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2-29 教会の町

 町の入り口には天使の像が二体立っていた。ついを成す天使像で、どちらも大きな羽を天へと広げている。白の塗装がやや剥がれた台座には『カルケニッサ』と彫られていた。


「カルケニッサって確か、アナトレーセビリの南にある町だったよね」

「東へ行くつもりが、南に来ちまったってことか」


 アルブスとアーテルの言葉にディランが頷く。


「ここからアプリ市へ向かうには、戻るよりも、南下してマーイとアプリをつなぐ街道を進んだほうが早いな」


 マーイ市は、王都サンドルから南に伸びる南の大街道(ノトスセビリ)の中程にある大都市だ。スプリア王国から王都へ向かう際の通り道でもあるため、エフェメラも知っている。


「とりあえず何か食おうぜ。腹減り過ぎて歩けねえよ」

「パン! スープ!」

「食事よりフィーの怪我の手当てが先だ。まずは診療所を探そう」


 アーテルとローザが恐ろしいものを見る目でディランを見た。昨日満足に食べていない上、今日も朝から何も食べていないというのに、なんてことを言い出すのか。エフェメラもアーテルたちに同意見だった。


「ディ、ディランさま。わたしなら、大丈夫です。怪我はたいしたことありませんので、食事を先に」

「でも」

「どっちでもいいけどさぁ。それより――」


 アルブスがいつもの冷めた調子で割り込む。


「なんだか、人いなくない?」


 石畳で整備された通りは、先程から人ひとり歩いていなかった。軒を連ねる翡翠色の屋根の家々は、すべての扉が閉まっている。板戸が開いた家の小窓を覗いてみても、中に人の気配はない。食卓の一つに食べかけの朝食を見つけたガルセクが首をひねった。


「ついいままで人がいたように感じますね」

「パンを食べてる途中に、人が消えちゃったってこと?」


 興奮気味に尋ねたローザにアーテルが顔をひきつらせる。


「怖えこと言うなよ。んなこと、あ、あるわけねえだろ」

「随分と静かな町だと思ったけど、そういうわけではなかったのね」


 エフェメラも人気ひとけのない通りを見渡した。


「そういえば、ずっと鳴っていた鐘の音もやんでいるわ」


 町は生活感があるにも関わらず、ちぐはぐな静けさが広がっている。ふいに、ディランが後ろを向いた。エフェメラもつられて町の外を見る。すると町の外へつながる道の向こうから、眼鏡をかけた少年が駆けて来ていた。


 少年は、どこかのやしきの使用人らしき黒い制服を着ていた。そして垣根をくぐった後のように、亜麻色のくせ毛に葉を数枚つけている。手には摘みたての青い花が十数本あった。青藍色の小さな花びらが美しい、サンドリーム王国の国花でもあるラムルフルムの花だ。


 余程急いでいるらしく、少年は汗を流し息を切らせていた。すでに限界が近いのか、足はふらふらしている。天使の像の前を通り過ぎ、道の真ん中に立つエフェメラたちにも目もくれず、どこかへ向かって一途に走る。


 だがそんな少年の行く手にアーテルが躊躇ためらいなく足を出した。足をかけられた少年は見事に顔面からすっ転ぶ。ラムルフルムの花が宙を舞い、石畳の上に散らばった。


「…………い」


 少年は石畳に手をつき、がばりと起き上がった。


「いきなり何をするんですかっ!」

「ちょっと聞きてぇんだけどさー」

「用があるなら普通に声をかけてくださいよっ!」

「ああ?」

「ひぃっ」


 エフェメラはアーテルにひるむ少年に身を寄せた。


「いまのはアーテルが悪いわ。――ごめんなさい。怪我はないかしら?」


 少年はずれた眼鏡をかけ直し、エフェメラをほうけたように見る。エフェメラが手を差し出すと、その手をとり立ち上がった。アーテルが面白くなさそうに鼻を鳴らす。ローザとヴィオーラが散らばったラムルフルムの花を拾い、少年に渡した。


