完敗、です。
「まずは俺が上司として高垣を評価しているところを挙げるので、よく聞きなさい」
佐野課長は左の掌をパーの形に開いて、顔の横に持ってきた。
「お前はさ、俺が何か指示を出したとするよな? そしたらね、ハイ! っていい返事をして、すぐやるんだよね。それで間違えたらゴメンナサイ! って謝る。そして次からは改める。わからないことがあったら俺にたずねる。助けてもらったらアリガトウゴザイマス! と笑顔で言う。わかるか? いい返事。すぐ行動。きちんと謝罪して改良。素直に聞く。人に感謝する」
佐野課長は左手の親指、人差し指、中指……と順に五本折っていき、グーの形になったところで私の目をしっかりと見て、相変わらず穏やかな笑顔を浮かべる。
「俺が上司として、高垣を部下として、どう思ってきたか、わかる? なにこいつ。めっちゃいい返事。めっちゃすぐ動く。めっちゃ素直。めっちゃ頭いい。めっちゃ笑顔可愛い。つまり? 俺はお前がめっちゃ可愛い。俺はお前をめっちゃ育てたい……って思ってる、ってこと」
私の顔がみるみる赤く染まる。
何回めっちゃ、使うんですか。
それよりも何よりも、て、照れる。
尊敬し、憧れていた佐野課長に、こんなふうに思われていたとは……
う、嬉しすぎるし……!
「ありがとう、ございます……」
私は顔を真っ赤にしたまま、ペコリ、と頭を下げた。
課長は「うん」と私の言葉を受け「それでな、」と話を続ける。
「高垣は部下として可愛い。育てたい。それは間違いないんだが。俺はな、男としてもお前が可愛い、育てたい、と思っているんだよね。それで上司としても男としてもお前のことを非常~によく見てきて、お前が普段何を考えているのか非常~によくわかるようになったんだな」
ん?
今何か色々重大な発表があったような気が、するん、ですけど……
え?
「高垣が普段何を考えているか。ズバリ『佐野課長カッコイイです! あ、でも自分入社二年目でまだまだ仕事覚える事とかたくさんありますよね! 課長を恋愛対象としてみるとかそんな! 不謹慎ですよねスミマセン仕事しますスミマセンスミマセン』……と。まぁこんな感じだ」
「課長、実はエスパーですよね? そうですか。エスパーですか。エスパーなんですね。私マスコミに公表とか絶対しないんで、正体表して下さい!」
「だからこれは、高垣限定なの。俺がお前をずっと見てきたから、というのもあるが、お前は裏表がなく感情が読みやすい、というせいもある」
なんてこった!
今まで清く正しく生きてきたのに!
不埒な感情が上司にダダ漏れだったなんて!
しねる!
今なら私恥ずかしねるううぅぅ!!
佐野課長はそんな私の悶えっぷりを穏やかな笑顔で見つめながら「まぁ、今までは、俺もお前の考えを尊重してきたんだけどねぇ……。今日、わかっちゃったからなぁ。高垣は、わかってるかなぁ……」と何やら思案している。
……何がでしょうか? 私今までの羞恥プレイで息も絶えだえなのに、まだ何か、考えなくてはならんのですか。
「高垣は今日、なんで俺のマンションに来ちゃったかな?」
え。
だから、それは……
「夕立ちで、全身濡れてしまって、電車もタクシーも乗れないし、着替えをお借りできたらと……」
「それ、もし俺以外の男のマンションでも、行ったかな?」
佐野課長以外の?
例えば、部長とか、同期の誰か、とかだったら?
あれ、私……
「行かないよな。絶対行かない。高垣はね、頭もいいし、しっかりしてる。それは俺もよく知ってるんだよ。お前はね、いくら全身びしょ濡れだからって、職場の仲間だからって、男のマンションで二人きりになるとか、シャワー借りるとか、着替え借りるとか、普段なら絶対にしないよ。……俺が何を言いたいのか、わかる?」
先ほどまで真っ赤であった私の顔色が、今度は青くなってきた。だんだんと、佐野課長が何を言いたいのか、わかってきたからだ。
課長はこういう人なのだ。
すぐに正解は教えてくれない。
自分で答えが出せるように、本人に考えさせる。本人が答えにたどり着けるように、筋道をたててくれたり、ヒントを与えてくれたりしながら……
こういう、優れた指導をしてくれる佐野課長だから、私は部下としてメキメキと成長してこれたのだった。
……答えは出ているんだけど、私が口を開かないので、ついに佐野課長がその一言を告げた。
「高垣、俺のこと、好きだろう。……男性として」
ピカッ
ザアアアアアーーーッッッ
……ああ。
あの突然の雨に匹敵する衝撃だ。
私はあの時と同じように、動きを止めて、下を向いてしまった。
……そして、どうしたんだっけ?
「ふ……」
そうだ。笑けてきたんだった。
人間て、不思議ですね。
私はあの時も今も、行ける、とか思ってたんですよね。自分の本当の気持ちを抑えたままでも、なんとかもつだろう……って。
でも、やっぱり、気持ちが溢れちゃって。もう誤魔化せないかもしれないって思ったら、もたないかもって思ったら、すごく恐くなっちゃって。
だけど、足掻くのをやめてしまえば、先ほどまでの恐れはなくなってしまう。本当の気持ちを出すことにしたら、こんなにも清々しい……
「高垣」
あの時と同じ低音ボイスの呼びかけに、私はピクリ、と肩を揺らし、顔を上げて、佐野課長の顔を見つめた。
私の口元には苦笑が浮かんでいる。
「大丈夫か?」
佐野課長は、穏やかな顔でこちらを見ている。
カチコチカチコチカチコチ……
時計の秒針の音まで聞こえてきそうな静寂がしばらく続いて……
やがて私は静かに口を開いた。
「佐野課長を甘くみて、スミマセンでした……。あと、私、課長のことが……好きです」
その瞬間、課長は、柔らかく目元を綻ばせて……
「やっと、言ってくれたな」
満面の笑みを浮かべた。
そして私の前髪をくしゃり、とかきあげて。
あらわれた私の額にそっ……と。
触れるだけのキスをした。
「俺も、お前が好きだ、美由」
私の顔にボン!と血が集まった。
完敗、です。