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アルブスは、今度こそ困ったように目を泳がせた。顔を背け、早口に言う。
「ぼ、僕も、言い過ぎたよ」
耳が少し赤い。エフェメラは思わず頬を緩める。アーテルがよしよしとアルブスの頭を撫でると、アルブスは鬱陶しそうにそれを避けた。
「だいたい、アーテルこそこんな時に何してるんだよ。女の子引っかけてる場合じゃないだろ」
アルブスがアーテルの後ろにいた修道服姿の少女を見て言った。アーテルは修道女を連れていた。
修道女は、エフェメラとアルブスを気遣うように見ている。金色の髪のおさげを天使の羽を象った髪飾りで結っていた。
「遊んでたわけじゃねーよ。こちらの麗しいリリシャさんが、オレたちにパンを恵んでくれるって言うからさ」
アーテルが得意げに手をかざすと、リリシャは軽くお辞儀をした。
「アーテルさんが、とても思い詰めた様子で肉団子屋さんを覗いていらしたのを見かけて、何か事情がおありなのかと声をかけたんです。そうしたら、旅で連れの方とはぐれ、食事に困っていると伺ったものですから」
リリシャは修道女らしい、慈愛のこもった柔らかい笑みを浮かべた。優しい目元の少女だ。そしてリリシャは、エフェメラの左手首に巻かれた手巾にも気づく。
「お怪我をされているんですか?」
エフェメラは頷く。
「では、傷の手当てもしないといけませんね。町の教会まで、一緒に来ていただけますか?」
×××
ヘーゼル司祭の話が終わった後、溢れた人波にガルセクは横隣にいたヴィオーラをすぐさま抱えた。その奥にいたエフェメラとローザは、手を伸ばす前に見えなくなってしまった。焦って首を巡らしていると名を呼ばれた。
「ガルセク! こっちだ!」
ローザを抱き上げたディランが細い路地に入ろうとしていた。人避けに最適な場所だ。ガルセクは急いでそれに倣う。
人がいなくなってから四人で広場へ戻ったが、エフェメラたちの姿はなかった。木で囲まれた円形広場に残る人は数えるほどで、先程は人で見えなかった広場の長椅子に腰かけている。
「エフェメラさまを探して参ります。殿下はいかがなさいますか?」
「……彼女なら、大丈夫だと思う。たぶん、二人と一緒だから」
「アーテル殿とアルブス殿ですか?」
「ああ。あいつら、彼女の近くにいたから。今頃昼食でもとってるんじゃないかな」
「そう、でしょうか」
ガルセクは心配だった。もしもエフェメラが一人でいたら、また連れ去られる可能性だってある。
「……本当に、心配する必要ないよ。アーテルがフィーを見失うことはないだろうから」
「え?」
「アルブスはアーテルを見失わないしな。だから、三人は確実に一緒だ」
ガルセクの動揺に反応せずにディランは続けた。
「俺たちも昼食にしよう。ローザとヴィオーラだって、もう立ってる元気もないんじゃないか?」
「そんなことないわよ!」
ヴィオーラが反論した。
「ヴィオーラは、エフェメラさまの侍女だから、エフェメラさまの安全がわかるまで――」
言葉の途中で大きく腹が鳴った。ヴィオーラは真っ赤になって閉口する。ディランは表情を和らげた。
「三人が広場に戻って来る可能性もあるし、すぐそこの店で食べよう」
四人は広場の出入口付近の食事処に入った。通りが見える席に座り、もしエフェメラたちが現れてもすぐにわかるようにする。
だが食事を終えてしまっても、エフェメラたちは現れなかった。ローザとヴィオーラが食後の甘味に桃の焼き菓子を食べ始める。ディランは脱いでいた黒いマントを羽織った。
「少しその辺を見てくるよ。ガルセクたちはゆっくりしていてくれ」
「殿下っ。私が探して参ります」
ガルセクは慌てて立ち上がった。
「殿下こそ、どうぞ休んでいらしてください」
「……ガルセク。その……念のため、外で殿下と呼ぶのは、やめてもらってもいいかな」
「あ……すみません。えっと――ディラン殿」
「ディランで構わないよ」
「……そういうわけには」
「とにかく俺が探してくるから、ガルセクはゆっくり休んでいてくれ」
「せっかくガルセクが休めって言ってるんだから、あんたは休んでいるべきよ」
ヴィオーラが怒ったように言った。
「ことわるってことは、人の気づかいをむだにするってことなんだから。前に、エフェメラさまが言ってたわ。だから休むべきよ。だいたい、さっきから料理だってあまり食べてないじゃない。……休むなら、ヴィオーラのこのお菓子を半分分けてあげてもいいわ」
ディランは驚いた。態度こそ怒ったものだが、ヴィオーラはディランを気遣ってくれているらしい。嫌われていると感じていたが、昨夜ガルセクに叱られた件で何か思うところがあったらしい。
隣に座るローザが、両頬いっぱいに焼き菓子を頬張ったままにやにやと笑う。ヴィオーラはそれに気づき赤くなり、ぷいっと横を向いた。ディランは席に戻ることにした。
「ありがとう。じゃあ、もう少しだけ休ませてもらおうかな。ガルセク。半刻探しても見つからなかったら、一度ここへ戻ってきて欲しい」
「わかりました」
ガルセクはその場を去ろうとし、念のためにとローザとヴィオーラに穴銀貨を一枚ずつ持たせておこうと思った。懐からようやく出番がきた路銀袋を取り出す。するとディランが呆気にとられた様子で、その青藍色の絹布でできた路銀袋を指差す。
「それ、もしかして、ベルテが渡したものか?」
「はい」
「フィーが持ってるんじゃ……」
「いえ。エフェメラさまが、失くさないよう私が持っているように、と」
「なら、もしかして彼女はいま手持ちがないんじゃないか?」
ガルセクが頷くと、ディランが額を押さえた。
「……急いだほうが良いな」
アーテルとアルブスも手持ちがないなどとは思わないガルセクは、「え?」とただ返す。ディランは再び腰を上げた。
「やっぱり俺が探しに行くよ。この町の地理も把握してるし――」
その時、通りで頓狂な叫び声がした。