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「探しました。ご無事だったんですね」
リリシャはエフェメラを見てほほえむ。傷の手当てしてくれた時と同じ、優しい笑顔だ。
「リリシャさん! どうしてここへ?」
リリシャに近づこうとすると、ディランが行く手に手をかざした。何だろうと顔を見上げる。ディランはリリシャを真っ直ぐ見据えている。
リリシャが笑顔を消した。二人の間に緊張が走った気がして、エフェメラは首を傾げるしかない。
「ディランさま、どうしたのですか?」
ディランは答えない。リリシャは一旦目を伏せた後、またほほえんだ。
「はじめまして、ですね。あなたがはぐれたというエフェメラさんの連れの方ですか。合流できたようで、良かったです」
「はい。あっ、でも……えっと……」
エフェメラはディランの名を『デストロイ』で通していたことの言い訳を考えた。だがリリシャは気にせずゆっくりと近づいて来る。
「みなさんを、探しているのでしょう?」
「あっ、はい。そうなんです! 賊の方に襲われて……。そうだ! 実は、アナとコリーさんも捕まってしまって」
「そのようですね」
「なので、早くみんながいる場所を見つけて、助け、ないと――……」
言いながら、エフェメラはどうしてリリシャが知っているのだろうと思った。それにディランは、賊の仲間がここへ探しに来ると言っていた。
リリシャはエフェメラとディランのすぐ前で立ち止まる。エフェメラは体から血の気が引いていく感覚がした。
「みなさんがいる場所なら私が知っています。一緒に行きましょう。早く行かないと、困ったことになってしまいますよ」
リリシャがエフェメラに手を差し出す。エフェメラは手をとるのを躊躇った。
「どうしたのですか、エフェメラさん」
「その……えっと」
「さあ。早く、行かないと」
エフェメラは不安でディランを見上げた。ディランは何も言わない。どうする術もなく、エフェメラは促されるままリリシャの手をとった。リリシャがディランに顔を向ける。
「さあ、あなたもご一緒に。そうですね。私たちの少し前を歩いていただけると助かります。方角は、私が指示しますから」
三人で起伏の緩い山道を進んだ。並ぶ木立から、葉に残った雨の雫が落ちてくる。ディランが素直に従っているのは、みなが人質に取られているからだ。
リリシャは普段と変わらぬ調子で目的地の方角を示していく。エフェメラの手は握られたままだ。
「……リリシャ、さん」
「はい?」
「どこへ、向かっているのですか?」
「みなさんがいるところですよ」
「……えっと……」
「少し木が開けた、大きな沼があるところです」
「沼……?」
「はい。この辺りでは知られている、深い泥沼です。入ったら自力で上がってくることが不可能な、底なし沼だと言われています。近寄る者がいるとすれば、自ら死を望む者くらいでしょうか」
死という単語に、エフェメラは思わず足を止める。リリシャが作り物の困り笑いをした。
「どうしましたか? みなさんが待っていますよ。早くしないと」
恐怖を感じながらエフェメラはまた歩き出す。リリシャはただ無言で歩くのが退屈だと思ったのか話を続けた。
「沼は、死を望む者を救済する場所となっています。十年前にも、一人の女性が身を投げました。その女性には、子どもが一人いたのですが、事情があり、産んだ時から一人で子どもを育てるしかありませんでした。女性は何年もがんばっていました。ですが、やはり無理をしていたのでしょう。五歳の子どもを沼のほとりに残したまま、命を絶ちました」
「……」
「残された女の子は、その場を動けず、ずっと沼を見つめていました。ある方に拾われるまで、ずっと」
「そんなことが……哀しい、お話ですね」
「いいえ。これは救済のお話なんですよ」
「え?」
「だって残された女の子は、無理をして働いていた母親が楽になることを、ずっと望んでいたのですから。――さあ、着きました」
闇を吸い込んだような、大きな黒い沼があった。エフェメラが目を奪われていると、リリシャに急に腕をひねり上げられる。声を上げる間もなく、喉元に短剣が突きつけられた。
少し前を歩いていたディランは、予想していたように落ち着いて振り返った。待ち構えていたように辺りの木の陰から人の気配がし、みなが出て来る。
アーテルが傷を負っていた。肩と額から血を流し、縄で縛られた状態で地面に投げ出されている。ローザとヴィオーラは、薬でも使われたのか眠っており、アナとコリー、ガルセクとアルブスは拘束はされているが無傷だ。賊の男たちは全部で八人で、アナとコリーに一人ずつ、ガルセクとアルブスに二人ずつ、残る一人はローザたちに付き、もう一人はアーテルの首に剣を当てている。
リリシャがディランに命じた。
「剣を、置いてください。あなたは縄で拘束しても逃げ出せるみたいですから、自分から沼へ入ってもらいます。大丈夫ですよ。ほかのみなさんもすぐに後を追いますから」
「ディ、ディランさま……っ」
沼に入るのをやめるよう言おうとするが、リリシャの短剣が首に触れる。冷たい感触に声が出なくなる。リリシャが物盗りの仲間など、信じたくなかった。
ディランは素直に剣を地面に置いた。すぐ後ろに広がる黒く深い沼を背に、僅かに哀しげにリリシャを見つめる。
「さあ。早く沼の中へ。目の前で、知り合いの首が二つも飛ぶところを見たくはないでしょう?」
ディランの前方にエフェメラが、右方にアーテルがいた。距離から考え、どちらか片方を助ければもう片方は助からない。
アルブスが、アーテルの後方で心配そうな顔をしている。アルブスが両隣の賊を倒すことは可能そうだが、倒している間にアーテルに何かあると思うと動けないようだ。ガルセクにローザ、ヴィオーラは、ディランの左方に、アナとコリーはそれぞれエフェメラの斜め後方にいた。全員が分散するよう計算されており、活路は見いだせない。
「リリシャ!」
アナが悲痛な声を出した。
「ねえ、やめてよ、こんなこと……」