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2-24 神様

「朝まで飲むなんて、ばかなんじゃないか。少しは考えるということをしたらどうだ」


 翌朝、ディランは馬車の前でアーテルとアルブスに向けて言った。宿から出てきた面々は、幼い双子たちを除きみな元気がない。アルブスがつらそうに頭を押さえうめく。


「昨日はアーテルに勝てる気がしたんだよ……」

「そう言って勝てた試しなんてないだろ」

「瓶二十七本までは粘ったんだけどなぁー――うっ。立ってるの気持ち悪い」


 毎度のことながら二人には呆れる。普段と変わらぬ顔色であくびを繰り返すアーテルなどは、もはや人間ではないのではと思う。


 初めてにも関わらず酒を飲み過ぎてしまったエフェメラや、哀れにも潰れるまでアーテルの酒に付き合わされたガルセクも、青い顔をしていた。


「申し訳ありません、殿下。いま馬車を出しますので……」

「ガルセクは休んでていい。馭者ぎょしゃは俺がするから」


 ディランは馭者台に座り、みなが馬車に乗ったことを確認した。馭者を担うのは久しぶりだ。


「午後と、明日の馭者は、全部アーテルだからな」


 幌の中で眠ろうとしていたアーテルが、「え」とぱちりと目を開ける。ディランが手綱を振ると、馬が軽快に蹄を鳴らして走り出した。


 東の大街道(アナトレーセビリ)では、今日も次の町へと移動する人々が歩を進めていた。荷馬車を急がせる商人もいれば、ゆっくりと歩く旅人もいる。道の随所に分岐路があり、地面に刺さる木看板に各道の先にある地名や町名が記されていた。


 ディランは過ぎゆく景色を背景に、二頭の馬の後頭部を何となしに眺めていた。遠くで鳥の鳴き声がする。蒼天に浮かぶ真っ白な雲は鈍い動きで形を変える。本を読めないことは残念だが、ディランはこうしてのんびりと時間を潰すことが嫌いではなかった。


 幌の中から聞こえるのは寝息だけ、周りは草原のため時折ほかの馬車とすれ違う以外 大きな音はない。肌に感じる空気は心地よく、単調な馬車の揺れに任せ昼寝をしたら気持ち良さそうだ。


 だがディランの頭はぼんやりすることはせず、いまある懸念事項を勝手に整理し始める。この数年で体に染みついた癖のようなものだった。


 ふと、小さな気配が背後に近づいた。軽い足音から目星をつける。案の定、ローザが馭者台に上がってきた。


「ぜんそく、ぜんしーん!」


 前方を指差し元気に叫ぶ。双子のもう片方は何をしているのかと幌の中を見れば、ヴィオーラはエフェメラとガルセクの介抱に精を出していた。


 ローザは馭者台に仁王立ちし言った。


「ローザもお馬さんうごかしたい! そのひもかして!」

「……危ないからだめだよ」


 ディランは粘るローザを無視した。諦めて幌の中へ引っ込むだろうと思ったが、ローザはどんっと隣に腰を下ろすとディランをまじまじと見上げた。ディランは反応しまいと視線を前へ集中させた。


「ねえ! なんで、みんなとおしゃべりしないで、本ばかりよんでるの?」


 遊び相手がいなくなってしまっため、矛先がディランに向いたようだ。好奇が輝く瞳はエフェメラとまったく同じ銀色だ。


「何の本いつもよんでるの?」

「……町や市で発行してる雑報誌だよ。その街や周辺であった出来事や、これからの政策とかを、まとめた本」

「それって、おもしろいの?」

「それなりには」

「でも、笑ってるとこ見たことないよ」

「……おかしいって意味の面白いじゃなくて、興味深いって意味の面白いなんだ」


 ローザが眉根を寄せ変な顔をする。


「何言ってるか、よくわかんない!」

「…………えっと」

「本が好きなの?」

「いや……そういうわけでも、ないんだけど」


 ローザがさらに眉間のしわを深くする。ディランは少し焦った。


「本は、俺に必要なものなんだ。食べたり眠ったりするみたいに、俺には勉強が必要で、だから本を読んでる。好き嫌いは関係ないんだよ」

「ふーん。なんだか、ヴィオーラみたいだね」


 道の先を見ながらローザが話し出す。


「ヴィオーラも勉強が必要なんだって。だからいっぱい勉強してるの。先生になって、ローザたちのお父さんとお母さんの代わりになるんだって。ローザたちのお父さんとお母さんはね、スプリアで先生してたの。いまは、遠くに行かなくちゃいけなくなって、ローザたちがたくさん大きくなるまで、スプリアにはいないんだけど」

