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三話 予期せぬ旅立ち

 熊吉の墓参りから一年が経過した。


 旭はあれ以来、今迄以上に激しい鍛錬を行ってきた。

 

 素振りや筋トレなどの基礎訓練はもちろん、地稽古においては、宗光や祐光に加えて従士達を常に複数人相手にして、相手が音を上げるまでそれを続けた。


 今では宗光から、沼田郡で一番の戦士とのお墨付きまで貰った程だ。


 これらの鍛錬に加えて、一年前から実戦経験を積むため、冒険者や村の従士と共に魔獣退治を行っている。


 魔獣と言っても、この辺りではゴブリンやオーク程度の低級魔獣しか出没しない。


 中級クラス以上の魔獣は奥州などの暁国の端に行かないと滅多に出てこない。

 さらに上級以上になると、暁国のさらに西にある未開の大森林や砂漠地帯などに行かないとお目にかかれないと言われている。


 ただし低級魔獣しか出ないと言っても、放置しているとその数も増えるし、稀に進化する魔獣も出現するため、定期的に間引く必要がある。


 低級魔獣でも一般的な村人を殺害できる程度の強さはあるため、魔獣退治には、ギルドに認可を受けた冒険者か、宗光に実力を認められた成人した村の従士や一部の村人のみが参加可能であった。


 そのため旭は実力的には村の誰よりも強いのだが、まだ成人していないため、これ迄魔獣討伐に参加できないでいた。

 しかし少しでも早く実力をつけたいため、彼は宗光に頼みこんで半ば強引に魔獣討伐の参加を認めさせたのだった。


 魔獣退治で、旭の実力は遺憾なく発揮された。

 最初の内は、魔獣といえども生き物を殺す事にためらいが見られ、時には感傷的になる事もあったが、それもすぐに慣れてくると、熟練の冒険者と比べても遜色の無い働きを見せた。

 最近では数十匹のゴブリンの群れを一人で退治してしまった程だ。


 この様な激しい鍛錬の成果もあってか、旭の背丈は百八十センチ程に成長を遂げ、その外見からは一流の戦士の風貌すら纏う様に成っていた。


 一方、旭が村を出ると決めた事で、お尻がとても魅力的な花ちゃんとの関係を進展させることがで出来ないでいた。


 しかしどうしてもあのお尻を諦めきれない旭は花ちゃんに正直に打ち明けた。


「俺は近いうちに村を出る。でもあなたが諦めきれない。俺は自分でもスケベで、多分、外でも他の女を作るかもしれない。でも将来必ず花ちゃんを迎えに行くと約束する。虫のいい話かもしれないけどそれまで待っててくれないか?」


 それに対し花ちゃんは笑いながら、


「いいですよ。それに旭さんみたいなエッチで素敵な方なら、何人かは奥さんがいても不思議じゃないですよね。でも私もあなたの子供が欲しいから、あんまり遅くならない内に迎えに来てくれると約束してくださいね!」


 とまさかの了承が帰ってきた。

 旭は花ちゃんに村を出てから十年以内には迎えに行くと約束した。

 十年後は花ちゃんも二十五歳で、行き遅れだかギリギリ大丈夫だろう。

 出来れば五年以内に迎えに行きたいと旭は思った。


 こうして二人は晴れて良い関係になる事ができた。

 そして旭の念願だったお尻タッチも、同時に実現したのである。


---



 さらに三ヶ月が経った。


 旭は変わらずに鍛錬を続けているが、村の方では大事があった。

 沼田郡を中心とする三万石の領主である、沼田喜助男爵が急逝したのだ。

 

 ちなみに沼田宗光は男爵家の分家であり、本家より士爵と月夜野村周辺の三千石を拝領している。


 太郎は四十五歳の働き盛りであり、その顔に死相などはまったく出ていなかった。

 しかし早朝に厠で用を足している時に、冬の寒さのせいか突然意識を失いそのまま帰らぬ人になってしまった。


 突然主君を失った沼田家は後継者問題に直面する事になるが、幸いかどうか判らないが、喜助の子供に男子は一人しかいなかった。

 ちなみに女子は既に周辺の有力者に嫁いでいる。

 

