しい雰囲気に好感を持つ男は、当時結構いたのではないかと思われる。……俺を含めて。
しかしまぁ、彼女はとにかく仕事一筋で、男共の繰り出す秋波やらなんやらを、故意なのか天然なのか、バッサバッサとぶった切り。
一年が経過した今、高垣さんに手を出そう、などという猛者はすっかりなりを潜めてしまっていた。
男がつけいる隙を見せない。
男に媚びるあざとさもない。
それが高垣さん。……というのが俺の認識だった。
その、高垣さんが。
今、俺の隣でコーヒーを飲み。
幸せそうにくふふ……と笑っているのだ。
これが声を掛けずにいられようか。
「えと……山口、さん……?」
高垣さんも俺の顔と名前を覚えてくれていた。
同じフロアとはいえ、違う部所なのにな……なんか、嬉しいかも。
色々と話しかけてみると、彼女は丁寧に返事をしてくれた。俺は気を良くして、思いきって少し踏み込んだ質問をしてみる。
「ところで高垣さん、さっきなんだか嬉しそう〜な顔、してたけど。何かいいことでもあった?」
「え。わかりますか?」
高垣さんはパァ……っと瞳を輝かせ、嬉しそうにくふふ……と笑った。
俺はその眩しい笑顔に、息を飲んだ。
それは仕事中は決して見たことのない、初めて見る顔だった。
「聞いちゃいます? 聞いちゃいますよね? あのですね……」と言って、高垣さんが口元を俺の顔に近づける。
マジか!
あの、隙を見せたことの無い、高垣さんが。
そんな無防備な顔で、こんなに距離を詰めるとか。
俺は動揺を隠しきれずにいたが、必死で高垣さんの話に集中し、相槌を打つ。
高垣さんは終始嬉しそうに、このカフェ店の店員の女の子の話を聞かせてくれた。
「つまり、アキちゃんは高垣さんの、心の友である、と……」
「そうなんです! 私毎朝出勤前にここでコーヒーとアキちゃんの可愛さを存分に堪能して、『よーし、今日もお仕事がんばるぞー』ってこっそり元気もらってから出社してたんです! ……だから、今日初めて彼女の名前が判って嬉しくて嬉しくて……」
「そっか……」
夢中で話している内容も微笑ましくて可愛いが、なによりもその、初めて見せてくれた笑顔が……
「可愛い、ね」
高垣さんは。
「はい! アキちゃんはホント、可愛いのです! ……あ。そろそろ時間ですね。すみません、長々とお話ししてしまって。行きましょうか」
高垣さんが立ち上がり、俺もあとに続く。
高垣さんご贔屓の店員のアキちゃんの「おそれいります、ありがとうございます」という言葉に反応し、高垣さんがまた、思わずといったようにふふ……と笑って。
下から上目遣いで俺を見上げた。
マジか!
あの、あざとさのかけらも無い、高垣さんが!
丸顔で、大きな瞳をした高垣さんが、下から上目遣いで見上げてくる、とか。ヤバイ。
今まで、職場の誰にも向けたことの無いであろう笑顔と仕草を、今うっかり俺に、見せちゃってるのか……
「ね? 可愛いでしょう?」
高垣さん。俺は。もう。たぶん。
「うん。可愛いね。……ホントに、可愛い」
だめだ。
君に、恋に、落ちた。