表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/60

2-06

 カーミラとロレッタが驚いたように目を瞬かせる。プリシーが励ますようにエフェメラの肩に手を添えた。


「仕方ないわ。サンドリームの社交界に慣れているならまだしも、エフェメラは国外出身なのだし」

「プリシーの言う通りね。お気になさらないで」


 カーミラが茶器を静かに置き、にこりとほほえむ。


「挨拶を交わした二百名以上、すべてが初対面だったのだものね。覚えていらっしゃらなくても仕方がないわ」


 優しい言葉にエフェメラはほっと胸を撫で下ろす。彼女たちの気分を早速害してしまうかと思ったが大丈夫そうだ。


「ロレッタさまは、もうヴァーリ市にお住まいなのですか?」


 アナが話題を変えた。ロレッタはアナをちらりと見た後、縦巻き髪を大仰に払った。


「まだよ。いまはヴァーリ侯爵のお屋敷を改築しているところなの」


 予想外に出てきた名前に、エフェメラは弾かれたようにロレッタを見た。ヴァーリ侯爵とは、ひと月前に王都であった闇競売の主催者だ。ディランに捕らえられ、いまは牢の中のはずである。ヴァーリ侯爵が統治していたヴァーリ市の管理は、ロレッタの家に任せることになったらしい。


「侯爵だなんて、本当にすごいですわ。あたし――じゃなかった、わたくしのお父さまなんて、どう転んでも子爵から上の位になんてなれそうにないですもの」

「でしょうね。普通に暮らしているだけじゃ、伯爵にもなれなくってよ」

「でも、アナのお父さまはハキーカ教会に力を入れていらっしゃるのでしょう? 尊敬されるべきことだわ」


 ハキーカ教会は大陸で最も信仰者が多い宗教だ。サンドリーム王国の国教にもなっている。プリシーに言われ、アナは感激した。


「ご存知なのですか? あんな小さな町のことなのに……。プリシー王女殿下のお目に留めていただけるなんて、光栄です。――帰ったらお父さまに教えてあげないと」


 使用人が新しい紅茶とケーキを運んできた。ケーキを食べ切っていたのはエフェメラとアナだけだったが、使用人は食べかけのケーキも片づけて別のケーキを置いていく。


 もったいない贅沢な食べ方だとエフェメラは思った。だがケーキを十個は食べられるエフェメラと令嬢たちとでは、満腹具合が違うらしい。より多くの味を楽しむための仕方のない食べ方なのだろう。


「――次に侯爵位が空く機会は、ずっと先でしょうね」


 イルマの呟きにプリシーが返す。


「イルマは侯爵令嬢になりたいのよね。理由はもちろん、ユーピテル公爵家のご子息、リアムさまと結婚したいから?」

「そっ、そんなことは」


 否定しながらもイルマの顔は真っ赤だ。プリシーが口の端を上げてエフェメラに顔を寄せた。


「リアムは黒髪と空色の瞳が美しい美形なのよ。いま十八歳なの」


 ユーピテル公爵は最北端の大都市、聖都ヤーヌアーリを統治する貴族だ。シャドの山の麓にある都市で、山の管理もユーピテル公爵家が担っている。


「公爵位の花嫁は上の爵位の令嬢から選んでいくものだから、侯爵にならないと選ばれる確率が低くなってしまうのよ」


 サンドリーム王国の王侯貴族に婚姻の自由はない。身分違いの婚姻が法律で禁じられているのはもちろんのこと、階位も大いに影響する。


「ならば、後継ぎのいない侯爵を殺すしかないわね」


 言ったのはカーミラだった。卓にいる全員が物騒な表現に驚く。


「そうでもしないと、欲しい彼は手に入らなくってよ?」


 冗談とも本気ともつかない笑みだ。プリシーが怖い顔をする。


「なんてことを言うの、カーミラ。冗談でも言って良いことと悪いことがあるわよ」

「ふふっ、ごめんなさい。怒らないで、プリシー。……でもなら、リアムさまは、あなたと結婚することになるのかしら?」


 プリシーが表情を硬くした。エフェメラは少し驚いた。プリシーは会うたびに大人びていて余裕を崩すことがない。表情を繕わないところを初めて見た気がした。カーミラは楽しむように黒い瞳を細める。


