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「マルティって言ったら、半年ほど前、領主さまが爵位剥奪になるかもしれないって騒ぎになったところだろ。十二公爵家の一人の、名前は確か……なんつったっけな」

「アポロー公爵」

「そう、それだ。なんでも、アポロー公爵が、マルティやその近隣の町村の子どもを誘拐して、殺めたとか。でも実は真犯人はご子息で、公爵は初め、ご子息を庇ったんだってな」


 公爵位は王家同様、血筋が入れ替わることがほぼない。そのため去年の暮れから年明けにかけて大きく注目された。


「うん。ご子息が縁を切って家を出たことで、公爵家は存続。近々予定されていた襲爵(しゅうしゃく)式も流れて、爵位は歳の離れた次男が継ぐ予定だ」

「ほんと、どんな悪影響を受けたのか、えらい息子に育っちまったもんだよなぁ」

「……アポロー公爵家の長男のエリックは、勤勉で優しくて、民のことをよく考えていた人だったよ」


 亭主が不思議な顔をした。ディランは不審に思われないようつけ足した。


「えっと、実際にエリックさまを見たことがあるんだ。領地や近隣の町村の様子をよく見て回られていて、民の視線に立とうと積極的な方だった。それに……これは公になっていないんだけど、子どもたちは、本当は誰も死んでいなかったんだ。森の奥にある古い邸で、十分な食糧とともに生活していたのが、三か月ほど前に発見された。実は、誘拐された子どもたちはみんな、親に問題がある子どもたちだったんだ。無理に働かされていたり、暴力を振るわれていたり、犯罪を命じられていたり――でもそれを法で摘発するのは、すごく難しくて、現実的じゃない。だからエリックさま自らが泥をかぶってでも、その子どもたちを救おうとしたんだ」


 公爵家に関わる事件だったため、アイヴァンの命令でディランも調査した事件だった。子どもたちを見つけたのは王の慧眼(ラズワルド)の仲間の一人だ。ディランは獄中のエリックと会話をし、真意も知った。エリックの満足げな顔が強く印象に残っている。


「実はエリックさまは、養子なんだ。なかなか子どもができなかった公爵と夫人が、十五年前、当時五歳だったエリックさまを養子にした。その後、十年も経ってから息子が授かったけど、いまさらエリックさまに爵位を継がせないのもひどい話だ。だからそのままエリックさまが公爵位に就く予定だったけど、今回のことで、うまく収まる形になった」


 亭主が驚いた顔でディランを見ている。


「兄ちゃん、よく知ってるなぁ。記者か何かか?」

「ああ、えっと……知人が、記者なんだ。ほら話も多い奴だから、すべてが本当ではないかもしれないんだけど」


 誤解されるエリックが不憫でつい話してしまったが、噂話程度だと見なしてくれるだろう。


「へえ。でも本当だとしたら、すっきりしない事件だなぁ。そのエリックさまは、牢に入れられちまったんだろう? 正直に言えば出られるだろうに」

「生きていると知られたら、また親元へ帰らなければならない子どもたちもいるから。それにやっぱり、弟が産まれたから……。公爵夫妻は、産まれたご次男を大層かわいがっていて、でもエリックさまに遠慮して後継ぎは変えないつもりだった。エリックさまは、子どもたちと両親のため、あえてすべてを秘密にすることを望んだんだ」


 亭主が涙ぐんで鼻をすすった。


「そりゃあ、やりきれねえ話だ!」


 油で汚れた前掛けで涙をぬぐう亭主を見て、ディランは少し目尻を下げた。


「結局、公爵夫妻には、本当のことは伝わったんだ。公にはエリックさまは大罪人のままだけど、上層部にも話が通ってて、極刑にはならないよ」

「くぅー。そりゃあ良かった。子どもたちにも、エリックさまは恩人だな。オレも、昔は父親にどつき回されながら生きててなぁ……。十二の時、家から逃げて、この町に辿りついたが……図体がでかくなるまでは、毎日必死だったもんだ。どんな親の元に産まれるかは、選べねえからなぁ」


 額に浮かぶ皺からも、亭主の苦労が窺えた。


 ただ、親から逃げるという選択があるのは少し羨ましかった。目線を外し、酒を一口飲む。その時、酒場の扉付近の卓から男の怒号が聞こえた。


「おい嬢ちゃん! いまなんつった!」


 叫ぶ男は顔を真っ赤にし、卓に強く拳を打ちつける。叩かれた卓に座るのは、清冷とした雰囲気を放つ少女だ。肩まで伸びる真っ直ぐな黒髪と、珍しい夜空色の瞳を持っている。すべてを確認するまでもなく、ディランは予想外の知人との遭遇に呆け顔をした。


