アキちゃん、です。
「いらっしゃいませー」
ウィン、と自動ドアをくぐると、カウンターの中から店員の女の子が明るく声を響かせた。
「ブレンドお願いします」
「200円です」
店員さんはピッピッ、とレジにブレンドの値段を打ちこむと、振り返って後ろの機械に白いカップをセットし、カチッとボタンを押した。
ヴィ〜ンと音がして、カップにコーヒーが抽出される。コポコポコポ……
「お待たせ致しました」
店員さんはソーサーの上に抽出の終わったカップを乗せ、私の前に出してくれる。
その時にさりげなく、ソーサーにセットされていたシュガーやクリープを、取り除いてくれた。
私はこの瞬間、心がホワリと温かくなる。
ここは会社の最寄り駅構内にあるカフェ店。
コーヒー好きの私、高垣 美由は、出社前にここでブレンドコーヒーを一杯飲むのが日課である。
急いでいて、寄らずに出社する日もあるけれど。月曜から金曜までの平日5日間、ほぼほぼ毎朝通っている私は、立派な常連さんであろう。
そして今カウンター内にいる女の子も、基本的に平日早番勤務であるようで。つまり私と彼女は、平日の朝はほぼ顔を合わせることになる、という訳だ。
通常、ブレンドコーヒーを注文した場合、ソーサーにスプーン、ミルク、シュガーをそれぞれひとつずつ乗せたものを渡してくれるのがデフォルトだが。この店員の女の子は、立派な常連と化した私の好みをいつからか悟ってくれたらしく、ブラック仕様で渡してくれるのである。
か、可愛いじゃないですか!
直接話したことなどもちろん無い、しがないお客と店員なだけの私達だけど……彼女はこうして私の顔を覚えてくれていて、こっそりと気配りしてくれているわけですよ! 萌え!
私がカウンターでコーヒーを受け取り、いそいそと座席へ向かおうと踵を返しかけた時。
カウンター内にもう一人居た店員さんが「アキちゃん」と彼女を呼んだのを、わたしの耳がダンボになって聞き取った。
アキ、……だと⁈
なになに!
彼女、アキ、っていうのかい⁈
か、可愛っっ。
つ、ついに、ついに名前が判明しちゃいましたよ!
今まで勝手に私の中で心の友、と呼んでいたけど。今日からはアキちゃん! アキちゃんと呼ぼう!
席に座ってくふふ……と笑顔を滲ませながら、私はコーヒーに口をつけた。
いやぁ……今日のブレンドは格別美味いね!
よーし、今日もお仕事、がんばるぞー。
と、私が完全に気を抜いて座っていたところ……
「あれ、高垣さん?」
右隣の席から男性の涼やかな声が聞こえた。
「えと……山口、さん……?」
そこに居たのは同じ会社に勤務している、企画部の山口さん、であった。
少し茶色がかった柔らかそうな髪は手櫛で束感を出すようにワックスで整えられ、体型は細身でスラリとしており、今どきのイケメン、という感じだ。
私の脳内スカウターで計測させて頂いたところ、身長は178cm、といったところか。
「偶然だね。ここにはよく来てるの?」
「はい。出社前によく立ち寄るんです」
「そうなんだ。高垣さん、コーヒー好きでよく飲んでるもんね。俺は、普段はもう少し後の電車に乗ってるんだけど、今日はたまたま早めに着いたから、寄ってみたんだよね」
そう言って山口さんはコーヒーを一口飲んだ。山口さんもブレンドを注文したようだ。
ブラックで飲んでいる。
「ところで高垣さん、さっきなんだか嬉しそう〜な顔、してたけど。何かいいことでもあった?」
「え。わかりますか?」
そうなんですよ! 私の心の友の名前が先ほど判明したのです!
一気にテンションMAXまで上昇した私は再びくふふ……と笑い、「聞いちゃいます? 聞いちゃいますよね? あのですね……」と言って、ナイショ話をするために、口元を手で覆いながら山口さんに顔を近づけ、声を潜めた。
「今、カウンターの中にいる店員の女の子、いるじゃないですか。わかります? レジ打ってる方の。……彼女は平日早番勤務みたいで、私と毎朝顔を合わせていたんですけど……」
と、私はマイ心の友アキちゃんとの出会いのくだりから、本日名前が判明するまでのお話を、かいつまんで説明する。
今まで山口さんとは特別親しかったわけではない私が、突然顔を近づけてナイショ話を始めたことに、最初山口さんはかなり狼狽えた顔をしたものの、私の話を「うん」とか「へえ」とか相槌を打ちながら、最後まで丁寧に聴いてくれた。
「つまり、アキちゃんは高垣さんの、心の友である、と……」
「そうなんです! 私毎朝出勤前にここでコーヒーとアキちゃんの可愛さを存分に堪能して、『よーし、今日もお仕事がんばるぞー』ってこっそり元気もらってから出社してたんです! ……だから、今日初めて彼女の名前が判って嬉しくて嬉しくて……」
と、終始笑顔で話す私を、山口さんは穏やかな微笑みで見つめていた。
「そっか……。可愛い、ね」
「はい! アキちゃんはホント、可愛いのです!……あ。そろそろ時間ですね。すみません、長々とお話ししてしまって。行きましょうか」
残りのコーヒーを飲み干して、席を立つ私に続き、山口さんも立ち上がる。
カップとソーサーを返却棚に置き、出口へ向かうとアキちゃんが「おそれいります、ありがとうございます」とお見送りの言葉をかけてくれた。
それを聞いてまた、思わずふふ……と笑ってしまい、「ね? 可愛いでしょう?」と山口さんを見上げると、やっぱり山口さんも穏やかに笑う。
「うん。可愛いね。……ホントに、可愛い」
山口さんは、私を見つめながら、呟くように言うと、「行こっか」と歩き出した。「はい」と私も並んで歩き出した。