 その男子の名は紀代助と言う。

 齢は二十六になる。


 紀代助の評価は大小様々な勢力が凌ぎを削っている上州に於いて、沼田家を伸張させて来た喜助に比べると良いとは言えない。

 腕力、知力、胆力すべてにおいて、弱肉強食の皇国で生き残るには少々物足りないと、宗光を含む重臣達は感じている。


 その一方で自身の欲望には忠実で、それを満たすために時には権力を振りかざすこともためらわない。

 そのため、男爵を襲名したら善からぬ事に権力を使うのではないかと不安視している者もいる。


 だが紀代助が領主の器でないからと言って、そう簡単に沼田家を割る訳にはいかない。

 隙を見せればたちまち周辺の勢力に取り込まれ、重臣らの領地も侵食される恐れがあるからである。


 そんな事情から、家臣達は紀代助に幾許かの不安を感じながらも、一致団結して彼を盛り立てて行こうと決意したのである。

 

 この様な家臣たちの心境を知らずに、紀代助は沼田家を後継し、無事に男爵を襲名した。



---

 

 

 季節は春が近づき、旭が成人して村を出る迄残り一ヶ月を切った。 


 そろそろ旅立ちの準備をしなければいけないなと思い始めていた時、突然、宗光から親子揃って館に来て欲しいと言われた。


「どうしたのかしらね。急ぎの患者でもいるのかしら?」

「なんか何時もと違う感じだったな……。とりあえず行ってみようか」


 二人は呼び出された理由も分からないまま領主の館に向かう。


 しばらくして館に到着した。

 

 館の周りには深さは二メートル程度しかないが堀があり、その先には高さ二メートル程の土塁が

 盛られていて、土塁の上には木で出来た柵が差し込まれている。

 曲がりなりにも領主の拠点であるため、有事の時は砦として利用する程度の設備は整えられている。

 

 二人は堀に架けられた橋を渡り、旭の倍ほどの高さのある門までたどり着くと、旭が館の警備をしている従士の五郎に話しかける。

 春も旭に続いて五作に会釈をする。


「五郎さんこんにちは。なんか宗光様から呼び出されたんですけど、取り次いでもらえますか?」


「おう旭か、それに春さんも。わざわざ出向いてもらって悪いね。宗光様から話は聞いてるよ、二人が来たら通すようにとね」


 五郎は二人を館へと案内する。


 応接間へと通されると、そのには宗光が待ち受けていた。


「おお、春さん、わざわざ来てもらってすまんね。それに旭も忙しい中、態々呼び立てて悪いな」


「いえいえそんな事ないですよ、お気にならないで下さいね」

「俺もまだそんなに忙しくないんで大丈夫ですよ」


 三人は挨拶を交わす。


「まあとりあえず座ってくれ。今、茶を用意するから少し待っててくれよ」


「そんな、悪いですよ、そんなにお気遣いなさらないで」

「宗光様、俺は何か菓子もあると嬉しいんだけどな……」

 

 春は恐縮していたが、旭は図々しくも菓子まで要求した。

 そんな旭の態度を見て、春は宗光に見えないように旭の尻をつねる。


 その光景は端から見たら領主に対して不敬に見えるが、宗光と熊吉は親友であったため、両家は半ば家族ぐるみの付き合いをしており、旭が宗光に対してくだけた態度をとっても問題ないのである。


「全く、お前はどれ位食べれば気がすむのだ……。まだ昼食の時間からそれ程経っておるまいて……」


 宗光は半ば呆れながらも、それなりの量の菓子も持ってくるように従士に指示する。


 茶と菓子が運ばれて来るまで、三人は

日常のたわいも無い話をしていた。


 数分後、二人が茶を飲み、菓子をつまみながら、場も落ち着いた頃に、宗光が話を切り出す。


「そろそろ本題に入るとするか。実はな、昨日本家から手紙が来て、その中に春さんを本家直属の回復魔術師として、沼田城に住まわせるようにとの要請があった」


「えっ……、そうですか……」


 その言葉に春は表情を硬くしながら返事をする。

 

 そして、旭は宗光に険しい表情で問いただす。


「なんでわざわざ母さんを城に住まわせる必要があるんだ? それに母さんがいなくなったら、ここ一帯の治療は誰がするんだよ」


 宗光は言いにくそうに口を開いた。


「紀代助は昔から春さんに執拗なほど執着しておる。ただ回復魔術師として人気も実績もある春さんを直接妾にする事は、反発が強すぎて出来ないと考えてるだろう。なので権力を使って強引に城で働かせるという形で、春さんを半ば妾の様な扱いにするつもりなのであろう。そして月夜野村周辺の治療は、お前にやらせるつもりなのだろう。そうすれば煩わしいお前と春さんを引き剥がす事も出来るだろうしな……」