「あなたと会話をすると口が腐るから、もう話しかけないで、と言ったの。耳が悪い? それとも、人の言葉はわからない?」


 まったく気圧された様子もなく、シーニーはじろりと男を睨む。周りの客たちもシーニーと男に注目していた。シーニーに睨まれた男は完全に怒ったようだった。


「気の強い女は嫌いじゃねえ。だが男に何言ってもいいと思ってる女は嫌いだ。いま謝れば、痛い思いはさせねえどいてやる」

「私も、女は男に敵わないって、決めつけてる男は嫌いなの。それに、あなたに謝る理由はない」

「決まりだな。ちょっと面貸しな」


 シーニーは今度は男を無視し、卓の上にいる瑠璃色の鳥にパンの欠片をあげ始めた。男の顔がさらに一段と赤くなる。


「おい! 聞いてんのか!」


 周りの客たちが面白がって囃し立て始めた。シーニーはなおも無視し、瑠璃色の鳥の頭を撫でている。ララと言う名の鳥で、連絡を取り合うための伝達鳥だ。シーニーが世話をしている。


 ディランの横で、亭主がぽりぽりと頭を掻いた。


「ったく、仕方ねえなぁ。――おい、やめねえか! 少し頭を冷や……」


 ディランは亭主の言葉を止めた。


「な、なんだ? 兄ちゃん」

「彼女なら、大丈夫だと思う。少し様子を見てていいかな?」


 苛立った男が舌打ちをし、シーニーの胸倉を掴もうとした。瞬間、大きな音とともに卓に男の背中が突っ込んだ。シーニーが背負い投げたのだ。男も周りの客も愕然と目を見張る。卓は真っ二つに割れ、椅子は四方に飛んでいた。


 シーニーは男の胴体に足を乗せ、いつ構えたのか喉元に槍の先端を突き立てる。


「まだやる?」


 男が冷や汗を流し言葉を失う。シーニーは男から足を退けると、見せつけるように槍をくるりと一回転させた。飛び上がっていたララが、澄まし顔でシーニーの肩に着地する。それを合図に、周りから拍手と口笛が起こった。


「姉ちゃん、かっくいいー!」

「美人なだけじゃねえなあ!」


 シーニーは表情を変えず黒髪を払った。内心満更ではないのだろう。ディランは少し笑ってしまった。


「ったく、なめやがって」


 男が起き上がり、壁に飾られてあった剥き身の剣をとった。そしてシーニーへと振りかかる。シーニーは槍で剣を弾き、再び向かってきた剣も同様に払いつつ、今度は柄の先で男の足首をすくった。


 男は壁際の棚へ倒れ込んだ。置いてあった酒瓶が落ち、葡萄酒を頭からかぶる。周りから笑い声が飛んだ。客はいつの間にか自分の席から退避して、二人を囲うように声を飛ばしている。男を励ます声もあればシーニーを応援する声もある。亭主は青い顔をして二人を止めようとしたが、今度は水を差すなとほかの客に抑えられた。


 男は割れていない酒瓶をシーニーに投げ始めた。シーニーは酒瓶をかわしたり両断したりとやり過ごしていく。割れた瓶から流れた葡萄酒が赤紫色の幕を作り、その幕を割くようにして男が拳で殴りかかる。


 シーニーは一発目を辛うじて避け、二発目を槍の持ち手で受けた。続けざまに男に足で蹴り上げられ、槍を手からとり落とす。観客がどっと沸いた。男が槍を拾い上げ、にやりと笑う。


「形勢逆転、だな。その細い腕で、どう俺から得物を取り返すんだ?」

「……」


 シーニーは視線を横に動かし、何か武器になりそうなものを探す。折れた椅子の足をとろうとするが、奪われた槍に阻まれ失敗した。シーニーは前転するようにして男から距離をとり、今度は棚を背にして立ち上がる。


 男による横()ぎの槍を体勢を低くしてかわすと、槍は代わりに棚に並ぶ瓶を割った。シーニーは転がりながら、また振り下ろされる槍を卓の木片で受けとめる。そのまま槍が刺さった木片を横へ投げた。つられて男も体勢を崩す。その隙を見逃さず、男の腹を両の足で蹴り上げる。


 男の手から槍が落ちた。シーニーは槍を取り返し、刃先に木片を刺したまま、男の首の裏に横薙ぎを食らわせた。殴打された男が目を回し、気を失って倒れる。


 刹那の静寂の後、周りから歓声が起こった。シーニーは肩で息をしていた。倒れる男を見下ろし、ようやく緊張の糸を解く。その時、揺れた衝撃で棚の上から瓶が落ちた。瓶はシーニーの死角となる頭上へ真っ直ぐ落下する。


 だが瓶が落ちる寸前、シーニーは身体を横へ引かれた。平衡を崩し相手に身体を預けながら、硝子が割れる音に床を見る。立っていた場所に瓶の破片が散らばっていて、シーニーは肺を冷たくした。


 助けてくれた人に礼を言おうと顔を上げる。するとディランが困ったような笑顔で見下ろしていた。



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