決行します。
くっ……なにやら変な空気になってしまった……
箱の蓋を閉じた私はちょっと項垂れた。
だが、しかし。
今日の私には重大な! 使命があるんですよ!
私はカバンの中に忍ばせていた紙袋をガサガサと取り出し、かしこまって椅子に座り直し、姿勢を正した。
「課長、21日がお誕生日ですよね。おめでとうございます。あの……これ、私から、プレゼントです」
テーブルの上に出してツツツ……と課長の前に差し出した。
課長は結構驚いた様で固まっている。
ですよねー。課長に夕飯作って貰ったり、ゲームで死闘を繰り広げたり、変な下ネタもどきを口走ったり、先ほどまでの私を見ていたら、「お前祝う気あったんかい」な状態が満載でしたよねー。
でも私は!
この為に、今日は来たんです。
朝から、色々、準備してきたんですよ、課長。
「ありがとう……。スゴイ、嬉しい。開けてもいい?」
はい、と私は頷いた。
課長は丁寧に包装を解いて、大事そうにゆっくりと、箱を開けた。中から出てくるのは、あの赤と濃紺の、ペアのマグカップだ。
私は赤くなってモジモジと、課長の反応を伺ってしまう。
喜んで、くれますか……?
「なんだか……俺と、高垣みたいだな」
課長が破顔している。
私は嬉しくて、更に真っ赤になってしまった。
そのカップを見て、私と同じこと、思ってくれたんですか。
そんなに嬉しそうに、笑ってくれるんですか。
……ありがとう、ございます。
課長、私。
私は。
課長のことが、大好きなんです。
それを伝えたくて、今日は来たんです。
朝から、色々、準備してきたんですよ、課長。
今から、それを、決行します。
聞いて下さいね。
「そのカップ、濃紺の方が弘也さん用で、赤いのが私用です」
弘也さんがおや、と眉を上げた。
いつもは弘也さんの方が切り替えるスイッチを、今日は私が、切り替えますよ。
覚悟はいいですか?
「そのカップで、明日の朝、一緒にコーヒー、飲みたいです。淹れてくれますか?」
弘也さんが驚きに目を見開いて、固まった。
カチコチカチコチカチコチ……
時計の秒針の音まで聞こえそうな静寂が続いて。
やがて、弘也さんが、満面の笑みを浮かべて……
「喜んで」
それはそれは嬉しそうに言って、私を優しく、抱きしめた。
***
そして今私は、シャワーをお借りするべく洗面室のドアをパタンと閉めて、しゃがみこんでいる。
言った……!
よく言った、私!
私のこのなけなしの恋愛偏差値で、あのような台詞を発するなんて!
がんばった。がんばったぞ、私!
山口さん、やりましたよ。
山口さんの案に乗っかって、決行しました。誉めて頂きたい!
私はふるふると震えながら立ち上がり、鏡を覗き込む。
そう……あの、マグカップを買った日から、決行する覚悟は決めていた。
一番現実的で100パーセント弘也さんが喜ぶという案を決行する、覚悟。
朝から色々準備もしてきた。
母には「飲み会があるから友達の家に泊まってくるね」と伝え、着替え、メイク道具、諸々洗面グッズなどをカバンに詰め。
全ては、この時の為に……!
弘也さん、びっくりしただろうな。
私は色々準備も覚悟もしていたけれど、弘也さんにとっては突然の事態、ですよね。
逆の立場だったら無理無理無理ーー! な状態だが、弘也さんは大人の男性だから、急でもなんとかなります……よね……?
なんか準備とか、あります……?
もしあったら、今私がシャワーをお借りしている間になんとかして下さい!
申し訳ありませんが!
とにもかくにも、私はシャワーをお借りすることにした。
一旦、落ち着こう。
***
そして今私は、私と入れ違いにシャワーを使いに行った弘也さんを待つ間、寝室のベッドにちょこんと体育座りをして、スマホをいじくっている。
でも画面なんて全然頭に入ってきませんけどね!
一旦、落ち着いたはずの私は、実は全然落ち着いていないようだ。
諦めてスマホをベッド脇のサイドテーブルに置き、抱えた膝におでこを着けて、丸くなる。
「美由?」
気がつくと、そんな私を、弘也さんが優しく覗き込んでいた。
ひゃ!
わ、忘れてた……! 入浴後の弘也さんは、あの、前髪パラリの、濡れたような瞳キラリの、ふぇろもんダダ漏れ弘也さん……!
はわわわわ! ……と、突然キョドり出した私を「美由? 美由! 落ち着いて」と、弘也さんが私の背中をぽんぽんと叩いてドウドウドウ、となだめ。なんとか大人しくなった私に優しく尋ねる。
「どうした、美由。……怖い?」
私は見つめてくれる弘也さんのキラリな瞳にあうあうと赤くなりながら、一生懸命説明する。
「あの、メガネをはずした弘也さんが、私の知らない、弘也さんで。初めて見る人、みたいで。いつもの弘也さんより、なんか若くって、色気があって、瞳を見ちゃったら、ドキドキしすぎて、緊張しちゃって……」
弘也さんはちょっと困ったように眉尻を下げて苦笑すると、優しく私の手を取って、自分の左胸に当てた。
トクトクトクトク……とても、早い?
私は思わず弘也さんの顔を見上げた。
「わかる? 俺も、めっちゃ、緊張してる」
「弘也さんも……?」
ふぇろもんダダ漏れの、大人の男性の、弘也さんでも、緊張するんですか。
「美由も今の俺と同い年になったらわかると思うけど……。案外、幾つになっても、たいして大人になんて、なってないよ。特に好きな子と初めて……とか。そんなの、普通に緊張する。それに、」
弘也さんは少し赤くなって、気まずそうに、ふい、と視線を横にそらした。
「初めて見る顔にドキドキするとか、そんなの美由だけじゃないんだぞ。俺だって、あの雨の日、美由の濡れた前髪が張り付いた顔が、知らない女みたいで、思わず額に口付けそうになったりだとか。俺の服を着て、だぼだぼの姿が可愛いすぎて、誰にも見せたくないって、悶えたりだとか。色々翻弄されてるし。……美由が思っているほど、余裕じゃないよ、俺も」
ええええ。
そ、そんな、衝撃の事実が!
「今だって、美由が、やっぱり怖いから無理! とか言い出したらどうしよう……って、結構焦っている」
弘也さんはそう言って、情けない顔をした。
いやいやいや。
この段階で。
やっぱり無理。……などという鬼畜な真似はひどすぎる! のはさすがの私にもわかります。
大人だ、と思っていた弘也さんも、私を見てドキドキしたり、翻弄されたり、焦ったり、してたんですか……
そうなんですか……
私は安心して、ふふ……と笑った。
「じゃあ、私とおんなじ、なんですね」
「うん、おんなじ」
弘也さんも、笑顔になる。
私とおんなじで、めっちゃ緊張、してるんですね。
私とおんなじで、めっちゃ幸せ、なんですね。
メガネの向こう側のあなたも、私とおんなじ、なんですね、弘也さん……
私は弘也さんの背中に腕をまわして、キュ、と服を掴んだ。
弘也さんも私の背中に腕をまわして、支えながらゆっくりと、私をあおむけに倒す。
弘也さんは私の顔の両側に腕をついて、上から顔を覗き込み、優しく微笑みながら、私の耳元に唇を寄せ、甘く囁いた。
「俺の知らない美由の顔……見てもいい?」
いいですよ。
……弘也さんなら。
もっと、見て、ください。
そのまま弘也さんの顔が近づいて……
私はゆっくりと、目を閉じた。