2-34 太陽の表側
リリシャに案内され、エフェメラとアーテルとアルブスは円形広場まで道を戻った。そして広場の奥にある教会堂の中へ入った。
礼拝堂の長椅子には礼拝者が数名座っていた。壁際には古い風琴があり、最奥の壁面を占める彩色硝子は手前の祭壇と二体の天使像を七色に照らしている。並ぶ灰色の石柱はひんやりと冷気を放ち、石柱が支える天井には人が争う絵が描かれていた。
何十年もある教会なのだろう。椅子や柱には長年の傷みが見られ、天井画もところどころ色が褪せている。だが設備は古くとも棚や床には埃一つなく、丁寧に使用されていることが感じられた。
エフェメラは棚の花瓶に飾られたラムルフルムの花を見つけた。朝に摘んだばかりのようで、青藍の花びらは瑞々しさを保っている。
「その花は、この町を治めるスケッルス子爵家の方が持ってきてくださったんですよ」
エフェメラが花瓶を見ていることに気づき、リリシャが説明してくれる。
「領主さまを含め、子爵家のみなさんにはよく気を遣っていただいてるんです」
「いい領主さまなんですね。ラムルフルムの花も、とってもきれい」
それにしても、とエフェメラは考える。スケッルスという名をどこかで聞いたことがあるような気がする。すぐに思い出せないでいると、アーテルも思案顔をする。
「なんかこの花、あいつが持ってたのと似てるな。ほら、オレたちを広場に連れて来た」
「ていうか、あの人が持ってた花なんじゃないの。服装もどこかの使用人っぽかったし」
アルブスの言葉にリリシャが反応する。
「コリーさんとお会いになったのですか?」
「たぶんだけど。眼鏡はかけてたよ」
「でしたら、たぶんコリーさんで間違いないでしょう。驚きました。コリーさんも、もうすぐここへいらっしゃいますよ。今日は誕生会なので」
「誕生会?」
「はい。教会の裏に孤児院があるのですが、そこの子どもたちの」
リリシャに案内されるまま、三人は礼拝堂の奥へ進む。廊下をしばらく歩き、部屋をいくつか通り過ぎ、やがて現れた扉は外へつながっていた。幼いはしゃぎ声が耳に広がる。木と花が植えられた明るい庭で、二十人ほどの子どもたちが元気に走り回っていた。
「今日は月に一度の誕生会なので、料理やお菓子をたくさん用意してあるんです。よろしければご一緒にいかがですか?」
「まあ! いいんでしょうか?」
「もちろんです」
アーテルとアルブスも異論はなさそうだ。
「コリーさんが子どもたちへの贈り物を運んできてくださるので、それまではエフェメラさんの怪我の手当てをしましょう」
教会堂と孤児院の建物はつながっていた。寝室などの個人部屋は修道士と子どもで分かれているが、食堂や救護室は共同で使用しているという。天井が高い礼拝堂を除き、建物はすべて一階と二階に分かれていて、救護室があるのは一階だった。
エフェメラはリリシャと救護室へ向かったが、アーテルとアルブスは向かう途中で「調理場を見てくる」と行ってしまった。
先に左手首の手当てを終え、次に体のすり傷を診てもらうためエフェメラは服を脱いだ。脱いだ服で前を隠しつつ、塗り薬の冷たい感触にくすぐったさを我慢する。
「すり傷や打ち身もありますが、どれもそれほどひどくはないので、跡にならずすぐに治ると思います。手首のほうは、完治するまで十日はかかるでしょうか。冷やすための貼り薬を毎日したほうが、痛みが楽かもしれません」
「は、はい。……リリシャさんは、お医者さまみたいですね」
「ふふっ。診られるのは軽いものだけですけどね。子どもたちや教会へ来る方の怪我の手当てをするうちに、慣れてしまいました」
「もう、長くこちらに?」
「はい。十年ほどになります」
「十年……」
想定以上の答えにエフェメラは表情を曇らせる。リリシャはエフェメラと同じ年頃に見える。つまり、五歳の時には教会で暮らさなければならない理由があったということだ。