「……そう」


 幼い双子が、親元を離れエフェメラといる理由はわからなかった。だがようやく理解した。恐らく亡くなったのだろう。それできっと、エフェメラが世話を申し出たのだ。


「本当は、ローザも先生になりたいけど、勉強が大きらいだから、むりなの。がんばってみたこともあるけど、勉強って、ぜんぜんおもしろくないんだもん」

「勉強ができなくても、先生にはなれるよ」

「え?」


 ディランはローザの頭にそっと手を置いた。


「運動の先生とか、料理の先生とか。俺の剣の先生は、算術が足し算引き算くらいしかできなかったけど、ほかにいろいろなことを知ってて、本当に尊敬できる人だった。――ローザが苦手なところは、ヴィオーラに手伝ってもらえばいいんだ。そしてヴィオーラが苦手なことは、ローザが助けてあげればいい。二人一緒なら、きっと両親みたいないい先生になれる」


 小さな頭を撫でてから、ディランはローザから手を離した。ローザはしばしほうけていたが、興奮気味に立ち上がった。


「笑ったとこ、初めて見た!」

「え?」

「もう一回、笑ってみて!」


 ずっと笑っていなかっただろうかと感じながら、ディランはぎこちなく口の端を上げて見せた。


「ちがう! ふつうに、笑ってみて!」


 要望に応えようと頑張ってみるが、自然に笑おうとしても駄目出しされる一方だった。切りがないため貴族相手の作り笑いをしてみせると、ローザの興味は別のものに逸れていた。


「あそこ、なんだろう! 人がいっぱいいる!」


 子ども特有の飽きやすさに疲れを感じつつ、ディランも前方を見た。広い街道を塞ぐように人々が集まっている。


 風に乗ってきた水の匂いを感じ、ディランはもうここまで来たのかと思った。太陽の位置を確認すれば、予定通り昼時を指している。


 人垣が近づくにつれ現れた絶景に、ローザが感嘆の声を上げる。視界に広がるのは対岸が見えないほどの巨大な川だ。ここ数日雨がなかったため水は澄み、深い川底まで窺える。たまに陽光を反射する川面を風が気持ち良く駆け抜けていた。


 人が群がっていたのは大河に架かる大橋の前だった。ディランは人だかりの手前で馬車を停めた。橋を通る必要があるため、人が集まっている理由を尋ねなくてはならない。ディランの後を追い、ローザも馬車を降りてきた。


「すみません。何かあったんですか」


 ディランは人だかりの後ろにいた男の商人に声をかけた。


橋祈祷はしきとうだよ」


 言われて、人垣の向こう側を覗いてみる。修道士が何人も長い橋の上に並び、目を閉じて祈っている。橋の中央には一(つい)の天使が描かれた馬車が停まっていた。そばには帯剣した修道士と、白髭を伸ばした老人が立っている。大陸全土で信仰されるハキーカ教会の教皇だ。ふた月前に結婚式で会ったため、その姿はまだ記憶に新しい。


 橋祈祷に足を止める者の中には、祈りに加わったり神々しさに涙を流したりする者もいた。


橋祈祷はしきとうって……、例年通りなら、先月終わっているはずでしょう」

「教皇さまがご体調を崩されて、日程が後ろへずれたんだとよ。――弱ったなぁ。三日後にアプリに商品を持ってかなきゃなんねえってのに、予定が狂っちまった」


 商人はやや恨めしげに橋を眺める。あまり信仰深くないらしい。ハキーカ教会の信仰度合は人により、朝昼夕と毎日祈りを欠かさない者もいれば、冠婚葬祭でしか祈らない者もいる。平均的には、七日に一度の労働者の休日である太陽の日に礼拝する程度の人が多い。


 ディランも内心肩を落としていた。橋祈祷は丸一日かけて行われるため、その日は誰も橋を通ることができないのだ。


「何見えるの? ローザも! ローザも!」



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