表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
59/60

2-58

「そう。どうせ、王子とくっついたんだろ?」


 エフェメラは首を横に振った。


「え? じゃあ幼なじみと?」

「それは、わからないの。……作中では幼なじみと結ばれなかったけど、将来は結ばれるかもしれないわ」

「なんだそれ」

「とっても、哀しい終わり方だったのよ」


 エフェメラは、本の最後の内容を話して聞かせた。


 物語の終盤、主人公の少女や王子、幼なじみが住む〈南の国〉は、〈東の国〉と戦争をすることになる。兵士としてかり出された幼なじみを心配した少女は、戦争を止められないかと王子に頼み込む。


 王子は少女の願いを叶えるために行動した。まず、東の国に南の国を譲ると言った。自分の国を売ったのだ。二つの国はすぐに戦争をやめ、南の国は東の国の支配下となった。


 すると東の国に、〈西の国〉が攻めてきた。西の国は、南の国は自分たちのものだと言い張った。


 実は、王子は東の国に自国を譲ると言ったが、まったく同じことを西の国にも言っていた。王子は、東の国からも西の国からも、それから国を売ったと南の国からも責められた。そして、処刑された。


 その後、東の国と西の国は、南の国を取り合って戦争を始めた。一度手に入ったと思った国である。二つの国のどちらもが、どうしても南の国を欲しくなってしまったのだ。


 東の国と西の国は、三年ほど戦争をした。その間南の国は板挟みになっていたが、されることは物資を奪われることくらいで、ほとんどの民は畑を耕し細々と暮らすことができた。少女と幼なじみも、無事だった。


 長い戦争に疲れ、東の国と西の国が疲弊していた時、二つの国に〈北の国〉が攻めてきた。東の国と西の国は、あっという間に北の国に負けてしまった。


 三つの国が北の国の支配下となった。しかし南の国は、東の国と西の国に比べてずっと扱いが良かった。


 真実は、南の国が東の国の支配下になる前まで遡る。少女の願いを聞き入れた王子は、実は北の国にも行っていた。そして北の国の王に、数年後に三国すべてを手に入れられる好機があることをほのめかしていた。


 北の国の王は、何故教えてくれるのかと王子に尋ねた。王子は願いを口にした。『もし本当に北の国が三国を手に入れることができたのならば、南の国の民を大切に扱って欲しい』と。


 戦争はなくなった。南の国の民は、ずっと平和に暮らした。


 話を聞き終え、アーテルとアルブスはそろって複雑な顔をした。


「なんか、報われたけど、やりきれねえ話だな」

「僕、こんな後味が悪い絵本、先月読んだよ」

「……幸せだけが残るわけではない、哀しい終わり方だったわ」


 物語というものは、年月が経つと内容を忘れてしまうものが多い。こんな話だったかなとぼんやりは覚えていても、結末が曖昧になっていたり、登場人物の名前がすっかり思い出せなかったりする。


 だがエフェメラは、この『夜空の花の王子様』という物語のすべてを、きっと死ぬまで忘れないだろうと思った。


「そうそう。わたし、本の題名について、ずっと勘違いしていたの。『夜空の花の王子様』って、王子さまの夜空色の瞳が、花のように美しいって意味だと思ってたのだけど、でも、少女と王子さまの最後の会話で、王子さまが言うの――」


