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突然の雨とメガネの向こう側  作者: さとちぃ
突然の雨とメガネの向こう側
1/12

突然の雨、です。

「あちゃー、降りそうだな」



駅の出口手前で、前方を歩いていた私の上司である佐野課長が、空を見上げてピタリと足を止めた。



8月某日、私が部下として同行していた、お得意様への営業回りが滞りなく終了し。帰りの電車に乗り、会社の最寄り駅に到着し、あとはここから徒歩5〜6分の我が社に戻ってちょこっと書類を置いたら本日の業務は終了です! ……という緩みきったところで。



180cmはありそうな高身長(聞いたことないけどね、目測ね)、男性らしい筋肉が程よくついたスタイル良好な彼の背中にジィ……っと見惚れていた私は、彼の言葉を受けて、視線を空へと向けた。



「そうですね……。まもなく降り出しそうですが……まぁ、会社までは5分程の距離ですし、なんとかもちますよ! 行っちゃいましょう!」

「いやいや、お前夏の夕立ちを甘くみるなよ。すんげーんだぞ。バケツの水ひっくり返したかのごとく降るんだぞ。もし途中で降ってきたらビッショビショだぞ」



私はもう一度空を見上げてみる。

雲の灰色がなにやら濃さを増してきていますね……。しかし、この短距離のためだけに傘買うんですかー? もったいない。と思うし。



「傘を購入している1〜2分の間に走っちゃった方が早いじゃないですか! 行っちゃいましょう!」

「いや、すぐそこの売店に売ってるからほんの数秒でゲットできるし。ちょっと行ってくるからお前はここで待って……」



いろ、と続くはずであったろう、佐野課長の言葉を「じゃ、私は先に行っちゃいます!」とぶった切って、私はカバンを肩にかけ直しながら、ささっと出口へ向かい、足を踏み出した。



今日の佐野課長の営業に同行するため、ヒールは歩きやすさ重視の4cmだ。

身長162cm、と女性にしてはちょい身長高めの私は、普段からそんなに高いヒールは履かないが、それでもやはり仕事中はきちんと見えるように、6cmのものを履いている。が、今日は歩きやすいように4cm。いつもより速く歩けるのだ。



ヒールって5cm以上あるかないかで、きちんと感が全然かわるんだよねー。

……などと考えながら通常の二割り増しの速度でカツカツカツ! ……と足音を響かせ。

私、高垣たかがき 美由みゆは会社へと向かった。

佐野課長をぶった切っておいて、万が一雨に降られちゃったら洒落にならない。



ゴロゴロゴロ〜



しかし頭上からは何やら不穏な音がとどろき出した。

え?

なんか雲の色が黒いんですけど……

あれ? さっきまでは灰色だったよね?



ヒュルルルル〜



身体に風を感じた。先ほどまで感じていた蒸し暑さが遠のき、体感温度が一、二度下がった気がする。

まずい……これは土砂降りの前兆じゃないっすか!



顔を強張らせつつ、しかし歩調は緩めずに私はひたすらカツカツ会社へ向かって歩く。

横断歩道が見えてきた。

あれを渡ってしまえば、会社の入口は目と鼻の先だ。



「げ」



しかし私が渡るより早く、信号は赤に変わってしまった。あとちょっとなのに!



ゴロゴロゴロゴロ〜



なんかまたとどろいている。

やばい。なんか黒雲が広がってきた。さっきより薄暗いよ。まだ16時半くらいなのに。

いつもだったら8月の16時半なんてまだお日様サンサンなのに。

怖い。何この薄暗さ。怖すぎるううぅ。



ゴロゴロゴロ〜



信号まだですかああ!

車道側の信号をひたすら目で追い、それがやっと黄色に変わったのを確認して、ほっとした。次の瞬間……



ピカッ



薄暗かった空が一瞬光り、「ひっ」と肩をすくめたと同時に、



ザアアアアアーーーッッッ



物凄い勢いで雨が降り出した。



「…………」



なんだろう。

さっきまであんなに恐怖におののいていたというのに。

全身ビショ濡れになった瞬間、すべてを諦めた私は悟りの境地に達したのだろうか。

動きを止め、下を向いたまま。

「ふ……」と口元には微苦笑が。



なんか、あれですね。

人間て脳内の容量オーバーしちゃうような事態に直面すると、むしろ笑けてきちゃうんですね……。



ザアアアアアーーーッッッ



3秒でビッショビショになった私。

バケツの水をひっくり返したかのごとく……とおっしゃっていたのは誰だったかな……



「高垣」



耳に心地よい低音の呼び声にピクリ! と我に返り、慌てて振り返ると、佐野課長がすぐ後ろに立っていた。

さしていた濃紺の傘の中に、私を入れてくれる。傘、買えたんですね……。

同じ傘の中に入ったので、距離が近い。



ふわっ。



なんか微かにいい匂いがした。お、おーでころん、というものだろうか? なんという香りだろう? 男性だから、ほわいとむすく、とか、うっでぃ、とか、なんちゃらかんちゃら⁇

