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2-50 雨の真ん中

 スケッルス家のやしきの前には、アナが手配してくれた幌馬車が停まっていた。コリーが馬車へ水や食料を積んでくれている。


「馬車をもらうなんて悪いわ」


 朝食をとってまだ間もない時刻だ。エフェメラたちが町を発つため、アナとコリーは見送りに出てきてくれた。ディランとアーテル、アルブスも出発の準備はできている。ガルセクはコリーの荷運びを手伝い、ローザは何をしたのか、怒るヴィオーラから逃げ回っている。


「いいのよ。お礼ってことで、受けとって」

「そんな。大したことは、していないもの」

「そんなことないわ。とにかく、友達があげるって言ってるんだから、もらっておくべきよ」


 アナは『友達が』の部分を強調して言った。エフェメラは何も言えなくなり、厚意に甘えることにした。


 リリシャはいなかった。孤児院に一泊したローザとヴィオーラを迎えに言った際、声をかけようとしたのだが、姿が見当たらなかった。


「リリシャさんにも、あいさつをしたかったけれど」

「ほんとよね。リリシャったら、どこに行っちゃったのかしら。もう行かなきゃだめだっていうのに……。エフェメラがよろしく言ってたって、ちゃんと伝えとくわ。また、カルケニッサに遊びに来てよ。そうしたら三人で遊びましょ」

「ええ。きっと、また来るわ」


 馬車が出発してからも、アナはしばらく手を振っていた。エフェメラも、アナが見えなくなるまで手を振り返した。やがて子爵邸は見えなくなった。カルケニッサの町を抜け、街道へ入る。今度こそアプリ市へ向かうのだ。


 カルケニッサの町への来訪は思わぬ寄り道だった。だが、楽しかった。友達もできた。道端に咲く青藍色のラムルフルムの花を見ながら、エフェメラは今度来る時は教会堂に飾る花を持参しようと思った。


「フィー」


 景色を見ていると、ディランに名を呼ばれた。エフェメラはかなり驚いた。


「眠ったほうがいい。昨日は、ほとんど寝てないんだろ? 馬車の移動でも、体力は使うから」

「は、はい」


 ディランはいつもと変わらぬ平坦な調子で言った後、読書を始めた。また新しい本だ。カルケニッサの町で買っていたらしい。


 ディランとはまだ気まずかった。旅の初日に奴隷について言い合った件について、いまだ謝れていない上、森で野宿をした際にマントを貸してくれた礼も、洞窟へ落ちた時に手首を手当てしてくれた礼も言えていない。昨日だってディランの注意に従わず反発する態度をとってしまった。


 嫌われてしまっても仕方がないくらいの体たらくだ。だから正直、ディランから話しかけてくれて安心した。心配してくれているなら、まだ嫌われてはいないと思うことができる。


 エフェメラは素直に幌の奥へ引っ込んだ。ヴォルム村からの帰り道、馬に乗りながらずっと眠っていたが、それでもまだ眠い。エフェメラは、馬車に備えてあった毛布をかぶり、幌に背を預けた。


 だが眠ろうとしても、どうしても気になることがあり寝つけなかった。エフェメラは一旦眠るのを諦め、馭者ぎょしゃを担っているアーテルに近づいた。そしてアーテルにしか聞こえない声で話しかけた。


「ねえ、アーテル」

「ん?」

「その、……シーニーさんは?」


 昨日はいたはずのシーニーが、朝からいないことがずっと気になっていた。ディランには聞きづらい。シーニーを恋敵として意識していることに気づかれそうだからだ。


「さあ。オレが起きた時には、もういなかったけど」

「そ、そう。……シーニーさん、昨日の夜は、その……泊まったのよね? えっと、ディランさまと、ず、ずっと一緒だった?」


 眠そうに馬の手綱を握っていたアーテルが、にやりと口の端を吊り上げた。


「ははーん? なんだよ。あの女にいてんのか?」

「ええっ! えっと……えっと」


 エフェメラは赤くなって慌てた。アーテルは何かに納得するように大きく頷く。


「お前があの女を気にする理由は、まあわかる。残念なお知らせだが、あの二人、めちゃくちゃ仲いいからな」


 エフェメラは青ざめた。


「ディランがさ、ぜんぜん違うんだよ。よく喋るし、笑うし、全体的にいつもより明るいっていうか、いつもの冷めた態度はどこへ行ったんです? っていうか」

「そんな……っ」

「あいつ、いつもは愛想なく『ばかなんじゃないか』とかばっか言ってるくせにさー」

「……それは、アーテルに対してだけだと思うけど」


 「なんだとー」と怒るアーテルをおざなりに、エフェメラは再び眠る姿勢をとった。


 同郷で、そして一緒に育った幼なじみはやはり強敵だ。仲の良さなど到底敵わない。エフェメラはこのままではいけないと改めて思った。いまは馬車の中だから無理だが、アプリ市に着いたら、ディランと二人きりで話し謝る機会を作らなければならない。


