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2-48

   ×××


 アナは賑やかな大通りではなく、外灯も小さな細い路地を選んで進んだ。やがて出た場所は、周りに樹木が植えられた教会堂前円形広場だ。ディランが今日何度も来た場所である。


 鐘楼しょうろうを頂く翡翠色の屋根の教会堂は、夜の静けさを放っていた。入口に、淡い橙の光が灯っている。


 アナは誰もいない広場を横切り、教会堂の中へ入った。ディランとシーニーは教会堂の窓を覗く。アナは礼拝堂の席に一人で座っていた。ほかに人影はない。灯りも、二体の天使像、リースとイヴの像を照らすものしか焚かれていない。アナは祈りをするでもなく、ただじっと座ったままだ。


 しばらくすると、礼拝堂に一人の修道女が入ってきた。アナは修道女に気づくと立ち上がる。そして二人は、何かを話し始めた。


「会話が聞こえないわね」

「中に入ろう」


 ディランとシーニーは、裏手の孤児院へと素早く回った。周りの樹木や建物のひさしをうまくつたいながら屋根に上り、今度は孤児院の建物で囲われた庭へと下りていく。途中にあった窓からは、部屋でぐっすりと眠る子どもたちの姿が見えた。


 中庭は、夜の闇を吸い込み無音だった。昼間は子どもたちで賑やかでも、いまはその影もない。中庭から見える窓には一つだけ明かりが灯っている。調理場の灯りで、前を通り過ぎる時に水音や食器がぶつかる音がした。


 ディランとシーニーは、中庭に面した教会堂の裏口から礼拝堂へ向かった。廊下の灯りはすべて落とされていた。通り過ぎる部屋からも人の気配はしない。闇の中を進んでいくと、やがて廊下に灯りが射してくる。同時に少女の声が聞こえた。


「いい加減やめて、リリシャ。罪に問われるのはあなたなのよ? ヘーゼル司祭さまの――あいつなんかのために、あなたがここまでする必要なんてない」


 アナは真剣な様子で修道女――リリシャに訴えていた。リリシャは小さく溜め息をつき、無表情に返す。


「お願いだから、ヘーゼル司祭さまをそんなふうに言わないで。それに、私のことは放っておいてって何度も言ってるでしょう」

「ばか言わないで。放っておけるわけないじゃない。盗賊騒ぎは、もう取り返しのつかない事件になってるのよ?」


 シーニーがディランに、何の話だろうと疑問の視線を向ける。だがディランには見当がついた。


「孤児だったあなたが、どれだけヘーゼル司祭さまに感謝してるかは、あたしだってわかってる。でもこんなことは間違ってるでしょう? あいつは、町のお金も、リリシャが集めたお金も、全部ろくでもない賭け事に使ってるのよ。今夜だって、どうせあいつはいないんでしょう?」

「……ヘーゼル司祭さまは、少し、疲れてしまったの。それで、休む時間が欲しくなっただけ。もう少しすれば、きっと元に戻るわ」

「どうしてそう言えるの? リリシャは、もうあいつに裏切られてるじゃない。盗んできたお金を寄付金だって言って渡して、それを、あいつが本当に信じてるわけない」


 アナの声は震えていた。


「リリシャが何をしてるかわかっていながら、あいつは気づかないふりをして、お金をもらってる」

「……」

「お願い、リリシャ。リリシャが捕まっちゃったら、あたし……」


 アナは堪え切れなくなったように顔を手で覆った。リリシャは目尻を下げ、ゆっくりアナに近づく。そしてそっと抱きしめた。


「ありがとう、アナ。でも、お願い。……どうか私のわがままを、許して」


 ディランは礼拝堂で寄り添う二人から目線を外し、「行こう」とシーニーに声をかけた。教会堂を出て、通りに向けて広場を歩いていると、シーニーが口を開く。


「そういえば、この辺りで盗賊事件が頻発してるって、前の町で聞いた気がするわ。もう三十件近くになるけど、犯人はまだ捕まってないって」

「ああ、その事件のことだ。あの修道女が主犯みたいだな」


 実際の犯行時は人を雇っているのだろう。そして、事件の記載を雑報誌から除外していたのは、アナだ。


「ヘーゼル司祭も、評判高い人だったけど――まあ、珍しい話じゃない」


 真面目に役目を全うしてきたが、実はずっと心の底で我慢をしていた。それがある時ふと、魔が差す。世渡り上手にうまく息を抜いてきたほかの司祭と比べたか、自身の死期が近くなり考えるものがあったか、理由は様々だろう。


