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2-37

「泣いてたのか?」


 普段のふざけた調子をぐっと抑えた、優しい声色だった。心配そうに見つめる目に、エフェメラは慌てた。


「こ、これは違うの! 気にしないで!」


 さきほどまで泣いていたせいで目元がまだ赤いのだろう。


「気にしないでって」

「ちょうど、本を読み終わったところだったの」

「本?」

「夜空の花の王子様の本よ。ほら、洞窟で話した」


 アーテルはほっとして手を離す。そしてすぐに怒った表情をわざと作った。


「なーんだ。驚かせるなよな」

「……ごめんなさい」

「そんで? 最後はどうなったんだ? 王子と女と、幼なじみは」

「それが……っ」


 エフェメラは結末を思い出し、また涙ぐんだ。


「そ、それがね……っ」

「なんでまた泣いてんだよ……」


 アーテルは呆れたように笑い、手をエフェメラの頭に置いた。そしてそのまま慰めるようにエフェメラの頭を撫でた。


 エフェメラは思わずどぎまぎした。父や兄以外の異性に頭を撫でられるなど初めてだ。いや、幼い頃なら、ディランからはあっただろうか。


「あ、あの、アーテルっ」

「ん?」

「もう、大丈夫、だから……」

「……何? もしかして、照れてんの?」

「へっ?」


 エフェメラは瞬く間に顔を赤くした。アーテルは余裕たっぷりににやついている。


 アーテルが宿の酒場で歌い手と親しくしていたことを思い出す。女性の扱いなど慣れたものということか。異性と関わりの少ないエフェメラとは、わけが違うのだ。


「もうっ! からかわないで」


 エフェメラは一歩下がり、アーテルの手を逃れる。


「ア、アーテルは、もう少し、女性との距離感を考えたほうがいいわ。普通は、淑女の頭なんて、軽々しく触れないものよ。とても親しい人や、大切に想っている人が相手なら、まだしも」

「じゃあ問題ないな。オレ、お前のこと大切に想ってるし」

「ふぇ?」


 アーテルは近くの机に寄りかかり、斜め下から覗くようにエフェメラを見る。暗い部屋の中、燭台の火がアーテルの烏羽からすば色の瞳に柔らかく映り込んでいる。エフェメラは真っ赤になって狼狽うろたえた。


「なっ、なななにを、いきなり。わ、わたしには、心に決めた、ディランさまという人が……アーテルだって、知って――」

「ぷっ」


 堪え切れなくなったように、アーテルが腹を抱えて笑い出した。


「あははっ、おもしれー。お前って、ほんとおもしろいくらい赤くなるのな」


 エフェメラは唖然とした。アーテルは、またもやからかっていたのだ。さすがに頭に血が上る。


「信じられないわ! もうアーテルなんて、謝っても許さないんだから!」

「そーそー。泣いてるよりは怒ってるほうがお前に合ってるよ」


 続く怒りの言葉が引っ込む。アーテルは歯を見せて笑う。つまり、エフェメラが泣きそうになっていたため、泣かないようにからかっていたということだろうか。


「……だから、泣いていたのは本を読んだせいだから、大丈夫だって……」

「理由はなんでも、目の前で泣かれると落ち着かねーんだよ」

「アーテル……」

「まっ、お前をからかうのも、おもしれーんだけど」

「……許そうと思ったけど、やめようかしら」

「えっ。じょ、冗談だって」


 焦り始めたアーテルに、エフェメラはつい笑ってしまった。ころころと笑うエフェメラをしばらく見つめ、アーテルはエフェメラの耳の横のリボンに触れる。地味な色合いのワンピースのせめてものお洒落にと、ずっとつけていた髪飾りだ。


