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「もう少し、文具をくれても良かったと思うわ。遊び道具ばかりで」
「誕生日に勉強に使うものもらって喜ぶ子どもがいると思う? あたしなら、お父さまにつき返すけど」
「アナは、子どもたちの将来まで考えていないのよ。長い目で見れば、お人形より文具のほうがずっといいわ」
「アナお嬢さま。旦那さまの心のこもった贈り物を、つき返すなど……」
「コリーは黙ってて。いい? リリシャ。勉強なんて、やりたい子どもだけがするべきよ。無理にさせたって――」
アナが、ヘーゼル司祭とエフェメラに見られていることに気づく。話をやめヘーゼル司祭に会釈した。リリシャとコリーも一礼する。ヘーゼル司祭は朗らかにほほえんだ。
「アナお嬢さま。今月も、子どもたちのためにありがとうございました」
「気にしないでください、司祭さま。好きでやっているだけですから。片づけも終わりましたし、あたしたちはそろそろ失礼いたしますね」
「はい。どうかまた、子どもたちの遊び相手になってやってください」
「もちろんです」
ヘーゼル司祭が立ち上がり、子どもたちにアナたちが帰ることを告げる。子どもたちはまだ遊び足りないようだった。だが庭に広がる建物の影もすっかり長くなっていたため、渋々遊びを切り上げた。
ヘーゼル司祭とリリシャ、子どもたちに見送られ、エフェメラたちは教会をあとにした。広場を歩いている時、アナがエフェメラに訊いた。
「あなたたち、アプリに行く途中に、迷ってカルケニッサに着いたって言ってたわよね? 今夜の宿は、もう決めてあるの?」
「いいえ、まだ」
「なら、うちの邸に来ない?」
エフェメラは驚いた。ありがたい申し出だが、決めてしまっていいのだろうか。ガルセクやアーテルを見るが、判断はエフェメラに任せるという視線を返される。いつもならディランの役割だ。
「えっと……その、いいのかしら」
「当然よ。今日、子どもたちと遊んでくれたお礼。遠慮しないで」
「ねっ」とアナが片目を瞑る。エフェメラはアナの誘いをありがたく受けることにした。同じ歳の同性と話すのは、やはり楽しい。もう少し一緒にいたい気持ちもあった。エフェメラは元気で溌剌としたアナを好ましく感じていた。
陽が落ちて間もなく、子爵邸で晩餐の席が設けられた。晩餐にはスケッルス子爵も同席し、アナが場を盛り上げた。給仕を手伝っていたコリーも、たまに会話に加わった。
アナとコリーは、物心つく前からの幼なじみだという。コリーは代々執事の家系で、親がスケッルス家で働いていたため、そのままコリーも働くようになったらしい。そしてアナと歳が同じなため、遊び相手にも最適で、気づけば専属執事になっていた。
アナとリリシャが仲良くなったのは、五年前、アナの母が亡くなってからだ。父スケッルス子爵と頻繁に教会へ通うようになったアナは、リリシャと知り合い、いまでは立場関係なく大切な友人同士となった。
晩餐を終えると各々の客室に案内された。スケッルス邸はそれほど大きくはなかったが、エフェメラたちが一人ずつ泊まれる分の部屋数はあった。
エフェメラはガルセクに持ってもらっていた荷物から、『夜空の花の王子様』最終巻をもらい、就寝前に部屋で読んでいた。本を読む時はいつもそうするように、枕元の燭台だけを灯し、寝台の上に座る。残りの頁数が少なかったこともあり、夜が更ける前に本を読み終えた。その時にはエフェメラは、涙をぼろぼろと流していた。
しかし涙はすぐに驚きで引っ込んだ。いきなり、部屋の隅から何か大きなものが落ちた音がしたのだ。エフェメラは心臓が止まるかと思うほどびっくりした。
「いてて……」
若い男の声が聞こえさらに身構える。すぐに叫んで助けを呼ばなかったのは、どこか聞き覚えのある声な気がしたからだ。燭台を手に、恐る恐る近づく。
蝋燭の灯りの先が部屋の隅まで届いた。男は腰を強く打ちつけたようで、必死に腰を撫でている。空色がかった長い銀髪を片側に緩く結い、エフェメラが見たことがあるつば広帽子をかぶっていた。