 窓に西陽が射していた。もう夕食の時間だというのに、空はまだ明るい。


 すっかり日が長くなった。春が、終わる。


   ×××


 アナとコリーはカルケニッサの町へ続く細い街道を歩いていた。時折休憩を挟んだものの、午後はずっと歩き通しだ。


「暗くなる前にカルケニッサに着くのは無理そうですね。やっぱり、さっきの村で宿をとるべきだったでしょうか」

「夜中までに着けたらいいわ。夜に歩くって言っても、まさか一日に二回も襲われることなんてないでしょ」


 陽はすでに山の端にかかり、二人の影は細長く伸びている。今日は疲れた。アナはすべてを忘れ、すぐにでも自分の部屋で眠ってしまいたかった。


「お嬢さまは簡単に考え過ぎです。僕はまだ、追っ手が来るんじゃないかと気が気じゃありません」

「……来るわけないわ」

「ですからお嬢さまは――」

「だって、全員死んでたもの」

「……え?」


 眼鏡を失くしてしまったせいで、コリーにははっきり見えなかったのだろう。だがアナはすべて見えていた。


「……た、確かに、男の人の叫び声は、しましたもんね。……血が流れて倒れるのはわかったんですが……そう、だったんですか」

「……」

「でも、僕たちだって、殺されそうになったところをどうにか逃げてきたんですから。何人かは……仕方がなかったと言えるかもしれません」

「何人かじゃない。全員、って言ったでしょ。……コリー。リリシャもよ。リリシャも、死んでたの」


 コリーは今度こそ顔の色を失くした。


「あの時、リリシャが急に倒れたのを覚えてる? あんたを捕まえてた男と一緒に」

「はい。僕もあれは、何があったんだろうとは思っていましたが……」

「あたしも、何があったのかわからないの」


 何かがあったと言うよりは、何もなかった。何もなかったのに、二人が同時に息絶えた。アナは倒れたリリシャの顔をしっかりと見てしまった。リリシャは目を開けたまま、呼吸もせず、瞬きもしていなかった。コリーを捕まえていた男も同じだ。


「いきなり死んだのよ。まったく意味がわからなかったわ。……でも、何かしたのだとすれば、殿下がやったとしか――」

「殿下?」

「あ、いえ、間違ったわ。デストロイさんが何かをしたとしか思えないのよ。リリシャが死ぬ直前、デストロイさんがリリシャに訊いたことを覚えてる?」

「教典の『心の誕生』の物語に関することですよね、先日ヘーゼル司祭さまが話していた。それを例えて、リリシャさんに『二度と光を見ない覚悟があるか』って」

「あれは明らかに、死ぬ覚悟があるかって意味でしょう? それで、リリシャは否定をしなかった。その次の瞬間に死んだんだもの。どう考えたって、デストロイさんが何かしたのよ」

「でも、何をしたって言うんですか?」

「それがわからないから意味がわからないの。ただデストロイさんは、リリシャと、それからあなたのほうを見ていただけで……」


 アナは思考を巡らせる。


「ねえ、コリー。あなた、リリシャが倒れる寸前、デストロイさんを見てた?」

「見てましたけど」

「目は、はっきりと見えてた?」

「いえ、そこまでは……眼鏡もありませんでしたし」

「じゃあ、やっぱり目線が関係あるのかしら。リリシャが死ぬ寸前、デストロイさんがエフェメラに、目を閉じるよう言ってたのも少し気になっているのよね。単純に、人を殺すところを見られたくないからかなって思ったんだけど……」

「……お嬢さま」

「何?」

「デストロイさんのおかげで、僕たちはいまこうして生きているんです。そんな、犯人殺しみたいな」

「何言ってるのよ! リリシャが殺されたかもしれないって言うのに――……」


 ぽろりと、アナの目から涙が零れ落ちた。溢れ出したら止まらない。次から次へと、透き通った涙が頬を伝う。コリーはアナの肩に手を添えた。アナが両手で顔を覆う。


「……あたしこそ、何、言ってるのかしらね。リリシャに、殺されそうになったばかりだっていうのに……」


 リリシャはとても大切な友達だった。そう思っていた。


 きっとリリシャだって、アナを大切に思ってくれていた。ただリリシャにとって、ヘーゼル司祭のほうが大切だったというだけのことだ。


 遠い山の陰に陽が沈んだ。長く伸びていた樹木の影も人の影も、すべて消え、昼空と夜空が混ざり合う。


「……僕が、ずっとそばにいますよ。どんな時だって、いつまででも」


 アナはコリーを見上げた。コリーは優しくほほえんでいる。眼鏡がないと、いつもより少しだけ格好よく見える。


「それは、たとえあたしが、ほかの誰かと結婚したとしても?」

「はい。僕は誰とも結婚する気はありませんから。いつまでも、お嬢さまが一番です」


 同じだと思っていた身長は、いつの間にかコリーのほうが高くなっていた。ずっと一緒に育ってきたコリーがそばにいるのなら、いずれこの傷も癒えるだろうか。


 アナは涙を拭いた。そしてコリーと手をつなぎ、歩き出した。


「新しい眼鏡、買わないとね」

「はい。明日買いに行ってきます」

「あたしもついて行くわ。その目じゃ、カルケニッサの町でも迷子になってそうだもの」


 コリーが笑った。アナもつられて口元を緩めた。


 道端に、ラムルフルムの花が咲いている。手のひらほどに小さくて、一日で枯れてしまう青い花だ。


 だが、季節に問わず咲く強い花でもある。綺麗だな、とアナは思った。


 その時、後方から馬の蹄の音が聞こえた。アナは自然と振り返る。しばらくの間、道を歩いていたのはアナとコリーだけだったので、音にはすぐに気がついた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