 曲がってでもいたのかな、とエフェメラが思っていると、アーテルの指は桃花色の髪へと滑った。エフェメラはアーテルの雰囲気に呑まれるように瞳を見つめ返す。


「……ついでに言えば、怒ってる時より、笑ってる時のほうが、ずっと――」


 唐突に、硝子が割れる音がした。エフェメラもアーテルも驚いて窓を見る。


 開いていた窓の一部が、石でも飛んできたかのように砕けていた。アーテルは瞬時に窓に寄り、闇夜の庭に目を凝らす。


「――あっちか! フィーは、このことみんなに知らせてくれ!」


 アーテルは窓を飛び出すと、人の気配があったらしい木立の間へ消えていく。エフェメラはアーテルの身を案じつつ、救援を呼びに部屋を出た。


(びっくりしたわ……)


 侵入者の登場には少し助かった。アーテルに口づけでもされそうな雰囲気だった。


 エフェメラがみなに侵入者について伝えると、コリーやガルセク、アルブスがしばらく敷地内を見回った。しかし、侵入者はすでに外へ逃げてしまったようだった。


 アーテルは真夜中に戻ってきた。邸の外までしばらく気配を追ったらしいが、見失ってしまったとのことだった。


   ×××


「昨日の侵入者、いったい何が目的だったのかしら。やしき中調べたけど、何も盗まれてないみたいだったし」


 診療所からの帰り道、アナが首を傾げながら言った。エフェメラの手首を冷やす貼り薬を新しいものに替えてもらうため、二人は診療所へ行って来たところだった。


「窓が割れた時、あたしも邸にいれば良かったんだけど。……怖い思いさせちゃって、ごめんなさい」


 昨夜事件が起きた時、アナは教会堂へ大事な忘れ物をとりに行っており不在だった。帰ってから侵入者の話を聞き、とても驚いていた。


「アナさんが謝る必要はないわ」

「でも、あたしが邸に泊まったらって誘ったわけだし、責任感じちゃうな。コリーだって、お客さまを安心させなきゃいけないっていうのに、『侵入者が出ましたー』って泣きそうな顔しちゃって」


 町の屯所にも夜中のうちに知らせた。現在も衛兵が目撃者を調査しているはずだ。


「でもコリーさん、わたしたちに代わって、夜中も邸を見回ってくれたわ」

「そう? ……コリーったら、どうにもなよなよしてるのよね。もっとびしっとした男になって欲しいんだけど……昔から、ああなの」

「ふふっ。アナさんは、コリーさんをとっても気にかけているのね。仲のいい幼なじみって、うらやましい」


 さっと、アナの頬に朱が差す。


「別に仲は良くないわ。ただの、主と従者の関係よ」

「昨日コリーさんは、帰ってくるまでずっとアナさんを心配してたわ。夜遅くに勝手に出て行ったって」

「あー……。すぐ戻るつもりだったから」

「それでコリーさんは、迎えに行きたいけれど、お嬢さまはお客さまを放っておくことを望まないだろうから、って」

「……ふーん。まあ、少しは成長しているのかしら」


 エフェメラは二人の関係が羨ましかった。ずっとそばで成長してきた幼なじみは、強い絆で結ばれている気がする。アナは落ち着かなそうにしたまま言った。


「ねえ。ずっと思ってたんだけど、あたしのことは、アナでいいわよ」

「え? えっと……。じゃ、じゃあ……アナ」


 少し照れ臭い。アナが嬉しそうに笑い、高い位置で左右に結っている髪が愛らしく揺れた。友達とはこのようにできるのだろうか。


「――その、天使の羽の形の髪留め、アナとリリシャさんとで、おそろいよね」


 リリシャがおさげ結いに使っている髪飾りと形状がまったく同じだ。


「ああ、うん。知り合って一年くらい経った頃かな。リリシャと一緒に買ったの。壊れないからまだつけてるんだけど、もう十五歳だし、おそろいなんて子どもっぽいから変えないとって思ってるんだけど」

「変える必要なんてないわ。おそろいなんて、すてきだもの」

「あはは、ありがとう。……リリシャはね、とても大切な、一番の友達なの……」


 気づけば、人通りのない小路にいた。道はアナが先導していた。建物が影を作り、太陽は地面に届いていない。



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