どうして、こうなった。
「あれ? これ、じぇんがですか?」
9月18日、金曜日、退社後。
佐野課長のマンションで夕飯をご馳走になった私は、ダイニングテーブルで食後のコーヒーを飲みながら、リビングにあるTVボードの一画に置いてあったそれを見つけて。懐かしさから思わず近づき、箱を手に取った。
昔流行りましたよねー。
「ああ……。この前、甥っ子が遊びに来てな。置き忘れたみたいだな」
「課長、甥っ子さんがいらっしゃるんですか!」
ええ〜⁈
初めて聞く情報ですよ。
プライベートなお話、新鮮です!
私はなんだかニコニコしてしまう。
「俺の姉の息子なんだがな。土日とか祝日とかに、たまに遊びに来たりする」
「お姉さんがいらっしゃるんですね〜。課長のお姉さんかぁ……きっと美人さんなんでしょうね〜」
私はニコニコしていたが、課長は何故かゲンナリしてしまった。
「美人は美人だが……性格はとんでもないぞ。俺は幼少期を『弟』という名の『姉のパシリ』として過ごし、成長とともに掃除・洗濯・料理・育児の一切合切をそこそこのレベルまで身に付けるに至った。女性という存在の現実を、姉を通してイヤという程見てきた俺は、女性に対して憧れなどという、ふわふわした感情を抱いたことは全く無い。つまり若干残念な大人に育ってしまったわけだ……」
淡々と語り、遠い目をしている。
佐野課長はお姉さんになかなかのトラウマを持っているようである。
「そんな俺の前に、彗星のごとく現れたのが、お前だ。素直で可愛くて……年下を愛でる、的な感動諸々を味わったな」
課長は感慨深げに目を閉じている。
はぁ……私にそんな、あずなぶる様並のインパクトが……? 光栄です。
しかし、なるほど。
課長の嫁スキルを育てたのは、お姉さんだった訳ですね……
私は口元に手を当てて思案した。
これはあくまでも私の推測であるが。
おそらく、佐野課長のお姉さん、略して佐野姉は、弟を見てこう思ったのではなかろうか。
顔良し、スタイル良し、ふぇろもん規格外。
あらあらあら。大変だわ!
あんな、既にカンストしちゃってるふぇろもんを、まだ年端もいかない若僧に持たして野に放っちまったら……女性を千切っては投げ千切っては投げの無双状態になるのが目に見えているわ。恐ろしい!
……と。
てなわけで色々しっかり教育し、分別のある大人に育て上げた、と見た。
あの銀縁メガネを装着させたのも十中八九、佐野姉ではないかと思われる。
佐野姉、クズ男作成を阻止……!
グッジョブです……!
あなたの育て上げた立派な嫁スキルは、この高垣が! 存分に堪能させて頂いておりますゆえ、ご安心を!
私は心の中で佐野姉に手を合わせて感謝の意を述べた。
「そうだ。課長、せっかくですから、このじぇんが、やりませんか?」
「んー? 今?」
「はい。なんか久しぶりに見て、懐かしいですし」
やりましょやりましょ! と私はテーブルの上にじぇんがタワーを組み上げた。
……
……
……
……どうして、こうなった。
すごく軽い気持ちで始めただけだったのに。
なんっじゃ、この、名勝負……!
5センチ程の木製バーを下から抜いては上に詰み。抜いては詰み抜いては詰み……この単純作業を繰り返し、かれこれ15分は経過しとるじゃないですか。
こんな長いことラリー続いちゃったら……もはや、すんごく、負けたくない……んですけど!
わかってる。大人げない。大人げないぞ、私。
これはゲームなんだからさ。負けたからって何かペナルティーとかあるわけじゃないんだからさ。
もっと軽~~い気持ちでね。やればいいと思うんだよ。うん。
なのに、なのに!
全然、手が抜けない……!
下からバーを抜くにも、上に詰むにも、細心の注意を払ってしまう自分がやめられない止まらなーーい!
あのえびせんのお菓子状態だ。
なんだこのゲーム。魔のゲームか。
さすが一時、一斉を風靡したゲーム!
