二話 親父の墓参り
季節は替わり八月も中旬、夏真っ盛りである。
幸いに沼田郡は山間部にあり標高も高く、夏でも比較的冷涼な気候で過ごしやすい。
旭はこれまでと変わりなく、厳しい鍛錬を続けていた。
成長期なので、身長も数センチ伸び、体格もさらに厚みが増してきた。
自由に技をかけあう地稽古においては、村で一番の実力者である領主の沼田宗光ですら打ち負かす程にまで成長し、今では村に稽古相手すらいない。
仕方なしに、現在は複数人の従士を同時に相手して稽古をしている。
旭は最近月夜野村での生活に、物足りなさを感じるようになってきている。
稽古で複数の大人を相手にしても、相手に怪我をさせないように気を使わなければならない。
数年前までは、手も足も出なかった一流の戦士である宗光でさえも、今では余裕を持って相手が出来る様程にさえなった。
回復魔法も徐々にではあるが着実に上達している。
このまま訓練すれば、将来は春のような一流の魔法使いになれるかもしれない。
旭は物足りなさを感じると同時に、自分の将来についても真剣に考えるようになった。
幼少時は、将来は沼田家の従士になって祐光を守ってやろうなどと青臭い考えも持っていたが、数年前から腕力も段違いに強くなるつれ自信もつき、その考えも変わってきた。
自身の父が己の腕一本で、ただの力があるだけの木こりから超一流の冒険者になったように、旭も自分の力で成り上がって、群雄割拠のこの国で一旗揚げられるのではないかと考えるようになってきたのである。
ただ心残りなのが、春の存在だ。
彼女は旭の父に操を立てており、再婚する気がまったくない。
もし旭が出て行ったら彼女が一人残されてしまう。
女一人で生きていくのは大変なのは間違いない。
旭の中で『村を出る』気持ちは強くなってはいるが、春の事が心配で、『村を出る』と決断する事は簡単にはできないでいた。
成人する頃までには、気持ちも固めるつもりではいるようだが……。
幸い旭には成人となる十五歳迄に、後一年半以上残されている。
答えはその時に出す事にして、それまではこの村で出来る事をしよう。
旭は最近強く抱くようになった、『村を出る』と云う考えを、しばし心に留めて置く事にした。
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九月初め、山の表情も夏の活力溢れる青々とした感じから、徐々に秋の燃える様な赤に変わろうとしていた。
月夜野村にも、待望の収穫の季節がやってきた。
今年は日照りが多かったおかげか、例年に比べて稲の育ちがいいようだ。
そのせいか行き交う村人の表情も、何時もより明るいような感じがする。
その一方、旭と春にとって毎年九月は違う意味で特別な月である。
それは父である熊吉の命日があるからだ。
熊吉が亡くなったのは今から七年前の事だった。
当時、暁国でも名の知れた冒険者であり傭兵でもあった熊吉――通称『大熊』――は、奥州のさらに奥地の危険地域で凶暴な魔獣を狩り、そしてその素材を有力者に高値で裁いていた。その一方で、一流の傭兵としても高報酬で暁国各地での戦乱に参戦しており、数百人規模の小競合いならば彼一人の力で戦局を左右できる程の存在であった。
そこまで強い彼が命を落とす事になったのは何故だろうか、幼い頃の旭にとって熊吉は絶対無敵なのだ、簡単に死んでしまっては困ると思っていた。
春には彼の死について、聞いてはいけないような雰囲気があり、聞く事が出来なかった。
旭は熊吉のに死について、一年前に彼の傭兵仲間の杉次郎と妙にその顛末を聞く事で、ようやく納得がいった。
杉次郎と妙によると、
熊吉は縁あって越州で戦に参加していた。
彼の活躍もあって戦況は有利に進んでいたものの、突如味方の重臣達が裏切り、友軍は背後を突かれ敗走してしまう。
彼も撤退を開始するが、運が悪い事に重臣達に裏切られ孤立無援となった味方の総大将に頼られてしまう。