「……どうも」


 少年はローザとヴィオーラのこともほうけたように見た。それからまたエフェメラを――主にエフェメラの髪色や瞳の色を見つめた。エフェメラが首を傾ぐと、少年ははっとして赤くなる。


「す、すみません、じろじろと。……その、スプリア出身の方を見るのが、初めてだったもので」

「おい。なんで町に誰もいねえんだよ」


 何故か喧嘩腰のアーテルに、少年が再びおびえる。少年はエフェメラの背に隠れつつ、無理に笑顔を作り答えた。


「た、旅の方々でしたか。ようこそ、カルケニッサへ。いま町の者たちはみな、礼拝のために中央の広場に集まっているんですよ」

「礼拝に?」


 太陽の日の朝に教会で礼拝する習慣は、どこにでもある。しかし礼拝のために、町民すべてが一同に集まるというのは珍しい。エフェメラが驚いていると少年がほほえんだ。


「スプリア王国ではあまりないことかもしれませんね。サンドリームでも、信仰が薄いところはしませんが……カルケニッサは、領主さまの意向で、ハキーカ教会を特に深く信仰しているのです。七日に一度どころか、毎日礼拝に通う人も多いですし、今日のような月初めの太陽の日には、みなで集まり礼拝を行うんです」

「へー。それよりオレら、食事処と診療所に行きてえんだけど、お前、場所わかる?」


 自分より頭一つ背が高いアーテルに見下ろされ、少年がさらに縮こまる。


「れ、礼拝には、医者も含め、町民すべてが参加してます。ですから、食事処も診療所も、礼拝が終わってからでないと……」

「ああ?」

「ひぃっ」

「いい加減にしろ」


 ディランが溜め息混じりに言う。するとアーテルはいつもの人懐っこい笑みで笑った。少年が怯える様を面白がっていただけのようだ。


 少年はまだアーテルを警戒しながらも、明るく言った。


「そうだ! 待っている間、みなさんも礼拝に参加されませんか? 司祭さまのお説教もありますので、とても良い経験になりますよ。この町の司祭であられるヘーゼル司祭さまは、国内でも特に徳の高いお方で、お説教を聞くために、遠い町からカルケニッサを訪れる方もいらっしゃるくらいなんです。ぜひご参加ください」


 アーテルやローザは苦い顔をしたが、待っている間特にやることもないため、エフェメラたちは少年の誘いに応じることにした。


 通りを真っ直ぐ進み、角を何度か折れてしばらく歩く。すると洞窟の出口から見えた翡翠色の屋根の教会堂が現れた。屋根の上には青銅の鐘を収める小さな鐘楼がついている。


 教会堂の手前には樹木に囲まれた巨大な円形広場があり、そこに一千人ほどの人が集まっていた。みな胸の前で祈りの手を合わせている。彼らの視線の先には、白の修道服を着た六十歳ほどの老人がいた。白髪混じりの頭には司祭の紋章が入った帽子をかぶっている。老人は、手元の教典に記された祈りの言葉を丁寧に読み上げていた。


「あの方が、ヘーゼル司祭さまです」


 少年が壇上に立つ老人を尊敬の眼差しで見る。


「ヘーゼル司祭さまは、八歳から大陸最大の修道院であるヤーヌアーリ修道院に入り、その後十五歳から聖都ヤーヌアーリの大聖堂で数年間務めを果たしました。以降は他国の教会を巡礼し、三十という若さで司祭となられ、教会のない町や村を積極的に訪れては人々を導きました。そして十年ほど前、領主さまの勧めでカルケニッサの専任司祭となられました。おかげで町のみなが祈りを大切にする生活に変わりました。町で事件や事故が起こることが減り、平和な日々が続くようになり――」

「そういやお前」


 アーテルが興味なさげに少年の語りをつ。


「さっき急いでたみたいだけど、もういいの?」


 輝いていた少年の顔がさっと青ざめた。



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