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2-55

 アナの瞳から涙が流れる。すすり泣く声を背中で聞きながら、リリシャは冷めた声を返す。


「……だから、放っておいてって言ったのに」


 短剣を握る右手に、リリシャが力を込めたのがわかった。


「こうなったのは、すべてあなたたちが悪いのよ。本当なら、私たちが捕まって、それですべてが終わるはずだった。――ヘーゼル司祭さまへの、恩返しとして」

「恩返し? リリシャが捕まることが、どうして恩返しになるっていうの?」

「疲れてしまったヘーゼル司祭さまが自由に休めるよう、時間を作ってあげる。盗みをしてお金を集めて。これが、私たちの最高の恩返しよ。……ねえ、アナ。私を手伝ってくれているのはね、みんな、孤児院出身の人たちなのよ」


 エフェメラは賊の男たちを見渡した。みな二十歳前後の若者だ。リリシャは、遠い昔を懐かしむように続ける。


「ヘーゼル司祭さまは、優しくて賢くて、みんなが尊敬してた。大好きだった。本当に、良い人なの。ずっと理想のまま、ほころびが生まれることもなく、司祭として尊敬を集めていた。完璧だった。それが、ヘーゼル司祭さま自身の誇りでもあった。だからこそある夜、教会の会合で、たまたま言われたくだらない言葉なんかをきっかけに、何十年も積み上げてきたものが崩れるなんてあってはならない。――ヘーゼル司祭さまはね、ひっそりとあの場所に通っていたの。疲れた心をほんの少し休ませるつもりで、誰にも知られないように隠れて、密やかに夜を過ごしていた、それだけだった。そっとしておいて欲しかった。それなのに、あなたたちはヘーゼル司祭さまの心を引き裂いた。何も知らないくせに、悪いことをしてると決めつけて、非難した」


 話しながらも、リリシャの短剣がエフェメラの首元を離れることはない。エフェメラは、自分と同じ十五歳の少女に、どうしてこんなことができるのだろうと思った。


「あなたたちは、とても残酷なことをしたのよ。ヘーゼル司祭さまにとっても、私たちにとっても。みんなの一途な想いを踏みにじって、台無しにした。――今朝、ヘーゼル司祭さまは、礼拝堂の椅子に座って震えていたわ。恐怖で震えていたのよ。祈るように、ずっと懺悔ざんげの言葉を繰り返してた」

「……あたしたちが、町中のみんなに話して回るとでも思ってるの?」

「アナ。まだわからない? ヘーゼル司祭さまは、決して強い人ではないのよ。だからこそずっと完璧でいたの。完璧でいないと、もう司祭ではいられない」


 アナは呆然と目を瞠りながら、乾いた声を出す。


「そんな理由で、本気で、あたしたちを――あたしを、殺そうって言うの? すべてをなかったことにするためだけに?」

「……もう、話すことはないわ」


 アナが驚愕に震え、脱力したように膝の力を抜く。腕を掴んでいた男が無理やり立たせようとするが、アナは蒼白のまま俯くばかりだ。リリシャは、最後までアナを振り返ろうとはしなかった。そしてディランに集中を戻す。


「大丈夫。あの子どもたちは殺しません」


 ローザとヴィオーラのことを言っていた。


「孤児院で育つよう、ちゃんと手配します。私が見守るのはもう無理ですが、ヘーゼル司祭さまがそばにいてくだされば、きっと素直で優しい大人になるでしょう。――さて。いい加減、おしゃべりはおしまいにしないといけませんね。沼に入るか、それとも全員を見捨ててあなただけ逃げるか、選んでください」