「あの、課長……」
「何も言うな、高垣。お前にもわかっているはずだ。もはや、俺たちを止めるには決着をつけるしかない、という事を……!」
大人げない奴が、ここにも。
私には無理だが佐野課長31歳なら、あるいは……という期待はあえなく砕け散った。
なんだよ。課長も一歩も引く気無しかよ!私のが、七つも年下なのに! 女の子なのに! ちょっとは手加減してくれても!
……いや、待て待て待て。
スミマセンでした。
私は思い直す。
これはゲームという名の勝負ですよね。
性別や年齢など、関係なし! 私と課長の一対一の、真剣勝負! ガチなやつ!
私はキラリ。と目を光らせると、気持ちを新たに引き締め、目の前に積み上がったじぇんがタワーに対峙する。
人差し指でところどころ軽く押して、調べていく……が……スムーズに動くところはもはや、無し。
ま、まさか。ゲームセット……?
いやいやいや。
ここまできて、簡単に諦めたらあかん!
たとえスムーズには動かなくとも。ゆっくり、慎重に、押して。要は、タワーを崩さずに、抜けば良いのだから……!
私はなんとか一番安定して抜けそうなバーを定め、人差し指で押していく。
く……固い……かも。
しかし、半分押しちまったし、もはや戻れん! 行くしかねぇ!
ソロソロソロ……
ゆっくりと、押して……途中からは、反対側から引っ張って……
スポン!
ぬ、抜けた……!
そして抜いたバーを頂上に……置いた!
私は額に汗をかきながら、ふぅー……と溜息を吐いた。
やった。やり遂げたぞ、私! これはもう決まったでしょう⁈ 決まりましたよね⁈
だってさっきもう、動くところ無かったもん。その状態から一本抜ききったんだから、もう、抜けるところなんて、無いでしょう⁈
ワッハッハー。
勝った。これ勝ったね。
いやー、歴史に残る名勝負でしたが、私の勝ちです、課長!
私がすっかり勝ち誇った顔で見つめる中、課長は指で、次に抜けるバーが無いか、探り出す。
無駄無駄無駄〜。もう残ってませんもん。さっき私が散々探しましたけど、無かったんですからね! ふっふっふ……さあ、課長、負けを認めてくださ……
次の瞬間。私の目の前に信じられない光景が。
課長が探っていたバーの一本が、スルリとスムーズに動く気配を見せたのだ。
ば、馬鹿な……! 何故⁈
さっき探した時にはあんなスムーズな動きをするバーは無かったハズ。なのに!
もしかして……動かないところを一本、動かしたことにより、また新たなパワーバランスが生まれたというの⁈
なんじゃそりゃあ!
なんつー奥の深いゲームなんじゃあ! もはや玩具の範ちゅう超えとるわ!
つか、もう、無理。
すっかり勝ち誇った気でいたから、気を抜いちゃって、こっからまた集中し直すとか無理。
次順番来ちゃったら、もう負ける。
私は唇を噛み締めた。
ヤダヤダヤダ。ここまできたのに。勝った! って思っちゃったのに。負けたくないよう〜〜!
私の願いも虚しく、課長がスムーズに抜けるであろう、そのバーに指を当てて、押そうとした。
その瞬間。
追い詰められた私は咄嗟に、切羽詰まった、非常に切なげ〜な叫び声を上げた。
「課長、イヤ! 抜かないでっ……!!」
「⁈」
ガッシャーーン!!
バラバラバラ〜〜……と、じぇんがタワーが崩壊した。
……
……
……
……室内は一瞬、凍りつき。ピシリ、と固まる私と課長……
「っ……、高垣っ……、お前っ……、卑怯っ……」
赤くなってワナワナと肩を震わせている課長のダメージは計り知れないが、私だって! 負けずおとらずダメージ大! ですがな!
なんか切羽詰まり過ぎて、オッソロシイ台詞を! 口走ってしまったではないかああぁぁ!!!
「課長、何も、言わないでください……わかってますから……私の反則負けでいいです……ハイ」
私も真っ赤になって震えながら、黙々と、木製バーを拾い集め、箱に収める、という作業に没頭する。
箱の蓋をパタンと閉め、私は固く誓った。
このゲームは、二度とするまい……、と。