そんな厄介事は無視してさっさと逃げようとしたが、悲しいかな総大将は五歳の子供だった。
五歳の子供は勝手に戦の旗頭に祭り挙げられた挙句、またしても勝手な大人の都合で味方に裏切られたのだ。
そして今やその小さな命を守る者は直属の騎士数名しかいない。
小さな命は風前の灯火であった。
熊吉自身も子を持つ身として、そんな不憫な子供を見捨てる事に少なからず罪悪感に駆られて、仕方なしに敵から逃げ切るまでは付き合ってやることにした。
なんとか敵軍の囲みの薄い所を突破して、滅多に人が通らないような山道を進み、ようやく隣の上州にへと逃げ込もうかといったその時、まるで彼らがこの道を通る事を知っていたかの如く、百人程の兵士が待ち構えていた。
総大将の子供の回りには熊吉ら傭兵三人に、側仕えの騎士二人の計五人しか残されておらず、さらにここまでの道程で彼らは疲れ切っていた。
圧倒的な戦力差である。
まともにぶつかるのは自殺行為に等しかった。
だからといって、追手が迫っているため反転する事も出来ない。
前門と虎に後門の狼、進退窮まるとは正にこの事だ。
この状況に百人に突っ込んで行っても全滅するのは目に見えている。
熊吉は覚悟を決めた。
付き従っている傭兵二人は長年可愛がってきた奴等だ。
このまま三人仲良く死ぬくらいなら、俺が命に代えてこいつ等の逃げ道を作ってやろう。
それに子供を見殺しにするのも胸糞悪い、ついでだが子供達三人も面倒見てやるとするか。
春と旭には悪いがこれが俺の生き方だ、悪く思わんでくれよ、と心の中で謝罪をした。
熊吉は杉次郎と妙に、家族に形見として渡すようにと言い、腰に差してある剣と貴金属や小物が入った袋をそれぞれに渡した。
杉次郎と妙は熊吉を犠牲にしてまで生き延びるつもりもなく、既にここで死ぬ覚悟を決めていたため、それらを受け取るのをためらったが、彼の鬼気迫る表情を見て、納得はいかなかったが渋々了承した。
「まず俺が先頭になって敵軍を突破する。しばらくしたら山道も細くなってくるからそこまでは全力で走れ。俺はそこで敵を食い止めるから、その間におまえらは上州に逃げ切れ、解ったな」
熊吉の言葉を、さすがに一流の傭兵である杉次郎と妙は涙をこらえながらも真剣に聞き入る。
同様に、騎士二人も神妙な面持ちで頷く。
一方これが今生の別れとなる事を雰囲気で察した子供は、短い間で既に熊吉にとてもなついていたため、顔が涙でビショビショに濡らし泣きじゃくっていた。
「虎千代よ、めそめそ泣くな、男の子が情けないぞ!」
「ふぐっ、ひぃぐ……、僕本当は……」
虎千代が泣きながらもなにか言いかけようとするが、
「熊吉様、殿とお話のところ申し訳ないが急がないと追手も迫ってきましょう。そろそろ行動に移しませぬか」
急かす感じで、虎千代の配下の騎士が話を遮ってきた。
「そうだな、ではやるとするか。お前ら俺にしっかりついてこいよ!」
熊吉は一度空を見上げてから、口を大きく開けてそう言い放つと、手負いの猛獣が発するような空気を振るわせる程の掛け声を放ち、長槍を振り回しながら敵に突っ込んでいった。
死を忘れたかのような勢いで迫ってくる熊吉に、敵兵は恐れ戦き死ぬのは御免だと言わんばかりに道を開ける。
まんまと敵兵を突破した彼等は予定の地点まで逃げ切る事ができた。
「ここでお別れだ。杉、妙、春と旭には悪かっと伝えておいてくれ」
杉次郎と妙がなんとも言えない表情で熊吉を見る。
「ぼやぼやしてると、みんなおっ死んじまうぞ、さっさと行け!」
そう吐き捨てると、熊吉は踵を返して敵を待ち受ける。
ここまで来てはもう余計な言葉は無用とばかりに、各人も熊吉に一礼してから山道を駆け出した。
杉次郎達は熊吉と別れた後、なんとか無事に上州に逃れる事が出来た。
越州から上州に入ってすぐの場所に沼田郡がある。
杉次郎と妙は厄介事は御免とばかりに、沼田郡入るとすぐに虎千代達と別れ、その足で月夜野村に向かい、春に熊吉が死んだ可能性が高い事とを伝え、形見の剣と袋を渡し村を後にした。