「ギボウシ……さん?」
ふた月前の王都の夜でのことが思い起こされる。頭の引き出しから引っ張り出した名前通り、ギボウシが顔を上げる。彼の手にはあの夜と同じ竪琴がしっかりとあった。
「あれ? エフェメラ……?」
「やっぱりギボウシさん! どうしてここに?」
どうやって入ってきたのだろう。窓を確認するが閉まっており、天井も見上げるが穴は見当たらない。
「すごい、エフェメラだ。……また会えたね。うれしいな」
ギボウシは能天気と言えるほど邪気のない笑顔だ。そして状況を確認するように首を巡らせる。
「えっと、ここは……部屋、だね。驚かせたかな。ごめんね。できれば、衛兵に突き出すことはしないで欲しいんだけど」
「それは、しないけれど……」
「ありがとう。それにしても驚いたな。また会えるなんて、運命みたいだ」
ギボウシは立ち上がり、心から嬉しそうにほほえむ。エフェメラはまだ驚きが収まっておらず、ギボウシを瞬きして見るばかりだ。
「それとも、失敗したかな……。いまって、ユーニウス?」
「え、ええ」
「なら、やっぱりすごいことだ!」
ギボウシはよくわからないことを言いながら、幸せそうにエフェメラの両手を握ってくる。
「そうだ! 次に会った時、お礼に竪琴を弾く約束だったよね。いま弾くよ!」
「ええっ? えっと、いまは、いいわ。もう夜も遅いし、ここは、わたしが暮らしている家ではないの。迷惑になるかもしれないから、今度がいいわ」
「……そっか、……今度か」
ギボウシは落ち込んだようだった。エフェメラの手を離し、何かを考えるように竪琴を触る。
「仕方ないか。……でも、エフェメラとなら、きっとまた会えるかもしれないよね」
どうしても会いたいのならサンドリーム城を訪ねればいいと言おうとしたが、無闇に身分を明かすのも良くない。迷っている間にギボウシは部屋の窓へ向かう。
「じゃあ、僕は行くよ。おやすみ、エフェメラ」
窓を開けて出て行こうとするギボウシをエフェメラは慌てて止めた。
「いまからどこか行くの? 今日はもう遅いから、ここへ泊まったら? わたし、頼んでくるから」
「……ありがとう、エフェメラ。相変わらず優しいね。でもいいんだ。僕には、やらなきゃいけないことがあるから」
「やらなきゃいけないこと?」
少し間を置いてから、ギボウシは答えた。
「大陸を、見ていないといけないんだ」
よくわからなかった。やはりギボウシは不思議な人だ。出会った時からそうだ。
ギボウシは「じゃあ、またね」と、のほほんと笑い、窓から外の闇へと消えた。庭の垣根を越える音がしばらくしていたが、やがて何も聞こえなくなった。
直後、部屋の扉が叩かれた。少し強めに三回だ。エフェメラは返事をして扉を開けた。隣の客室のアーテルが立っていた。
「よっ」
「アーテル。どうしたの?」
「いや、ちょっと……お前、いま一人?」
「ええ」
エフェメラが頷くと、アーテルは部屋へ入ってきた。誰かを探すように部屋を見渡し、開いていた窓からも顔を出して左右を見る。
「さっきまで、誰かいなかったか?」
エフェメラは驚いた。
「よくわかったわね」
「なんか違和感あってさ。ディラン?」
「違うわ」
「え? んじゃ誰だよ」
「えっと、お友達が」
「友達?」
「ギボウシさん、という方なんだけど」
「誰だそいつ。スプリアのやつ?」
「いえ、違うのだけど……」
アーテルは釈然としなそうながらも返す。
「まあ、無事なら良かったよ」
アーテルは部屋音を心配して来てくれたらしい。エフェメラは小さく笑った。
「そんなに心配しなくても、大丈夫よ。教会でもお邸でも、何もないわ」
「ったく、呑気だよなー。何度かさらわれそうになってるってのに――……」
アーテルが、ふいに何かに気がついたようにエフェメラの顔をじっと見た。すぐそばまで距離を詰めると、エフェメラに手を伸ばす。驚いて動けないでいるうちに、アーテルはエフェメラの目元に触れた。