自分、詳しくないのでわかりませんが。



私はツツツ、と佐野課長の顔を見上げた。

180cmはありそうな高身長(聞いたことないけどね。目測ね。大事な事なので二回言いました)なので、私は自然と見上げる形になる。

こんなに近くから、佐野課長の顔見たことあったかな⁇ ……無いよ、ないない!



さらりとした黒髪をワックスで軽く後ろに流し。銀縁のメガネをかけた爽やかな美形の佐野課長は、31歳独身の優良物件だ。

仕事もできるし、気さくで人当たりもいい彼は社内の女子にも人気がある。

知ってはいたが、こうして正面から真近であらためて見ると、やはり、カッコイイ……です……ね……。



入社二年目。まだまだ覚えねばならない事が多く、日々目の前の業務をこなす事に集中している私は、会社では恋愛スイッチは自動的にオフになっているし。

目の前にいる佐野課長は男性である前にただひたすらに上司で。

まだ学生に見えなくもない、24歳の自分より7つも年上で。



上司と、部下。

大人と、小娘。



私にとっての佐野課長に対する認識はそういうものだった。

間違っても、恋愛対象としてみるとか、そんな! 不謹慎ですよねスミマセン仕事しますスミマセンスミマセン……とか思ってた。



でも、でも、でも!



こんなふうにいつもと違う社外で、こんなふうに、正面から、顔を見てもらって。



「大丈夫か?」



そんな、なんか優しい顔とか向けられたら。

さ、さすがの私でも、ちょっと、意識してしまいますぅ……男性として……!

うあ、どうしよう、目、目が見れない。

顔に血が集まってるのが自分でもわかる……今、真っ赤だろうな、私……。

とにかくなんか、なんか言わなきゃ。



「夏の夕立ちを甘くみてスミマセンでした……」



ぺこり。私は頭を下げて詫びた。

ありがとう、とか、ごめんなさい、とか。

感謝と謝罪はきちんとする! というのが私の社会人としてのモットーであるからして。



「よろしい」



佐野課長がふふん、と満足そうに笑った。

むむ。

だから言っただろう、俺の言うこと聞かないからだぞ、ワッハッハ、とか思っているに違いない。

む〜〜。

まぁ誰がどうみても私が悪かったと思いますけど。やっぱりちょっと悔しくて、私の眉間にしわが寄ってしまった。



おや、というようにヒョイと片眉を上げた佐野課長は、また、ふわりと優しい顔に戻り。



「とりあえず会社に戻るぞ。書類置いたらすぐ退社できるしな」



そう言って、雨で張り付いた私の前髪をくしゃり、とかきあげた。



……え?



寄った眉間のしわがどこかに行ってしまった私だが、「行くぞ」という佐野課長の台詞に慌てて「ハイ!」と返事をして。

とにもかくにも会社に向かって歩き出した。



***



「高垣、家どこ?」



ビショ濡れの私を会社のロビーに待機させ、佐野課長が無事書類をデスクに納め、タイムカードも二人分きってくれた。

とりあえず課長から渡された、給湯室から拝借したというフェイスタオルを「ありがとうございます」と受け取り、頭を拭きながら私は実家のある千葉県の地名を伝えた。



「ここからだと電車でも車でも30〜40分かかるな……」



そうですね。ここは東京都で、現在私は電車にもタクシーにも乗れる状態ではありませんね。ええ、はい。



「……ちなみに俺のマンションが、ここから徒歩10分程のところにあるんだが……」

「まじっすか! 行きましょう!」



助かります! ……と私は佐野課長の言葉にすぐさま飛びついた。

よかったー、どうしようかと思ったー!

