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2-47

 まもなく子爵邸に到着した。すでに夜は更け、邸の窓の灯りほとんど消えている。鉄格子の裏門から侵入し、ディランとシーニーは闇の中で黒く浮かぶ木と垣根の間を進んだ。空には曇がさらに流れて来て、月明かりはどうにか人の顔を確認できる程度だ。隠れるには最適だった。


 ふと、ディランが立ち止まり体勢を低くする。シーニーも周りを警戒した。すると、前方の垣根をつば広帽子をかぶった青年が通り過ぎていった。水色がかった銀髪を片側に緩く結い、竪琴を持った青年だ。邸を出ようとしているのか、青年は正門へと歩いていく。


「使用人かしら?」

「さあ」


 再び進もうとして、ディランはまたもや足を止める。まるで綺麗な蝶を見つけた時のような表情で、まだ明かりが灯っている一階のひと部屋に目を留めた。窓には桃花色の髪と銀色の瞳をもつ少女――エフェメラがいた。その珍しい容姿は相変わらず幻想的で、男女関係なく目を留めてしまうほど美しい。


 ディランはシーニーの視線には気づかない。自分と話す時とは明らかに違うディランの表情に、シーニーはふと、子どもの時のとある日の出来事を思い出した。


 八歳の時のことだ。年に一度、ディランが渓谷に帰ってくるデケンベルが訪れ、シーニーはディランとの再会を心から喜んでいた。久しぶりに、幼なじみのキュアノとトーリスも含めた四人で遊んでいると、ディランが急に、『俺、王子になるんだ』と言った。聞いていたシーニーとキュアノとトーリスは、ぽかんと口を開けた。なんでも、実はディランはサンドリーム国王の血を引いていて、なりたいならば王子になれるのだと言う。


 ディランには父親がいなかった。シーニーは両親に、ディランの父親はどうしたのかと訊いたことがあった。だが教えてもらえなかったため、何か簡単には言えない理由があるのだろうとは思っていた。


『じゃあ、ディランと結婚したら、お姫さまになれるってこと?』


 嬉しそうに訊いたのはキュアノだ。キュアノは一つ歳下のとても生意気な女の子で、密かにディランを取り合っている仲だ。


『そうなるけど、キュアノとは結婚できないよ。結婚相手は決まってるみたいだから』

『ええっ!』


 キュアノとトーリスが同時に叫んだ。トーリスは男の子だから、キュアノとは別の意味での驚きだ。シーニーはあまりの衝撃に言葉が出なかった。結婚相手は、スプリア王国という小国の王女だという。もう三度も会っているらしい。


『その子のこと、好きなの?』


 キュアノが恐ろしい質問をした。ディランはやや狼狽うろたえ、言いづらそうに答えた。


『王女さまは、まだ五歳だから、好きとかそういうのはないよ。……でも――』


 知らない女の子のことを考えるディランの顔を、シーニーは心が割れそうな想いで見ていた。


「……でも、いい子だよ」

「え?」


 ディランが垣根の裏で振り向いた。シーニーの呟きが小さかったため聞き逃したようだ。


「なんでもない」


 ディランが部屋へ視線を戻す。エフェメラが窓から離れ、部屋の扉へ向かっていた。


 ディランが知らない女の子を褒めるのは初めてのことだった。たった一言だったが、当時のシーニーの心を激しく揺さぶった。あの時はまだ、ディランはエフェメラに恋をしていなかったと思う。だが婚約者という肩書きと、渓谷の外で知り合った初めての女の子という事実は、ディランにとってきっと大きなことだった。


 エフェメラの部屋には誰かが来たようだった。訪ねてきたのは黒髪の青年、アーテルだ。アーテルは部屋に入ってきて、窓の外をうかがったりエフェメラと言葉を交わしたりし始める。何を話しているかはわからない。


「なんでこんな時間に、あいつが部屋に……」


 ディランが怒ったように眉根を寄せた。


「気になるの?」

「そういうわけじゃ、ないけど」


 言いながらも、ディランはエフェメラとアーテルが笑い合うと落ち着かなそうにした。アーテルがエフェメラの目元に触れたり頭を撫でたりした時は思わず立ち上がり、そしてエフェメラがアーテルの手を逃れると、ほっと肩を下ろし再び体勢を低くした。


「思いっ切り気にしてるじゃない」

「いや、別に……フィーが誰と何をしようと、自由だから」

「……」


 シーニーには、ディランがエフェメラと距離をとろうとする理由が理解できる。仕事で人の命を奪っていることや、自分たちの瞳について正直に話すことができないからだ。


 正直に言って、シーニーはこのままの状態で良いと思っている。エフェメラとうまくいくよう無理に背中を押す必要はない。ディランがよく考えて決めたことなのだから、反対もしない。


 だが笑い合うエフェメラとアーテルを見て、ディランがぼんやりと、決して手に入らないものを憧憬しょうけいする横顔でいるのを見れば、どうにかしたいと思ってしまう。


 思わず目を逸らした時、裏門のそばで動く人影が視界に入った。目を凝らすと、二つ髪を高い位置で結った少女が邸の外へ出ようとしている。


「俺は、本当に気にしてるってわけじゃない。ただ、アーテルが――」

「ディラン。誰か裏門から出て行くわ」

「え?」


 ディランも裏門へ目を向ける。そしてすぐに言った。


「スケッルス家の令嬢だ」

「あの子が? こんな時間からどこへ行くのかしら。追いかける?」

「ああ」


 頷いてから、ディランが部屋の窓をもう一度見て、光景に大きく反応した。部屋ではアーテルがエフェメラの髪を撫で、いつになく接近していた。思わず口づけでもしそうな彼らに、シーニーもさすがにぎょっとした。


 その瞬間、ディランが地面の小石を窓へ放っていた。開いていた硝子窓に小石が命中する。派手な音がして、エフェメラとアーテルが驚いて窓を見た。


 同じように驚くシーニーの隣で、ディランもまた固まっている。だがすぐに別の石を遠くへ放った。石が落ちた場所で、あたかも誰かがいるように垣根が揺れる。アーテルは揺れた垣根の方角へ走っていった。


 ディランは声を抑えたまま、今度はシーニーの肩にずっととまっていたララに命じた。


「ララ。木の実を落として、あいつをずっと遠くへ誘導するんだ」


 ララは頷くようにくちばしを下に向けると、瑠璃色の羽を広げ飛び上がり、アーテルが向かった方角へ消えた。


 シーニーは呆れた目でディランを見た。ディランは少し赤くなっている。


「ちょっと焦って狙いがずれたんだ。壁に当てて、軽く音をたてるだけのつもりだったんだけど」

「はあ……。ほんと、まだまだ子どもなんだから。ララにも変なことさせて」

「あの程度のこと、ララなら簡単だよ。賢いから。それより、早く令嬢を追いかけよう」


 シーニーはまだ肩を脱力させていたが、ディランは気づいていないふりをして裏門へ向かった。



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