(シーニーさんには負けないわ)


 エフェメラは決意を胸に眠りに落ちた。直前に聞いたのは、幌の屋根に雨の雫が当たる音だった。


   ×××


 馬が大きくいなないた。ひどく興奮した、悲鳴のような鳴き声だった。エフェメラは驚いて目を覚ました。瞬間、何かがエフェメラの上に覆いかぶさった。


「伏せろ!」


 ディランの緊迫した大声がすぐ上から聞こえた。エフェメラに覆いかぶさったはディランだった。


 何かと思う間もなく、数本の矢が幌を突き破り馬車の床に刺さった。うち一本はディランの肩を掠め、エフェメラの頭のすぐ横に刺さる。脳が一気に覚醒する。


 矢は立て続けに十数本飛んできた。その間、エフェメラは上げそうになる悲鳴を必死に呑み込んだ。第一波がやむと、ディランが素早く幌の外へ出た。


 エフェメラは馬車の床を見渡した。何本もの矢がでたらめに床に突き刺さっている。だが、幸いなことに誰にも当たっていない。ガルセクは床に伏せたまま馬車の外に顔を向けている。ローザとヴィオーラは、状況が飲み込めていない様子でアルブスの体の下に収まっている。


 雨が、幌の屋根を強く叩いていた。エフェメラが眠っている間に激しい雨に変わったらしい。破れた箇所から次々と雫が落ちてくる。エフェメラのワンピースにも水が浸食してきた。


 外に見える景色は山道だ。片側は斜面に、もう一方は崖になっている。朝、ディランとアーテルが、小さな山を一つ越えるいう話をしていたのを思い出す。


「何が、あったの……?」


 エフェメラは震える声で誰ともなく訊いた。ガルセクは困惑した顔でエフェメラを見る。


「私にも、何がなんだか。いきなり馬に矢が刺さったと思ったら、続けて矢がたくさん飛んできて……」


 幌から出たディランの横にはアーテルも立っている。激しい雨に、二人はあっという間にずぶ濡れだ。どちらも剣を構え、周囲を警戒していた。


 すると斜面に生える木の陰から、男が五人下りてきた。みな武装している。エフェメラが無意識に体を起こすと、アルブスの鋭い声が飛んだ。


「まだ伏せてて。いつまた矢が飛んで来るかわからないから。……まだ、隠れてる仲間がいるかもしれない」


 エフェメラは慌てて伏せた。念のため、腕で頭を覆う。その時、エフェメラは五人の男の中に知っている顔があることに気がついた。


(あの人、ヴォルム村で襲われていた男の人だわ)


 ガルセクが持つ路銀袋を盗んだ男だ。そして、剣を持つ姿を見てさらに思い出す。


 あの時見覚えのある顔だと思ったのは間違いではなかった。ヴォルム村で金を盗んだその男は、三日前、橋を渡ろうとしたエフェメラたちの馬車を襲った一人だった。


「目的はなんだ」


 ディランが五人の男たちに向けて訊く。しかし男たちは互いに目配せをするだけだ。答える気はないらしい。男たちは剣を構えると、そのままディランとアーテルに向かってきた。


 多少は腕が立つのだろう。だがディランとアーテルの敵ではなかった。二人が剣の柄で一撃を食らわせただけで男たちは動けなくなる。腹をおさえ膝をつく男の一人に、アーテルが近づいた。そして喉元に剣をかざす。


「質問に答えろ。なんでオレたちを狙った」


 アーテルは激しい雨に鬱陶うっとうしそうに目を細くし、男を見下ろす。だが男は、冷や汗を流しながらも何かに堪えるように唇を引き結んだままだ。


 アーテルは指示を仰ごうとディランを振り返った。その時、足元に矢が飛んできた。矢を避けながら斜面を見上げると、一人の男が弓を構えている。隣にはもう一人男がいた。その男の手には、縄で拘束された男女がいた。


 馬車から様子を見ていたエフェメラも思わず息を呑む。拘束されていたのはアナとコリーだった。どちらも両手を縄で縛られ、声が出せないよう口に布を巻かれている。恐怖に揺らぐアナの瞳と、目が合った。


「アナ……」

「おとなしく剣を捨てろ! 馬車にいるやつらは全員出て来い!」


 弓を構えた男が叫ぶ。アナの喉元には短剣が当てられている。アーテルが舌打ちをして剣を地面に投げた。ディランも剣を地面に置く。



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