 春はこうなるのが分っていたかの様に落ち着いて聞いている。

 それに対して旭は、かっと目を見開き声を荒げる。


「ふざけるな! 大体俺達は沼田家に仕えているわけじゃないんだ。それを力で強引に押し切るなんて……、それが紀代助のやり方かよ。母さん! 向こうに知られる前に沼田郡から出よう!」


「そうね……、でも私が逃げたら宗光様の立場が苦しくなるかもしれない。それに出来れば私も熊吉さんのお墓があるこの村を出て行くのは辛いわ……」


 春は沼田郡から出て行く気は無いようだ。


「そんな……」


 旭は言葉につまってしまう。


 すると宗光が、


「そう落ち込むでない、まだ正式には決まった訳ではないのだ。私からもこの件については、本家に強く反対しておく。それに他の重臣にも声をかけて、共に反対してもらえる様に働きかける。これだけの事をすれば、よほどの馬鹿でない限り春さんから手を引くだろう。……それでも手を引かぬというなら、私が熊吉との約束に懸けて、この身に変えても春さんを守る。……だから、二人共安心していなさい」


 そうきっぱりと言い切った。


「ありがとう、宗光様……」

「ありがとう御座います……」


 力強い宗光の言葉に、二人は感謝の言葉と共に自然と頭を下げる。


「とりあえず、すぐに本家に反対の意を示しておく……。事が進み次第二人にも報告するので、それまで気を揉まずに普段の暮らしをしていると助かる」


「承知しました、ご迷惑お掛けして申し訳ありません」

「分かったよ宗光様……、俺宗光様のこと頼りにしてるからな」


 二人はそう言い残すと、一礼してから応接間から退出し、館を出て帰路に就いた。


 重苦しい雰囲気のまま、二人は家に到着した。

 居間で腰を下ろし、暫く沈黙が続く。

 するとおもむろに旭が春を思いやって口を開いた。 


「母さん、宗光様もああ言ってるし大丈夫だよ。それでも、もし何かあったら、俺が絶対守ってやるから心配すんなって!」

「旭ちゃん……、心配かけてごめんね。そうよね、きっと大丈夫よね……、宗光様を信じましょう」


 そう言ったきり春は再び黙りこんでしまった。

 

 その様子を見て、旭は理不尽な要求をする紀代助に対し、怒りが沸々と湧いてきた。

 と同時に、春がこのような目にあっているのも、自分達に権力がないせいだと思い、自身のふがいなさを嘆く。

 それは彼にとって熊吉の死の時感じて以来の、二度目の無力感だった。


 旭は自身の腕力の強さ故に、ある種の万能感を持っていた。

 それが初めて目の当たりにする権力によって、いとも簡単に崩れ去ってしまったのだ。

 

 彼は頭では解っていたものの、人ひとりの力では巨大な権力には敵わないと身をもって認識した。

 その思いは、胸の内で次第に権力への憧憬にも似た感情になり、しばらくすると、明確に権力を手に入れたいという欲求にすら変わっていったのだった。

 


---



 早速翌日には、宗光は紀代助に対し、春を沼田城詰めにする事に、反対の意を示した。

 続いて他の重臣も、宗光の働きかけを受けて、同様の意見を具申した。


 しかし紀代助の返事は無く、一週間経過した所でようやく紀代助から意外な返信が届いた。


 その手紙には、『越州に不穏な動きあり。沼田宗光は己が手勢百を率いて早急に国境の山道を抑え、指示があるまで越州側の動きを監視せよ。また春の件についてはひとまず置いておく事にする』と書かれてあった。


 宗光は春の処遇に反対の意を示した直後の命令に不自然さを感じた。

 彼の耳には越州側に何か動きがあるとは入っていない。

 それに手勢百名は、月夜野村周辺で動員できる限界数に近く、村をほぼ空にする事になってしまう。

 そのため、彼はもしかしたら紀代助がよからぬ事を企んでるのではないかとさえ思った。

 