途中でコンビニ寄って、下着とかストッキングとか諸々買うとして……なんか適当に、Tシャツとか着替えお借りできれば、とりあえずタクシー乗れるし。



佐野課長のマンション、という目的地に向かうべく「どっち方面ですかー?」とお伺いをたてながらニコニコと歩き出した私を、佐野課長はなにやら複雑な表情でしばし見つめてから、ハァ……と軽く溜め息をついた。

そして何かを吹っ切ったかのように私と肩を並べて歩き出し、入口を出ながらポン、と濃紺の傘を開いた。



「こっちだ。……行くぞ」



私は会釈して傘に入り、「途中でコンビニとかあったら寄りたいです」と声をかけた。



***



「お前はもう少し戸惑ったりとか、ないのか。そんな簡単に男の家とか入ったらダメなんだぞ」



無事コンビニでお買い物をすませ、佐野課長のマンションに到着したところで、彼は私を見てジトーーッと目を細めた。



んあ。

そ、それはわかっていますが。

しかし緊急事態だったので、あえてスルーしたんです! だって帰宅できないし!

一応、身元しっかりした直属の上司だし!

なんかこう、ピンクな空気にならないように、全力で回避しようと。一応警戒は怠らないようにしてます私とて〜。



「着替えだけお借りしたらすぐおいとまいたします。あ、ちゃんとお洗濯してお返ししますので。いいですか?」

「ハイハイ。……ていうか自分で言っといてなんだが、シャワー使ってけ。そのままじゃ風邪ひくぞ」



え。でも。

悪いです……と言いかけて、自分の体が思いの他冷えきっていることを自覚した瞬間、一気に寒くなってきた。

ピンクの空気は回避、ピンクの空気は回避、と頭の中で二回唱えて肝に命じながら、



「すみません。お借りします」



私はぺこり、と頭を下げたのだった。



「ふぅ」



さっそくシャワーをお借りして、ほっこりと温まった私は、洗面所に用意されていたお着替えをありがたく拝借し、一息つく。

おお。

ドライヤーまで置いてくれてあるし。

課長、できる子ってやつですね。

私は親指をたてて「グッジョブ」とつぶやいた。



ぶおおおおぉ〜〜



私はドライヤーの風をあてながら、先ほどの佐野課長のお言葉を反芻はんすうした。



「そんな簡単に男の部屋とか入ったらダメなんだぞ」

……男の部屋、です、か……。



佐野課長のお部屋は2LDKの、白とブラウンを基調とした清々しいお部屋であった。

無駄なものは置かれておらず、水回りも掃除が行き届いている。

なんていうか、イケメンなのに独身なのも納得だ。

仕事だけでなく、家事もこなせる。ゆえに結婚する必要が特に無い、みたいな?

私の独断と偏見だが、おそらくオサレなパスタとかも作れるに違いない。



だいたい突然の訪問にもかかわらず、シャワー貸せて、タオル着替えドライヤー用意してくれるって、どんだけハイスペックなんですか。一般男性の一人暮らしのお部屋ではなかなか無いんじゃなかろうか?



これで洗面所にメイク落としまであったら女性関係も充実してるんですねー、とか思うところだが、そういったものは一切無い。

恋人はいないのか、いても私物は持ち込ませない主義なのか……。後者なら、恋人というより複数の夜のオトモダチ的な存在がいたりするタイプ⁇



いやいやいや。



落ち着け、私。

なんか思考が昼ドラみたいになっとるやん。

佐野課長だよ?

私が入社した時からお世話になっていて。

電話の取り方から、商品知識から、一から教えてもらった、尊敬してる人だよ?

現に今まで、一切、色恋とかそういうの、はさんだ目で見ないように、してきたじゃん。

仕事少しでも覚える方が先だ……って集中してきたんじゃん。



カチリ、とドライヤーのスイッチをきり、私は鏡に写った自分の姿をジッ……とみつめた。



高垣 美由。

24歳。

丸顔で眼が大きめだから、ちょっと幼く見られることが多い。

髪の毛はブラウン系で肩より少し上のショートボブ。

顔立ちは普通だと思うが、お肌や髪はなるべくお手入れをして、つやつやをキープ。

笑うとなかなか可愛い。はず。



……そう自分の容姿に関する自己評価を締めくくった。

つまり、私は?

可愛がってる……部下……ですよね。

佐野課長にとっては。



……私にとっては?



一瞬、今日の、夕立ちがフラッシュバックした。

濃紺の傘の下で、初めて、彼に抱いた感情。

あれは?



「憧れ……」



憧れの……上司。

そうだ。私にとっては、憧れの上司だ。

尊敬してる人で、早く一人前になって、彼に認められたい。

そういう感情だよね。

憧れの人が至近距離にいたら、ちょっとくらい、意識したりしても、おかしくないよね。

うんうん。

憧れの上司。よし。オッケー。



ピンクの空気は回避!

鏡の中の自分にしっかりと釘をさして。

私はカチャリ、と洗面所のドアを開けた。



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