その後、熊吉がどうなったかは分からない。
ただ風の噂によると、百人程の追手を彼一人で討ち取るも、最後は敵軍の虎の子の魔術師が出張ってきて、攻撃魔法と弓の一斉射撃を受けて奮闘むなしく斃れたらしい。
ここまでが、旭が杉次郎と妙から聞き知る所である。
旭は熊吉について思う所はたくさんあった。
あたかも軍記物の一幕で、主君を命がけで守る忠臣の様な死に様だ。
しかも一人で数百人の敵を足止めするなんて……、
そんな大それた所業を出来る奴は、暁国広しといえども彼を除いているだろうか。
大陸全土まで視野を広げれば、もしかしたら存在するかもしれないが……。
正に英雄だ。
旭は自分の父親では無ければ、男の中の男として彼を心から尊敬できただろう。
ただ熊吉は残念な事に、旭の父親である。
旭としては虎千代など相手にしないで、家族の下に無事に帰ってきて欲しかった。
あの時の春の泣き顔は、子供心に深く突き刺さった。
それに杉次郎と妙、さらに虎千代は結果として生き残ったではないか。
熊吉を犠牲にして……。
なんだかんだで結局彼が一番割りを食らっているのだ。
旭は熊吉の死を通して、一つの考えに至った。
『人の為に死ぬなんて真っ平御免だ! 結局生き残った奴が得をするんだ。それに家族を泣かせる事になる。何より俺自身がそんな綺麗事で人生を終わらせたくない! 父さんだってやり残した事があるはずだ。人生は一度きり、俺は満足し終えるまで卑怯者と罵られようが自分の為に生きてやる!』
さらに、
『今や力ある者がのし上がり幅を利かせている世の中だ。自分の為に生きて何が悪いのだ!』
旭は熊吉の死を、全否定とまではいかないが反面教師にする事で、なんとか消化する事が出来た。
そして彼の様な死に方はしたくは無いと心に強く誓ったのであった。
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数日後、熊吉の命日である九月十日になった。
彼の死を目の当たりにした者はいないため、正確ではないが杉次郎達が熊吉と別れた日を命日としている。
二人は夜明けと共に起床すると、
旭は村の厩舎に行き、預けてある馬二頭を迎えに行く。
旭達は農家ではない為、必要な時に使えるように村の厩舎で自分達の馬を預かってもらっている。
馬を連れて家に帰ると、花束や酒などのお供え物の入った袋と飼葉を用意する。
それが終わると、馬に飲ませるための水を汲みに川へ行く。
馬は大量に水を飲むので、大きめの桶二つになみなみと水を入れ、それらを馬の両脇から垂らす様に縛り付ける。
その間、春は朝食兼弁当を作っている。
三十個ものおにぎりを握り終えると、卵焼きなどの軽いおかずを作り弁当箱に詰め込む。
「もういいわよ、そろそろ出発しましょう」
「了解。ただその前に朝飯は確保させてくれよ」
準備も完了したようだ。
旭は小脇に朝食のおにぎりを抱えながら、お供え物や弁当お入った袋と紐で括った飼葉を背負うと、桶を付けていない方の馬に乗る。
春も家に鍵をかけると、花束を背負ってから、馬に跨った。
「さあ、行きましょう!」
村を出ると、二人は北へ向かう。
熊吉の墓は上州と越州を結ぶ山道に作られている。
春が熊吉が亡くなった場所になるべく近い所に墓を作りたいと言った為である。
道中は特に不都合なく進み、昼前には熊吉の墓に到着した。
登り道を数時間歩いたためか、馬も疲れているようだ。
旭は馬達を労うと、水の入った桶と飼葉を降ろして与えてやる。
「ヒヒーン!」
馬達も喜んでいるようだ。
すごい勢いで、飼葉にかぶりついている。
「俺も腹減ったわ、墓にも着いた事だしそろそろ昼飯にしようよ」
春に昼食を催促するが、
「だめよ! 先にお父さんに挨拶を済ませないと。ほら、早くお供え物を用意して頂戴!」
願いをあっさり拒絶された旭は、しょうがないか……、と諦めた感じで背負っている袋から酒や果物を取り出し、墓前に供える。