 ただ本家には、数は少ないが隣国を調査できる程度の忍びはその筋から借り受けているので、宗光の知らない所で事が起きている可能性は無いとは言い切れない。

 それに曲がりなりにも主君の命令である。

 おいそれと無視する事は出来ない。

 もし無視をしてしまったら、それを理由に減封、更には改易される恐れもあるからだ。


 なので宗光は腑に落ちないながらも紀代助の命令を了承し、手勢百名を連れ、本家の兵二百人と共に国境へ向かった。

 村に関しては、経験豊富な五郎ら従士数名を村に残しておき、何かあったらすぐに報告するようにと言い残す程度のこと事しかできなかった。


 旭も宗光から事の成り行きを聞いた。

 何か怪しいと思ったが、そう思った所でどうする事もできない。

 

 またこの様な状況では、村を出る準備をするどころではない。

 旭は不安な気持ちを押さえつけるように、残された祐光と共に気晴らしに体を動かし続けていた。


 

---



 宗光が出陣してから二日後、彼等は国境に到着し山道に陣取っているであろう頃に、月夜野村に異変があった。


 沼田紀代助が子飼いの兵三十人を引き連れて、朝霧に紛れ月夜野村を訪れたのである。


 紀代助は宗光が居ない事をいいことに、春を強引に沼田城に連れて行こうとしたのだ。

 いくら反対されても宗光の居ない間に連れ去ってしまえば、後でどうとでも言えると思ったからだろう。


 彼等は門番の五郎を蹴散らすと旭と春の住む家へ向かった。


 その時、春は朝食を作っていた。

 旭は水を汲みに川へ向かっている所だった。


 春が台所に立っていると異常な気配を感じた。

 明らかに多数の足音が家の周りから聞こえてくるのである。


「春! 出てこい」


 しばらくすると、春を呼ぶ声が聞こえた。

 恐る恐る窓から覗いて見ると、熊吉が死んだ後からしつこく付き纏ってきた男が、脂ぎった顔に気持ちの悪い笑みを浮かべながら戸口に立っていた。


 身の危険を感じた春は、彼女を呼ぶ声を無視し続けた。

 しかしそれは返って紀代助を焦らさせてイラつかせたのか、彼等は強引に扉を壊して家に乗り込んで来たのだ。


 春は強張った表情で進入してきた紀代助と顔を合わせた。


「ひさーしぶりだな春、早速だがお前にはこれから私の所に来てもらうぞ。もう俺は男爵なんだ! 有無は言わせぬからな、とっとと付いてこい」

「何ですかいきなり人の家に押し入ってきて。私は前も申し上げたように、あなたに指一本触れさせるつもりはありません。どうぞお帰り下さい」


 領主といえども無礼な物言いに、春は気丈に言い返した。


「ふんっ、相変わらず生意気な女だ。だがそんな女をヒイヒイ言わせるのも一興だな。後で俺様のブツでいかせてやるわ! 覚悟しておけよ、さあお前達! 気付かれないうちに春を連れて行くぞ」


 兵士らは春の手足を縛り、さらに口まで縛ろうとした時、春が精一杯の叫び声を上げる。

 

「キャー! このケダモノ! 紀代助に連れ去られる、誰か助けてー」


 春はなんとか叫び声を上げたものの、抵抗むなしく台車に乗せられ、そのまま紀代助らに連れ去られてしまう。



---



 旭は川に水を汲みに行っている時に、突然、春と思われる叫び声を耳にする。

 ただ事ではないと思い、手に持っていた大きな桶を投げ捨てて、全力で悲鳴が聞こえた方向へ走り出した。


 数分後には家に到着したが、既に家は荒らされた形跡があり誰も居なかった。

 旭が混乱していると、村の門番をしていた筈の五郎が頭から血を流しながら飛び込んできた。


「旭! 春さんが紀代助様に連れて行かれた! 俺も抵抗したがこの有様だ。俺はこれから宗光様の所に報告に行ってくる。お前はここで待機していろ。相手は三十人以上いる、くれぐれも変な気を起こすなよ」


 五郎はそう言うと宗光の下へ嵐のように走り去っていった。


 すると旭は五郎の言葉などまったく聞き入れずに、すぐに倉庫へ行き、二メートルはあろうかという熊吉と旭しか扱えないであろう鋼鉄の槍と、熊吉の形見であるミスリルの剣を装備し、村の厩舎に向かい馬に跨り全力で紀代助らを追いかけた。


 今ならまだ間に合う、もし城に入られては手出しできなくなる。

 春を守るには、宗光を待っている時間は無い。

 迷うことなく旭は馬を追ったのだった。

 

 追いかけること一時間程、旭の眼に数十人の集団が見えてきた。

 騎馬に乗っている者は五名程度、残りは歩兵である。

 