 ディランがようやく口を開く。


「言葉を並べてあなたたちを説得するのは、もう無理だろう。だから、これだけ要求させてもらう。君と仲間の命が惜しいなら、いますぐ全員を解放して欲しい」


 リリシャが眉をひそめる。


「何を、おっしゃっているのですか? この状況で言い張れることではないと思いますが」

「俺は、冗談で言ってるわけじゃない」

「……時間を稼いでるつもりですか?」

「違う」


 エフェメラも、ディランは何を言っているのだろうと思った。絶望的状況にやけになっているとしか思えない。リリシャも苛立たしげに息を吐く。


「理解できませんね。――三つ数えるまでに、沼へ向かって歩き出してください。でないと、二人の首を同時に斬ります」


 エフェメラは肺が冷たくなった。本当に、ここで死んでしまうのだろうか。ディランとちゃんとした夫婦になれないまま、やりたいことや見たいものもたくさん残したまま、今日が人生の終わりになってしまうのだろうか。


「一つ」


 死ぬ前に、もう一度スプリア王国に帰りたかった。家族に会いたい。ガルセクが死ぬのも、せっかく仲良くなったアーテルやアルブスが死ぬのも嫌だ。


「二つ」


 だが、ディランは助かるのだろうか。だったら自分は死んでもいいかもしれないと、少し考えた。最後にディランにほほえもうと思い、エフェメラはディランを見る。だがディランは何かに悩んでいるようで、エフェメラを見ていない。エフェメラは泣きそうになった。


「み――」

「ヒトを殺すことで、愛する神ハキーカの幸せを得ようとしたリースは、永遠とわの闇に閉じ込められた」


 ディランの唐突な語り出しに、リリシャが動きを忘れる。それは、カルケニッサの町に訪れた朝、ヘーゼル司祭が演説で話していた『心の誕生』の物語だった。天使リースの神ハキーカへの愛、そしてリースと友のイヴにより、人間が心を持ったという話だ。


「リリシャ」


 ディランが、リリシャの瞳を真っ直ぐ見て訊く。


「君は、二度と光を見ない覚悟があるんだな?」


 リリシャは少しの間ディランに気をとられていた。だがすぐに持ち直して瞳を鋭くする。


「時間切れですね」


 「そう」と、ディランが呟いた。リリシャが腕を振り上げる。その瞬間、ディランはようやくエフェメラと目を合わせた。


「フィー。いいと言うまで、目を閉じてて」


 どうしてだろうと思ったが、ディランの夜空色の瞳に優しさが見えたため、エフェメラは素直に目を閉じた。


 すぐに訪れるだろうと思った首の痛みはなかった。エフェメラが目を閉じた瞬間、リリシャと、それからコリーの後ろにいた男が、同時に崩れるように倒れた。


 二人が倒れた時には、ディランが隠し持っていた短剣が、アーテルに剣を下ろそうとしていた男の首へ刺さっていた。それを待っていたように、アルブスが自らを捕らえていた両隣の男の意識を奪う。


 短剣を投げた後、命中したことも確認せずに地面の剣を拾い上げていたディランは、ローザとヴィオーラのもとへ走っていた。そして二人のそばにいた男の腹を刺し、ガルセクを捕まえていた二人の男の片方を流れるように斬り倒す。


 残りの一人はガルセクに任せ、ディランは倒れた男が肩にさげていた弓を構えた。つるを引き絞り、アナのそばにいる男へ狙いを定める。


 アナのそばにいた男は一瞬でひっくり返った状況にただ呆気にとられていた。だがディランに弓で狙われていることに気づくと、とっさにアナを盾にしようとした。そこへコリーが突っ込んで来て、横からアナに抱きつく。


「お嬢さまっ!」


 アナとコリーが地面に倒れ、無防備になった男だけが立ち尽くす。ひゅっと風が鳴った次の瞬間には、男の心臓部にディランが射た矢が刺さっていた。


 一瞬だった。アナはコリーと倒れながら、何が起こったのか理解し切れず、呆然と周りに転がる人たちを見つめる。


「に、逃げましょう! いまのうちに!」


 叫んだのはコリーだ。ディランはエフェメラの手を掴む。ずっと目を瞑っていたエフェメラは急なことに驚いた。


 ディランに手を引かれて走りながらも、エフェメラは、いいと言われるまでは目を閉じていた。



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