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2-25

 ディランはぴょんぴょん跳ねるローザを肩車した。見えた景色にローザが声を上げる。


「あの人たち、何してるの?」

「橋が安全に人を渡してくれるよう、神様に祈ってるんだ」

「へぇー。お祈りかぁ」


 橋祈祷は、水害や落下事故で死傷者が出ないよう、一年に一度、マーイウスに行われる。つまり本来なら先月行われるべきなのだが、それが教会側の都合で今月行われているということだ。


「ローザも、スプリアではお祈りしてたよ。太陽の日の朝は、いつも、エフェメラさまとヴィオーラとガルセクと、あとはたまにラッシュさまと、四人で教会に行くの。ローザは、司祭さまのお話の途中でいつも寝ちゃってたけど。第三おーじはお祈りしたことある?」

「いや、あんまり」

「お祈りしないと神さまに守ってもらえないって、司祭さま言ってたよ?」

「それは……困ったな」

「あー、でもね。ローザも、お祈りっていみあるのかなぁって思うときある。このまえ、勉強ができますようにっておねがいした時、ローザ、叶えてもらえなかった。いつも、ちゃーんと神さまに、ありがとうございますってお祈りしてるから、たまにおねがいを叶えてもらおうって思ったのに。なんでかなぁ?」


 鐘が、等間隔に鳴っていた。音は凛とした響きで川面を渡っていく。修道士が順番に立ち上がり、橋と川に聖水をまいていく。橋祈祷を見ている者の中には、実際に家族や友人を川で亡くした者もいるだろう。


「……叶えてもらえなかったのは、神様なんて、本当はいないからかもしれないな」


 ディランが気まぐれに発した言葉に、ローザは目を丸くして驚いた。


「ええっ! そうなの? ならお祈りって、どうしてしてるの?」

「人は、神様がいると思いたいんだ。神様がいれば、心の拠り所になるから」

「よりどころ?」

「例えば、橋の事故なんて、補強の頻度や本人の不注意、その時の偶然で決まるどうしようもないことだ。けどさらに、神という絶対的な存在を作って、祈れば守られると思い込めば、人は安心できる。人はそれほど強くないから。そういう目に見えない安心が欲しいんだ」

「ん……んー?」

「人の理想として、あるべき姿の規範、目標にもなる。人はそれを目指して、祈るんだ。そうして救いや守り、愛をくれる絶対的な存在として、敬う。そういうものがあると思えば人は生きやすい。絶望した時でも、最後まで希望にすがることができる」


 ローザは眉間に深くしわを寄せる。


「第三おーじが言ってること、ローザ、よくわかんないんだけど」

「つまり、神様はもちろんいるって話だよ」


 まったく文脈がつながらない返しだったが、ローザは安心したように息を吐いた。


「なーんだ。よかったぁ」

「神様がローザの願いを叶えてくれなかったのは、ローザ自身が叶えられる願いだったからかもしれないな。神様が叶えてくれる願いは、自分ではどうしようもできないことだけなんだ。家族の健康とか、国の平和とか」

「なるほど」


 ローザが深く頷く。納得してくれたらしい。ディランは橋祈祷で祈りを捧げている人々を冷めた心持ちで眺めた。


 神様なんていないと、ディランは思っている。目に見えないものが自分を助けてくれるわけがない。絶望しても自分で立ち上がるしかなくて、欲しいものがあれば努力をするしかない。祈ったところで何も変わりはしない。


 それでも神がいると信じることで生きやすくなるのなら、きっとそれがみなにとっては正解で、幼いローザにとっても正しい答えだ。


「橋、通れないね。これからどうするの?」


 ローザがディランの頭に手を乗せながら訊いた。


「町に戻って明日まで待つかな。急ぐ旅じゃないから」


 馬車へ戻ろうと、ディランが振り返った時だった。停めていたはずの馬車が急に走り出した。馭者台には知らない男が座っている。


 ディランは一瞬呆気にとられ、眠るアーテルが幌の中から蹴り落とされたのを見て我に返った。


「あれ? 馬車が行っちゃう。アーテルがおちてるーっ!」


 ディランはローザを地面へ下ろし、手近にあった商人の馬に飛び乗った。


「おいあんた何を――」

「すまない。この馬をもらう」


 ディランは面食らう商人に金貨を一枚放った。馬十五頭は買える額だ。


 全速力で馬を飛ばす。幌馬車は地面で目覚めたことを不思議がるアーテルと、その寝ぼけ顔をぺしぺし叩くローザを置き去りに、速度を上げて逃げていく。


 どこにでもいる物盗りだった。町で高い宿に泊まっていたところを見られたか、エフェメラの髪色に興味を持ち狙われたか。どちらにせよ逃げられるわけにはいかない。


 物盗りの人数は全部で四人だった。アルブスとガルセクが幌の中で応戦しているのが見えるが、寝起きのためか分が悪そうだ。ディランが追いつく前に、馬車は近くの森へ入って行く。ディランは小さく舌打ちをした。