 さらに近づくと、その集団の中に一台の台車が数名に引かれていた。

 台車には手足、口を縛られた女が乗せられていた、……春だ。


 旭は春を確認すると全力で駆け寄った。

 春も気づいたのか、一瞬嬉しそうな顔をするが、この状況を察してすぐに心配した表情に変わる。


「お前ら! 何をしている! さっさと母さんを開放しろ!」


 すると、


「何だと、私を誰だと思っておるのだ、男爵だぞ! ほぅ……、お前は春の倅か、犬死したあの木偶の坊にそっくりじゃないか。春はようやく私の物になったのだ、この日をどれだけ待ちわびた事か……。春の事は諦めろ、もし抵抗するならガキといえども容赦せんぞ!」


 母を連れ去られた上に、父を馬鹿にされ、旭は憤る。


「できるものならやってみやがれ。どうせお前のような豚の家臣なんて大した事ないだろうよ!」


 旭は先程の憂さ晴らしも兼ねて紀代助を挑発する。


「言わせておけばー。お前達、あの生意気なガキをやってしまえ!」


 紀代助の言葉と共に、三十名程が一斉に掛かってきた。


 旭は敵に突っ込まずにひとまず後退した。

 初めての対人戦だというのに、旭は怒りに行動が支配されず、頭の中は自分でも驚く程冷静だった。


 暫くすると挑発に釣られた敵の三騎が突出して飛び出してきた。

 好機と見るや旭は馬を反転させ、騎兵に突っ込み槍を振り回す。

 

 その一振りは遠慮なく一人の騎兵の首を胴体から切り離す。

 しかもその勢いはそのままに、もう一人の肋骨まで砕きそいつを落馬させた。

 

 それを見て、残りの一騎は思わずびくっと怯んだ。

 旭はその隙を逃さず、怯んだ一騎の喉を目掛けて槍を一突き、一瞬で絶命させた。

 

 旭はそのまま後続の二騎へ向かう。

 慌てた二騎は反転して歩兵に合流しようとするが、反転に手間取っている。

 彼は背を見せた相手に楽々と追いつき、槍を軽々と振り回すと瞬く間に二名の命を刈り取った。


 その時間一分程。

 あっという間に旭は相手の主力の五騎を料理したのだ。


 残りは、二十数名の雑兵と一匹の豚だけだ。


 旭は敵の数に少しも怯まずに突撃する。

 歩兵達も先程の旭の戦いぶりを見ており、明らかに腰が引けている。

 彼はそんな歩兵達に、微塵も容赦する事なく槍を振る。

 一振りで複数の歩兵が戦闘不能に陥って行く。

 

 彼が五回も槍を振り回した時には、敵歩兵の半数以上が倒れていた。

  

 旭の圧倒的な戦闘力に敵は恐慌状態になり、間も無くその場から散り散りになって逃げ出した。

 

 紀代助はと言うと、旭が騎兵を倒した時に、これは敵わないと思ったらしくこっそりと逃げ出していたようである。

 小物の癖に、生存本能には優れた奴だ。


 旭は紀代助達を追撃しなかった。

 春の安全を第一に考えたのだ。

 

 旭は下馬すると、急いで台車に向かい、春の拘束を解き開放する。


「母さん、大丈夫か!?」

「……私は平気。それより旭ちゃんが無事で本当に良かった……」


 春は自分の事よりも、命を懸けた戦いをした旭の方が心配の様だ。

 

「俺は大丈夫、傷ひとつないよ。少し返り血を浴びただけだ。それよりここに居ても仕方が無い、とりあえず村に帰ろう」


 そう言うと、春を旭の後ろに乗せ、馬を村へと走らせた。


 その道中、旭は興奮も冷めてきたのか、先程の戦いの感触が脳裏に浮かんできた。

 春を助けるために必死で気にかけていなかったが、旭は初めて人を殺めた事を認識したのだった。

 

 初めて人の命を断ち切った事で、何かしらの感情を抱くかと思っていたが、魔獣との戦いで十分血を見ていたせいか、覚悟していた程の嫌悪感はなかった。

 むしろ『生』という本質的な部分では、人も魔獣も同じ生物であるとさえ思ったのだ。



---



 二人は昼前には村に到着した。

 

