馬車の中で思うこと
ああ、元いた世界の車の中って意外と振動は抑えられているんだな、と思わせてくれるようなひどい揺れの馬車の中で、俺は二人の女性の対面する席に座っている。
女性と言っても年齢でいえば、自分と同じ、十六から十八ぐらいの年齢だ。そうはいっても、自分のようなアジア系の顔立ちではなく、西洋系の白人の顔だ。顔のつくりが違うからあまり正確な年齢までは知らないが、成人の女性ほどの成熟したものではないと思う。多分。
二人ともファンタジーというか、中世のヨーロッパとでも言うべきか、赤と青のドレスをそれぞれ着ている。ドレスといっても肩やスカートがふわっとした奴ではなくて、すらっとした簡素なものだ。衣服に飾りがない代わりなのか、ネックレスやブレスレットなどをやたらと身につけている。二人とも魔術師だということを知っている身としては、そこに何かしらの補助が得られるようになっているのだろう。
そして片方の赤のドレスを着た少女、マーガレットは不満気な顔つきでこちらを睨んでいた。その一方で隣に座っているのは青のドレスを着たすまし顔の少女、ルチアだ。
そして俺は俺で、この世界に合った中世の貴族のような男性服を着せられている。とはいっても、その服は肩口から胸元近くまで、裂かれており、血が滲んでいる。
頬杖をついたマーガレットは俺の肩口を見て、ため息を付くと、窓の外へ視線を向けた。
ルチアの方を見れば、俺の視線に気づいたのか、軽く微笑まれた。それに俺は苦笑いして、俺はルチアのほほ笑みから視線を外すようにマーガレットと同じように窓の外に目を向けた。
視界には流れる木々が映るが、それでも感覚は裂かれた服の辺りへ向かってしまう。
傷は塞がっている。もう塞がってしまっている。だが包帯の下の、その皮膚の下で少しだけ傷跡に沿って熱を帯びているのがわかる。
裂かれた服は道中で襲われた山賊のせいだ。
この馬車はレーニ・アガトとかいう都市へ向かうであった。ほとんどの道は人気のない原っぱや林の間を走らせている。俺がいた日本のように漫然と家屋が道沿いに見えるわけではない。見渡す限り原っぱで人の気配がない場所などは村や町のような集落の間では普通なのだ。そしてそういう人気のない場所はいわば、無法地帯なのである。
俺はそのような場所で無頼漢からこの馬車を守る役目を負っていた。雇い主は目の前の赤い服を着た少女、マーガレットだ。
元いた世界では、朝、起きて学校に行って、部室で駄弁って家に帰る。
そんな生活してた人間が「山賊が出たから、戦います」なんて、普通に考えて無茶苦茶だ。
しかし不思議なもので、元の世界にいた頃とは違い、一歩、強く踏み込むと五、六メートルの距離を駆け抜け、少し強く剣を振っただけで一回り大きい男がよろめかすことができる。
面白いように体は軽く、そして振るう力は重い。地面が固く感じられればその分だけ、そんな屈強そうな男たちをおもしろいように吹きとばすことができた。
俺TUEEEE系のラノベの主人公のように暴れ回っては三人ほど倒し、そしていい気になっていたところを後ろからざっくりとやられた。
体の芯に鉄の塊がずんぐりとした重量が生じて、ひざを折った。何事かと確認しようとして、左の肩から剣先が生えているのを目で見たら、力が抜けた。痛いとか、怖いとか感情を通り越して、駄目だな、と思ってしまった。
そこから記憶はない。
気がついたら、俺は上半身裸で、ルチアが包帯を巻いていた。マーガレットはこちらを一瞥して、俺が目覚めたことを確認すると「使えない」とだけ呟いた。
包帯の下は見えなかったが、左肩をおもわず触ってしまう。手の感触から傷はすでにふさがっているようだった。ただ、傷口の熱と痛みに沿って、多少のくぼみができているようだった、ふさがっているのは、いわゆる魔法というやつなのだろうか。それともこの体がそういう風にできているのだろうか。気を失ってしまい、迷惑をかけてしまった手前、どういう仕組みなのかを聞くことができなかった。ただ”この世界”ではそういうものがあるということは知っていたから、そういうものなのだろうとすっきりとはしなかったが、勝手に納得した。
ルチアに包帯を巻かれながら半ば、放心状態でいると、「お、気がついた?マジで大丈夫なのかよ」と快活な声がかかった。
「よかった、よかった」と微笑むのはこれもまた自分と同じ年頃の男だ。アジア系、いや端的に言って、自分と同じ日本人である。俺と同じように服が全く似合っていない。こいつは俺と同じ世界、同じ時代の人間だ。
そいつは俺と違い、土と血でで服が汚れていたが、無傷のようだった。だからなんとなく直感的に、こいつが残った奴らを倒したのだろうと思った。
この世界に迷い込んだのは俺一人ではなかった。
そしてきっと異世界に迷い込み、活躍するのは俺ではなくて、やはりこいつのほうなのだろう、と確信する。
ああ、もうすごく元の世界に帰りたい。