春はさすがは女性という感じで、花束を上手く取分け、綺麗に墓石と言うには少々大げさな巨石の周りに飾り付けている。
太陽が頭上に来る頃には墓掃除も終わっており、二人は墓前に手を合わせ目をつぶっている所だった。
旭は無心だが、春は何事かお願いしている様だ。
程なくして二人は目を開き、立ち上がり弁当を広げる。
「さあ、お参りも済んだし、ご飯にしましょうか」
「ふぅ……、待ちわびたぜ! じゃあ早速――、いっただきまーす!!」
旭はいつもの勢いで握り飯にかぶりつく。
春も労働の後なので、腹がすいていたのか普段より多めに食べている様だ。
三十分後……。
二人は墓前で焚かれた香の匂いを楽しみながら、食後の余韻に浸っている。
すると突然春が、
「もうお父さんが居なくなってから七年経つのよねー、時間が経つのは早いっていうけど本当よね。だって旭ちゃんもあと一年半で成人だしね……、……何か将来の事とか考えてるの?」
一瞬ためらいながらも、しっかりと旭を見つめながら聞いてきた。
今迄、春は旭の将来についてたずねてはこなかった。
『村を出て行く』と告げられるのが怖かったのだろう。
旭が冒険者になり、熊吉の様な最後を遂げるのだけは、親として許す事が出来ない。
しかし旭は毎日、遠くない日に魔境や戦場に行く言っても過言でないような激しい鍛錬を行っており、いつかは村から出て行く事を考えているのは誰が見ても明らかである。
その上、年を経るごとに益々父親の面影を強く見せる様にもなって来た。
そんな姿を見て春は、「熊吉さんにそっくりだわ、姿も生き方も……」と、嬉しさと諦めが入り混じった感情を抱く一方で、旭の成長も感じ、彼の気持ちも尊重してあげなければいけないと思うようになり、意を決して旭に先程の質問をぶつけたのだった。
旭は突然の言葉に一瞬驚いたが、春の真剣な眼差しを受けると、視線を外し気味に口を開く、
「まだしっかりとは決めてはいないけど、『村を出る』気持ちは持ってるよ……。ただ母さんの事が心配な――」
「旭ちゃんが私の心配をしてくれてるのは判ってるわ!でも子供がそんな余計な事を考えなくてもいいのよ! あなたの人生なんだから自分の好きな様に生きなさい!!」
彼の歯切れの悪い返事に対し、春は食い気味に、めったに話さない強い口調で涙を浮かべながらまくし立ててきた。
春の本心が、旭に出て行かれるのが嫌な事くらい、彼自身も十分自覚している。
ただ彼女がこれ程までに決意を持った発言をしてくれたのならば、旭もその気持ちに答えなければならないと思った。
「……母さん、……ありがとう。俺、自分の力でどこまでやれるか試してみたいんだ……。……成人したら村を出る!」
「そう……。分かったわ、でも約束して頂戴! お父さんみたいに家族を残して死んだりしないって……」
旭は春に無言で頷くと、
「これでこの話はおしまい! まだ大人になるまで時間はあるんだし、それまで二人で仲良く暮らしましょうね」
春はもう十分とばかりに話を打ち切った。
彼女にとっても辛い決断だったようだ。
変な空気になってしまったが、つつがなく墓参りも終わり、二人は帰宅の途に就いた。
帰り道は、荷物も減り下り坂だったため、馬達の足取りも軽やかに進み、予定よりも早く家に帰って来る事が出来た。
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夜になり、旭は湯船につかりながら一人呟く。
「とうとう本音を言ってしまったな……。でも母さんは許してくれた。
俺に出来るのは、母さんとの約束を守るため、そして俺の野望のために、誰にも負けない位に強くなるだけだ! 明日からは今迄以上に訓練に励まないとな!」
旭は村を出る迄に、春の不安を取り除けるくらいには強くなってやろうと心に誓った。
ご意見ご感想お待ちしています。
評価をしてくれたりや、不自然な点も指摘してくれるとありがたいです