 無事に帰って来た旭と春を見つけると、騒動を聞いた村人達が集まって来て二人の生還を喜んだ。

 と同時に、旭の服に付いている血糊を見て、事の重大さを改めて感じた。


 旭達は村民達の相手も程々に、自宅で服を着替えた後、騒ぎを聞いて駆けつけた祐光と共に領主の館へと向かった。

  

 館に到着したがまだ宗光は帰ってはいなかった。

 他の主だった家臣も出兵しているため、三人は宗光の帰りを待つ事にした。


「こんな時に言うの気が引けるが、朝から何も食ってないと腹が減ったな」

「兄さんは流石ですね、非常時でも全然慌ててない。僕なんか全然食欲がわかないのに……」


 旭は朝から激しく立ち回った為、盛大な空腹に襲われていた。

 ほんの数時間前には大量の死体を目の当たりにしたというのに……、全く大した男である。


「旭ちゃんは相変わらずね。そんなあなたを見てたら、私も何か安心してきたわ」


 春もようやく一息つけたようだ。


「祐光、悪いがなんか食べる物を用意してもらえると助かる」


 旭は領主の息子に対して、まるで自身の配下の様に振舞う。


「わかりました。丁度お昼前なので何かしら用意できてると思いますんで、急いで持ってくるようにと伝えますね」


 祐光はと旭の指示をすんなりと聞き入れると、すぐに部屋を出て、厨房へと駆け出していった。

 その様は、本能レベルで上下関係が染み込まれている様だ。


 しばらくして、祐光と給仕が食事を持ってきた。

 旭の事を気遣ってかなかなかの量である。


「おお! わざわざ悪いな、祐光。早速いだだくぞ」


 旭は何時もの調子で飯を掻きこみ、汁を飲む。


「粥も用意しました。よかったら春さんもどうですか」

 

 旭を横目に、祐光は春にも気遣いを見せる。

 子供の癖になかなか出来たやつである。

 将来はもしかしたら優れた政治家になるかもしれない。


「祐光君、わざわざ気にかけてくれてありがとうね。じゃあ遠慮なくいただかせてもらうわね」


 春は祐光に礼を言ってから、粥をすすりだした。


 三十分後……。


 二人は食事を終え、三人で茶を飲んでいた。


 すると乱暴に館の扉を開ける音が聞こえた。

 どうやら宗光が帰って来たようだ。

 次第に足音が大きくなり、間も無く応接間の扉が開けられた。

 

「春さん! 無事でよかった。……でもなぜ二人してここにいるのだ? 私は五郎から紀代助に春さんが連れ去られたと聞いて、早馬を飛ばしてここへ戻ってきたのだぞ」


 宗光は春の姿を確認すると開口一番春の無事を喜ぶと共に、二人に率直な疑問をぶつけた。

 

「宗光様、実は――」


 旭は、春を救うために紀代助等を追いかけ、紀代助は逃がしたものの敵を蹴散らし無事に春を救出する出来た事を報告した。 


 宗光は驚いた表情を見せたが、旭ならばやりかねないだろうと納得した様だ。

 そして今後の事を思案し始めたのか、その柔和な顔立ちが歪み出した。

 考えを纏めたのか、彼は難しい顔で口を開いた。


「まずは旭、よくやった! まさかとは思ったが紀代助が実力行使で来るとはな……。そのまま春さんが連れて行かれれば私としても簡単に手を出す事が難しくなる所だったわ、助かったぞ」


 旭は労いの言葉に頭を軽く下げて謝意を示す。

 

 宗光は旭が頭を上げると、さらに話を続ける。


「だがこれでお前の身が危なくなったのも事実だ。春さんを我が館に匿う事は可能だが、お前が紀代助の従士を殺した件について庇う事は正直私の手に余る」


 旭はそう言われる事はおおよそ解っていた。

 さすがに男爵と敵対して、彼が治める領地で暮らしていけるとは思えなかった。

 なので旭は早々に村を出る事を決意していた。


「俺明日にでも村を出ます……。どうせ来月には村を出るって決めてたから、それが少しくらい早まったと思っておきますよ。宗光様は母さんの事どうかよろしくお願いしますよ」


 旭は春と祐光を見回してから、仕様が無いといった感じで明日村を出る事を宗光に告げた。


 すると三人が、


「すまぬな、春さんは私が責任もって預かる。それに今回の件で紀代助には愛想が尽きたわ、こうなったらお前が安心して此処へ帰れる様にする為にも、なんとかして紀代助を当主の座から降ろさせるよう尽力して行かざるを得ないな」