気まずげにするエフェメラに、リリシャはふわりと笑う。
「お気になさらないでください。まったくつらくなかったと言えば嘘になりますが、私はこれまで幸せでした。ヘーゼル司祭さまがいてくださいましたから」
「ヘーゼル司祭さま……あっ、広場でお話をしていた! お話、聞きました。感動しました、とても」
「ありがとうございます。私も聞いていました。……本当に、素晴らしい方です。聡明で、慈悲深く、どんな方にも平等で。お忙しいのに、孤児院の子どもたちへも、足りない愛情をそそいでくださっています。父親がいるならばこのような存在だろうと、幼いながらも感じたのを、いまでも覚えています」
懐かしそうなリリシャの表情に、エフェメラは思わず泣きそうになった。それを隠そうとして、体の前に当てていた服を思わず取り落とす。
エフェメラは慌てて服を拾った。リリシャはエフェメラの胸に目を瞬かせる。
「……エフェメラさんって、おいくつなんですか?」
「え? えっと、十五歳です」
「私と同じ……うらやましい」
エフェメラは初め首を傾げたが、胸の大きさのことを言っているのだと気づき顔を赤くした。体の手当てを終え服を着ていると、救護室の扉が、確認もなしにいきなり開いた。
「フィー、怪我は――」
入ってきたのはアーテルだった。
「きゃあっ!」
「うおっ! 悪い!」
アーテルは赤くなって慌てて出て行った。エフェメラは急いで着替えを終え救護室を出た。扉の横で立っていたアーテルを、恥ずかしさもありやや非難を込めた目で見る。
「部屋は扉を叩いてから入るものよ。いつも行儀悪く、窓から入っているから」
「わ、悪かったって」
アーテルはまだ落ち着かなそうに目を合わせない。しかし漂う目線は時折エフェメラの胸に落ちている。
「怪我は、大丈夫だったのかよ」
「ええ。リリシャさんは、とても優秀な修道女さんだわ」
「エフェメラさんのようにきれいな方に褒められると、照れてしまいますね」
続いてリリシャが救護室から出てくる。同じ歳だというのに、怪我の手当ても完璧で、性格も落ち着いていて、リリシャのような人もいるのだとエフェメラは思った。
「では、私は誕生会の料理を運びますので、お二人は食堂でお待ちください。もうじきヘーゼル司祭さまもいらっしゃると思います」
リリシャと別れ、エフェメラとアーテルは食堂に向かった。アーテルはすでに食堂も見てきたらしく場所を把握していた。
「お誕生会の料理をつまみ食いしてない?」
「してねえよ。オレをなんだと思ってんだ」
「だって、調理場に行くと言っていたから」
「ほんとはここの一階を見て回ってたんだよ。なんもねえか、もしくは何かあった時のためにな」
「まあ、そうだったの?」
「二階はいま、アルブスが見て回ってる」
エフェメラは感心した。だがごく平凡な教会施設で警戒し過ぎな気もする。ディランの危険な仕事の手伝いをしているためか、どんな場所でも下調べが癖になっているらしい。
食堂には子どもたちが集まり始めていた。食卓には贈り物の小箱が山積みにされている。子どもたちは目を輝かせ箱に群がっていた。
食堂には大人が二人いた。黒髪を高い位置で二つに結った少女と、栗色の短髪の優しげな青年だ。青年のほうにはよく覚えがあった。
「ガルセク!」
ガルセクは驚き、すぐに安堵の笑みを浮かべた。
「ご無事でしたか」
子どもたちに紛れていたローザとヴィオーラも振り向く。
「あ! 見つけたーっ!」
「ここにいらしたんですね」
「ローザもヴィオーラも、どうしてここに?」
二つ結いの少女もエフェメラを振り向いた。目が合うと、少女は驚いたように目を丸くする。
そしてそれはエフェメラもだった。少女は、ごく最近サンドリーム城で会った人物だった。
「エフェメラ、妃殿下……?」
唖然としてエフェメラの名を呼ぶのは、先日のプリシーの茶会の参加者の一人、スケッルス子爵令嬢のアナだった。