「盗賊事件は解決ね。盗まれた金品は、もう戻ってこないでしょうけど」

「俺は、屯所に知らせるつもりはないよ」

「え? どうして?」

「知らせるまでもないからな。騎士団ももう動くだろうし、俺が言っても言わなくても、どちらにせよ、あの修道女は近いうちに捕まる」


 シーニーは少しの間ディランを見つめ、納得したように前方を見る。


「そう。ご令嬢と修道女の友情に、同情したというわけ」

「いや……そういうわけじゃ、ないけど」

「司祭のほうは、きっと黙秘を通すでしょうね。庇ったところで、修道女の罪は軽くならない。自分が厳罰を受けにヤーヌアーリへ連れて行かれちゃうだけだもの」

「そうだな。……このままここで尊敬される司祭でいるほうが、多くの人のためになる」


 リリシャという修道女の望みも、きっとヘーゼル司祭がここで司祭を続けることだ。親への感謝の気持ちが子どもの将来を奪う、それが子どもの本望なら、子どもは幸せなのかもしれない。


 だが子どもの犠牲による幸せを享受してしまったら、その時点で親としては終わっているとも、ディランは思う。


「――もう遅いから、私、宿に戻るわね」

「ああ。付き合わせて悪かったな」

「私が勝手について行ったようなものだから。じゃあ、おやすみなさい。明日の昼頃まではいるつもりだから、何かあったらいつも通りララへお願い」

「わかった。おやす――あ」


 ディランは急に立ち止まった。歩きかけていたシーニーが振り返る。


「どうしたの?」

「宿とるの、忘れてた」

「え?」

「弱ったな……」


 もう真夜中だ。いまから歓迎してくれる宿を探すのは骨が折れる。今日はヘーゼル司祭の演説もあったため、宿の空きも少なそうだ。


「まあいいや。町の外で、適当に寝るよ」

「……なら、私の宿にくる?」


 ディランはシーニーを見た。シーニーは落ち着かなそうに黒髪を指に絡める。


「の、野宿よりは、屋根と壁があるほうが、いいと思うけど……」

「うーん、そうだな……。じゃあ、悪いけどお邪魔させてもらおうかな。ありがとう、シーニー」


 割と簡単に返事をしたディランに、意識しているのは自分だけかと、シーニーは落胆した。それでも心臓が早鐘を打つ。シーニーは、やや声を裏返らせながら宿の方角を口にした。


   ×××


 シーニーが借りた部屋は旅人がよく使う安宿だ。小さな部屋には寝台と卓があるだけで、窓も小さく余計な室内装飾もない。ディランは部屋に入り燭台に火を点けると、窓の板戸を開けてひんやりとした夜の外気を取り込んだ。籠っていた空気のよどみが消える。


 シーニーは扉の内側に突っ立っていた。寝台が一つしかない狭い部屋に二人きりなのだ。滅多にない状況だ。仕事関係でディランと宿に泊まったことはいままでもあるが、部屋は別だった。


 ディランがマントの紐を解き、剣も腰から外す。そして壁際に剣を置きながら、不思議そうにシーニーを振り返った。


「どうしたんだ? そんなとこに立って」

「えっ? いえ、なんでもないわ。……えっと、寝台はどっちが使う?」

「シーニーが使うといいよ。シーニーがとった部屋なんだから」


 シーニーは恐る恐る寝台へ近づいた。そっと寝台に腰掛け、落ち着かないながらも自分もマントを脱ぎ、肩当てや肘当て、膝高のよろい靴を外していく。防具をとってしまえば身体が軽くなった。


 残る服は、袖なしの上衣と太ももまでの短い下衣だけだ。露出はあるが、膝丈のスカートよりも断然動きやすいため好んで穿いている。すらりとした真っ白な生足を伸ばす。開放的な格好になった瞬間、今日一日の疲れがどっと身体にのしかかってきた気がした。


 互いに少しの間ひと息ついた後、窓の外を見ていたディランが言う。


「じゃあ、先に寝るよ」

「あ、私も。もう寝るわ」

「なら火消すぞ」


 ディランが燭台に手を伸ばす。火が消えて、部屋が暗くなった。曇り空のため窓からの月明かりも知れたもので、シーニーは闇の中、ディランが隅の壁に寄りかかりマントをかぶる気配を感じとる。


「……ディラン」

「ん?」

「やっぱり、私が床で寝るから、あなたが寝台を使って」

「いいよ。俺なら平気だから」

「なんだか、私だけ、悪いもの」

「気にするなって」

「……」


 シーニーは考えた。実は、宿へ向かっている間中考えていたのだが、言う勇気がないなと思っていた。だが、顔が見えないいまなら言える気がする。


「なら、一緒に寝ない?」



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