「旭兄さんが名を揚げる頃には、僕も兄さんに仕えても恥ずかしくない男になってますからね! その時は僕を配下にしてくださいよ!」

「旭ちゃんが居なくなるのは寂しいけど、旭ちゃんの身を考えたら仕方が無いわよね。これからは父さんのツテで自分でも護衛を雇う事にするから、私の事は気にしないで外でがんばってきなさい!」


 と、旭に余計な心配をさせない様に、気を使った言葉をかけてくれた。


 旭も紀代助が当主のままだと沼田郡の存続すら危ういと思たので、宗光の決断を応援したくなった。

 さすがに祐光の配下になる発言には、宗光も苦笑いをしていた。

 旭もさすがに突っ込みたくなったが、将来的に祐光を配下に出来る程の地位になれば問題ないと思い、祐光に笑顔で頷き返しておいた。

 そして春の事がやはり一番の心配事であったが、今後は宗光が責任を持って守ってくれる上に、自身でも護衛を雇うという事なので、旭もそれなりに安心した。


「三人ともありがとう」


 旭は三人に向けて感謝の意を示した。


 その後、旭と春は出立の準備をするため、祐光を手伝いとして引き連れて自宅へ向かった。

 途中旭だけ寄り道をして、花に別れの挨拶ついでに、これが最後とばかりに唇、胸、尻を堪能してきた。

 

 一方宗光は、国境の山道に布陣している兵達の指揮のため陣へと戻って行った。

 

 それから三人は家に着くと、急いで出立の準備を行った。

 武器、防具、衣服、雑貨、路銀など、今用意できるだけの物を家中ひっくり返して、大急ぎでかき集めた。

 ようやく準備が終わった頃には日付が変わろうとしていた。

 そのため旭の旅立ちを祝う事は、到底出来なかった。

 時間も遅いので三人は家にある食料で夜食を済ませると、祐光と別れの言葉を交わし、旭と春は早々に就寝した。



---



 翌日、旭は日が昇る前に起床した。

 

 なぜこんなに早く起きなければならないかというと、これから旭の踏破する道のりが非常に険しいからである。

 

 前者については、旭は沼田郡の最北に位置するこの地から急いで脱出しなければならない。

 南下して沼田郡を縦断する道は、本家の領地を通るので、紀代助に発見される恐れがある為行かないほうが無難である。

 最善なのは、北に向かい熊吉の墓の前を通り越州に抜ける道を使う事なのだが、そこには本家の兵二百がいるので、彼らが紀代助の意向に賛同していれば、簡単に旭を通してくれるとは思えない。


 そのため旭は道なき山林を通り抜け、越州へと向かうしかないのである。

 これまで魔獣狩りで何度も入っていたため山林で迷う事はないが、木々が所々に立ち並んで草も生い茂っている為、馬は使わずに徒歩で行くしかない。


 早起きした旭は昨夜は準備で寝るのが遅かったので、睡眠時間か短かったせいかまだ眠たげだった。

 しかしそうも言っていられないので、昨日の夜食の残りを朝食として片付けると、いよいよ旅立ちの用意を始める。

 

 熊吉が着用していた魔獣の皮で作られた冒険者用の丈夫な服を着てから、腰に帯剣用のベルトを巻き、そこにミスリルの剣を差し込む。

 そして先の戦いで振るった鋼鉄の槍も上手く引き抜ける様に背中に縛り付けてから、硬革の胸当て手甲を装備した。

 

 一通り武具の装着を終えると、食料や雑貨などが入った袋を背負い、最後にこれも熊吉が使用していた地竜の皮で作られたマントを羽織り準備が完了した。


 旭はいよいよといった感じで戸を開ける。

 遅れて春も見送りに出て来る。


「はい、これお弁当ね」


 春がわざわざ早起きして作ってくれたようだ。

 旭はこれまで一緒に暮らしてきた母の姿をみて涙が流れそうになったが何とか堪えて、その表情がばれないように、ひったくるようにに弁当を受け取る。


 春も旭の感情を察したようで、


「行ってらっしゃい! あんまり危ない事しちゃだめよ。」


 と目を赤くしながらも出来る限りの笑顔を作りながら旭を見送った。


「じゃあな! 行ってくる」


 旭はこのままでは涙がばれてしまうと思い、言葉少なく別れを告げ、春を一目見てから、後ろを振り返らすに村の外へと駆け出して行った。


 

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