2-21
歩き出すエフェメラをガルセクが慌てて追う。
「まさか、お酒を飲むなんて言うつもりじゃありませんよね?」
「まだ決めてないけれど、興味はあるわ。お父さまも、お酒はいいものだと言っていたし」
「勧める意図でおっしゃられたのではないと思いますが……。それに、エフェメラさまにはまだ果汁のほうがよろしいかと」
「ラッシュお兄さまは、十三の時にはもうお酒を飲んでいたと言っていたわ」
ラッシュとは、スプリア王国の第五王子で、エフェメラにとって一番歳の近い兄姉である。
「わたしはもう十五よ。試すには十分だと思うわ」
「いや、しかし」
ガルセクの説得が実を結ぶ前に二人は階段を下り切る。一階にはいくつもの円卓が並んでおり、ピアノの演奏の中でみながゆったりと談笑していた。
エフェメラは円卓の一つにアーテルとアルブスの姿を認めた。だが卓には知らない女性も一人いた。肩の出る服を着た、艶やかな美人だ。
アーテルがエフェメラとガルセクが近づいて来るのに気がついた。女性に何か話すと、女性がすっと席を立つ。そして去り際、アーテルの口元に顔を近づけた。エフェメラは驚いて固まった。女性はアーテルの極めて口に近い頬にキスをし、腰を振りながら去っていった。
「待ってたぞー、ガルセク。フィーも来たのか?」
「アーテル……いまの、方は?」
「この宿御用達の歌い手だってよ」
女性が奥の小さな舞台の上に立つ。酒場に拍手が起こり、アーテルが口笛を吹く。女性はアーテルに片目を瞑って見せた後、綺麗な声で歌い始めた。
「ずいぶん親しそうだったけど、知り合い、なの?」
「いや。さっき会ったばっかだけど」
「え、でも、もうあんな……」
キスをされていたではないかと、エフェメラは思う。
「オレは気が合えば誰とだって、特に女の子とは一瞬で仲良しなので」
エフェメラは衝撃を受けた。会ったばかりの異性と、たとえ頬でもキスをするとは、大人の世界だ。
アーテルも異性の扱いに慣れているのだろう。彼は確かに鼻筋の通った顔立ちで、くしゃりとした笑顔は懐っこく人好きのするものだ。好ましく感じる女性は多い。
「ほら。突っ立ってないで座れよ」
椅子に腰かけながら、エフェメラは訊いた。
「ねえ、アーテル。ディランさまはどこ?」
いくら首を巡らせてもディランの姿が見当たらない。
「ディランなら出かけたぜ」
「え? こんな時間に? どこへ?」
「さあ。ちょっと出てくるって言ってただけだから。たぶん、町の様子でも見て回ってんだろ。あいつ、まじめだから」
アーテルがぐいっと麦酒をあおり恍惚とした表情をする。呂律はしっかりしているが、すでにだいぶ飲んでいる様子だ。
「わざわざ町回って面倒な真似しなくったってさ、宿で働いてる女の子に聞けば、町の様子なんてわかんのに。ディランは女と話すのが苦手過ぎるんだよ」
「そうなの?」
「ああ。酒場でオレとアルブスと三人で飲んでる時なんて、そりゃあもう女の子に声をかけられまくりなわけだけど、ディランはいっつも適当に理由つけてどっか行っちまうからなー」
「……ディランさま、さっきも女性に迫られていたわ。身体を触られたり、寄り添われたりして」
「やっぱりか。キスされそうになんのもしょっちゅうだからな」
「キっ?」
エフェメラは赤くなって驚いた後、嫉妬で頬を膨らませた。アーテルが楽しげに笑う。
「まあんなことより飲もうぜ。宿泊客は、ここの酒自由に飲んでいいんだってさ」
アーテルがエフェメラとガルセクの前に硝子の器を置いた。
「酒代も込みなんて、ここって一泊いくらなんです?」
ガルセクが尋ねる。
「全員で銀貨二十枚くらいじゃねえ?」
「二十枚?」
ガルセクが目を瞠った。一般的な大人のひと月の稼ぎが銀貨二十枚だというのに、それを一晩で使い切るなど頭が痛くなる額だ。
「税金を庶民どもにばらまいてやればいいんだよ。金は天下の回りものってな。――アルブス! 新しい酒!」
「はいはい」
アルブスが店員に追加の酒を注文し、瓶に残っていた酒をアーテルとガルセクの器につぐ。エフェメラは酒が注がれる流れに加わり器を差し出した。
「アルブス、わたしにも」
「フィーってお酒飲めるの?」
「飲んだことはないわ」
「エフェメラさま、おやめになられたほうが」
「飲みたい気分なの」
「へえー。言うねえ。ついでやれよ、アルブス」
「怒られるのは、アーテルだからね」
エフェメラには麦酒は苦いと思ったのだろう、アルブスは別の酒をついでくれた。紅玉のように紅く透き通る液体が、透明な器の中へ落ちていく。上質な葡萄酒だ。
ガルセクが心配そうに見ている横で、エフェメラは思い切り器を傾け、葡萄酒をひと息に半分ほど飲んだ。頭が湯を浴びたように熱くなる。身体が妙に軽くなった感覚がして、視界が揺れる。
だが、とてもいい気分だった。エフェメラは頬を緩め、もう一口酒を飲んだ。
「いい飲みっぷりじゃねーか。ほら、ガルセクも飲めよ。男が女に負けてちゃ情けねえぜ」
ガルセクも抵抗を諦め酒を飲んだ。久しぶりの酒だっため、一杯飲み終えた頃には頬に朱が差す。
空になったエフェメラとガルセクの器にまた酒を足しながら、アーテルが訊く。
「で、お前らはいつからの付き合いなわけ? ずいぶん仲いいじゃん」