 森へ入り、視界が一気に暗くなった。この森は迷いやすいことで有名な森だった。樹木はどれも背高く伸び、乱雑に茂る葉や枝が地面への光をほぼ遮っている。好んで入る者はいなく、ディランも通る予定のない場所だった。


 視界の横を木々が流れるように過ぎていく。馬車は木の根や岩が邪魔する獣道を強引に進んでいく。


 幌の中で格闘していたアルブスが、一人の物盗りを蹴り落とし、その拍子に幌の上へと飛び乗った。ディランは転がってくる物盗りを避けながら叫んだ。


「アルブス! 馭者を抑えろ!」

「何がどうなってんの! アーテルは?」

「無事だ!」


 アルブスは幌の上から馭者台へと下りようとした。しかし馬車が急に曲がり、遠心力で振り落とされてしまう。幌の中も大きく揺れ、悲鳴を上げるエフェメラとヴィオーラの声が聞こえた。


 曲がった先に、今度は巨木が現れた。再び馬車は急激な方向転換をし、ガルセクと一人の物盗りが剣を合わせながら放り出される。


 ディランは構わず馬を走らせた。曲がる度に馬車が減速するため、距離はかなり縮まっていた。


 エフェメラとヴィオーラが幌の中で必死に掴まっているのが見える。ほかに中にいるのは物盗り一人だ。ディランが馬を馬車に寄せ、幌の中へ飛び移ろうとすると、物盗りが積んでいた水樽をディランに放りながら叫んだ。


「いい加減諦めろ!」


 とっさに剣を抜き樽を両断する。中から水が飛び出し、驚いた馬が足を鈍らせる。ディランは離される前に跳躍し、幌の側面へしがみついた。


 振り落とそうと、馬車が再び大きく曲がる。幌の中から突き出てくる剣を避けながら、ディランは自身の剣で馬車の車輪を満身の力で斬り壊した。


 疾走していた馬車が音を立てて傾ぎ、衝撃で手が幌から離れる。ディランは地面の上を受け身で転がり、すぐに起き上がって馬車を追った。馬車は地面を擦って進み、まもなく停止する。


 無茶な手綱から自由になった馬車の馬が、怒ったように逃げていった。馭者台にいた物盗りは、頭をおさえながら顔を上げ、ディランと目が合うと喚きながら逃げ出した。水樽を放った物盗りは、地面に投げ出され気を失っていた。


「フィー!」


 ディランは傾く馬車に上った。二人が中でしっかり掴まっていることを確認したとはいえ、かなり荒っぽい止め方になってしまった。怪我を負った可能性がある。


 見ると、エフェメラとヴィオーラは幌の中でひっくり返っていた。外傷はなく、二人が身じろぎし目を開けたことに安堵の息をつく。


 だがディランはすぐにぎょっと目を瞠った。エフェメラのワンピースの裾がめくれ上がり、肌が露わになっていた。


「ディランさま……――きゃあっ!」


 起き上がったエフェメラが、かあっと顔を赤くし慌てて裾を直す。


「ご、ごめんっ!」


 ディランは二重の意味で謝りながら、急いで身体の向きを変えた。


「俺の不注意で、怖い思いをさせた。怪我はない?」

「は、はいっ。大丈夫、です」


 二人が馬車から出た時、ガルセクが追いついて来るのが見えた。ヴィオーラが目に涙を溜めガルセクに抱きつく。やがてアルブスと馬に乗ったアーテルとローザも現れた。


 ディランは木の枝葉で見えない空を仰いだ。


「――アーテル。ここに来るまでの道、覚えてるか?」

「いや。お前の後ろ追っかけるので、必死だったから」

「……そう」


 暗い森に、鳥の低い鳴き声が反響している。空気も地面も湿っぽく、動物の気配は近くにない。ただ草陰からいまにも蛇が出てきそうな雰囲気だ。


「とりあえず、馬車の跡を辿って来た道を戻ろう。しばらく歩くだろうから、荷物はアーテルが乗ってきた馬につけて。……迷わなければ、陽のあるうちに森を出られるはずだ」



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