「噂で耳にしたのよ。リアムさまは、あなたのことが気になっているみたい」


 プリシーが困ったように目線を下げ、イルマは戸惑い俯く。卓の雰囲気を敢えて重くしたかのようにカーミラは愉快げだ。


「残念ね、イルマ。でも、夢を見てはいけないわ。この国では貴族は侯爵以上にはなれない、そういう仕組みなのよ。悪いことは言わないから諦めなさい。世継ぎのいない侯爵が亡くなるなんて幸運、きっと今回が限りでしょうから」


 エフェメラは言葉の意味を理解し損ねた。


「いまのは、どういう意味ですか?」


 つい急に尋ねてしまったエフェメラに、カーミラがいささか面食らう。


「どう、とは、どういう意味かしら? 侯爵以上にはなれないという仕組みが、ご理解いただけない?」

「いえ、そうではなくて。どこかの侯爵が亡くなったという意味ですか?」


 カーミラは苛立った顔をした。


「だから、ヴァーリ侯爵が亡くなったのよ。いままでのわたくしたちの話を聞いていなかったの?」


 カーミラの言葉が頭の中に木霊した。呆然とするエフェメラにプリシーが説明を加える。


「エフェメラは知らなくても仕方がないかもしれないわね。先月の結婚式から数日経ったあたりだったかしら。王都から領地へ向かう途中の崖に、誤ってヴァーリ侯爵の馬車が落ちたの。馬車はどうにか引き上げられたのだけど、扉は開いていて中は空っぽだったのですって。おそらく衝撃で投げ出されてしまったのでしょうね」


 プリシーが嘘をついているようには見えない。しかし、ヴァーリ侯爵が亡くなったはずがない。


「ヴァーリ侯爵は捕らえられ、いまは牢の中にいるのでは?」

「何を言ってるの?」


 ロレッタが片眉を大きく上げる。


「どうしてヴァーリ侯爵が捕まらなければならないのよ。悪い噂なんて一つも聞いたことのない、犯罪とは無縁の方よ?」

「ええ。市民の評判も良かったわ。重い徴税もせず、集めた美術品を学校や美術館に寄付していたとも聞いているし」

「それは……」


 それは恐らく、その美術品が不要になったからに違いない。エフェメラは競売会場の地下牢で会ったスプリア人の少女を思い出した。


『あたしはずっとおもちゃにされてたんだけど、飽きられたから売られることになったの』


 彼女のように、飽きたものは捨てようがあげようがどうでも良かったのだ。ヴァーリ侯爵の表向きの評判は良かった。エフェメラも、結婚式の舞踏会で初めてヴァーリ侯爵と会った時はまさか人身売買をする人間だとは思わなかった。


 どちらが事実なのだろうか。ひと月前、朝陽に照らされる馬上でディランと会話をした時、ヴァーリ侯爵を捕らえ兵に引き渡したと確かに言っていた。表向きは死亡したことになっており、実は牢の中にいる、ということなのだろうか。すると死亡したことにする理由は何だろう。


「……エ、エフェメラ妃殿下は、ご趣味はおありですか?」


 アナが口を開いた。静かになった場を変えようとする発言だった。エフェメラはひとまず考えるのをやめ、会話に意識を戻した。


「わたしは、お花の世話をすることが趣味です」

「花の世話? 庭師がするような?」

「はい。お水をまいたり、お手入れをしたりするのが大好きなんです。いつも夢中になり過ぎて時間を忘れてしまうのですが」


 はにかんで笑うエフェメラをカーミラが冷めた目で見る。その時甲高い少女の声が柱廊から響いた。


「あらー? 珍しい人がいるじゃない」


 気の強さを象徴するような緋色の髪を揺らし、ドレス姿の少女がつかつかと芝を横切って近づいて来る。身にまとう黒のドレスには、赤絹と金糸でできた派手な縁飾りがこれでもかという程ついている。


「マリアンヌお姉さま……」


 プリシーが苦い顔をした。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