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2-20

「え、あの、ディランさま?」


 エフェメラを無視し、ディランは歩き続ける。エフェメラは抵抗し足を止めようとした。


「ディランさま、手を離してください!」


 だがディランの力は思いのほか強かった。足が勝手に進んでしまい、結局幌馬車の前まで着いてしまう。ようやく力が緩んだため、エフェメラはディランの手を振りほどいた。


「ど――どうして止めたのですか?」


 怒りが募る。納得がいかなかった。


「お金ならあります。いまなら、あの方たちを自由にすることができるんです!」

「たとえ、いま君が彼らに自由を与えたとしても、彼らが奴隷であるという事実は変わらない。奴隷には、暮らせる土地もなければ家もない。就ける職だってない。生きていくためには、結局また奴隷として買われるしかないんだ」

「な、なら、ディランさまが土地や家を与えたらいいではないですか。誰もが持っているような、小さな家と畑でいいんです。それで生きていけます。このくらい、この国の王子であるディランさまには簡単なはずです」

「……できないよ。ここで彼らを助ければ、奴隷全員を助けなくてはいけなくなる」

「助ければいいんです! あの方たちだって、人間です。自由と幸せを得られるのが当たり前です。それなのに国の決まりでつらいことを強いるなんて、国を治める者として正しい姿ではありません!」


 ディランが次の言葉を迷うように一旦目を逸らす。草原では、奴隷たちがまだ木材を運んでいた。足をつなぐ鉄鎖が重い音を立てている。


「……君の言っていることは、間違ってないよ」

「だったら」

「でも奴隷制があるほうが、国にとって圧倒的に利益率が高いんだ。だからなくすことはできない」


 ディランはエフェメラを真っ直ぐ見て言った。陽の下でも夜空の色を失わないその瞳に、迷いは微塵もない。ディランの口から出た言葉だと、すぐには信じられなかった。


「……どうして……そんな、ひどいことを」


 乾いた喉から掠れた声が出た。


「奴隷がいるおかげで助かっている人は、大勢いる。……十人で苦痛を分け合うよりも、一人の犠牲で九人が幸せに暮らせたほうが、きっとみんなのためになる」


 奴隷がどんなにつらい思いをしようと、自分たちが幸せならいいと、ディランは言っているのだ。あまりの非道さにエフェメラは言葉を失くした。


 呆然とするエフェメラに、ディランが馬車へと手を差し出す。


「先へ進もう。陽が出ているうちに次の町に着きたい」

「……大丈夫です」


 ディランの手を力なく拒否し、エフェメラは一人で幌馬車に乗り込んだ。ローザとヴィオーラが「れいけつおーじ、れいけつおーじ」と非難し始める。


 小さくなって座るエフェメラの様子をガルセクが馭者台から気遣わしげに見る。


「代わるよ、ガルセク」


 アルブスが声をかけた。アーテルも続く。


「オ、オレも手伝うぜ」


 二人は逃げるように幌の中から出ていった。ディランはしばらくエフェメラを窺っていたが、結局何も言えずに読みかけの本を手にとった。


 重い空気を乗せたまま、幌馬車はゆっくりと街道を進み始めた。


   ×××


 王都を出発してから二日が経過した。アプリ市への道程は順調で、予定通り半分の距離を消化していた。


 馭者を担うのは主にガルセクとアルブスで、休憩の場所と時間、それから泊まる町を指定するのはすべてディランだった。ローザとヴィオーラは畑や草原ばかりの変わり映えのしない景色に一日で飽き、エフェメラやアーテルとお喋りをしている。


 奴隷について口論して以来、エフェメラはディランとほとんど話をしていなかった。ディランは幌の中でずっと読書をしていて、アーテルやアルブスが話しかけない限り口を開くことがない。次の町までに本を一冊読み終えては、着いた町でまた新たな本を買っていた。


 その日も陽のあるうちに町に着き、ディランは雰囲気の良い二階建ての宿を指定した。この二日間と同じく、出入口に護衛が立つ宿屋で、ふた部屋借り男女で使うことになっている。


 一階の食堂兼酒場で夕食をとっているうちに、疲れが出たのかローザとヴィオーラは眠ってしまった。エフェメラはガルセクと一緒に二人を抱え、先に部屋で休むことにした。


「ベルテさまから使い切れないほどの路銀をいただきましたが、まったく使っていませんね」


 ガルセクがローザとヴィオーラを寝台に下ろしながら言った。食事代や宿代はディランが支払っている。ベルテは念のためにと渡してくれたようだ。


「宿って、一晩いくらするものなの?」

「一人につき穴銀貨五枚が相場でしょうか。朝夕の食事ありだと銀貨一枚まで上がると思います。この宿は平均より上等でしょうから、一晩でも銀貨二枚はしそうですね」

「……やっぱり、大国の王家って、お金持ちなのね」


 税収を減らせば民はもっと豊かになるだろうに、王侯貴族は民を想うよりも自らの見栄や裕福さを優先している気がする。宿内で煌びやかな貴族の宿泊客を見かければ、なおのこと感じずにはいられない。


(今夜、わたしが外で寝たら、その分誰か貧しい人のために使われるのかしら)


 だがエフェメラが外で寝ると言えば、護衛のためにとガルセクも外で寝ると言い出すに違いない。それにたとえ野宿したとしても、実際は国庫が潤うだけなのだろう。エフェメラは二日前に見た奴隷を思い出し、居心地のいい部屋にいるのが申し訳なく感じた。


「では、私は部屋に戻ります。明日も長い道のりですので、ゆっくりとおやすみください」


 ガルセクが一礼をして部屋の扉を開ける。しかしすぐに廊下の先を見て足を止めた。


「どうしたの?」


 エフェメラも扉の外を覗くと、廊下の先にディランの姿があった。一人ではない。ディランは三人の女性に囲まれていた。エフェメラより年上の、二十歳前後の女性たちだ。ディランに腕を絡めたり豊かな胸を押し当てたりと行く手を阻もうとしている。エフェメラは一瞬にして頭に血が上った。


 ディランは実に顔がいい。見た目だけで人を寄せつけてしまう。そして精悍な顔立ちというよりは中性的な顔立ちだから、年上の女性からは「かわいい」なんて言われながら人気を集めてしまうのだ。


 人の夫に言い寄るとは許し難い。エフェメラは間に入ってやろうと足を踏み出した。するとディランがエフェメラとガルセクに気がついた。女性たちからどうにか逃れ、足早にこちらへ向かってくる。


 女性たちは残念そうに肩を落とし、自分たちの部屋へ戻っていった。ディランが心底安堵して息を吐く姿を見て、ガルセクが笑う。


「部屋に連れ込まれそうにでもなったんですか?」

「うん、まあ……。逃げるきっかけができて助かった。――ちょうど良かった、ガルセク。あなたを呼びに来たところだったんだ。酒でもどうだ?」

「お誘いありがとうございます。ですが、酒が明日に残るといけませんので、今夜は」

「そう。下でアーテルとアルブスが飲んでるから、もし気分が変わったらいつでも来てくれ」


 踵を返そうとするディランとエフェメラの目が合った。ディランは視線を惑わせた後、一拍置いてから言った。


「えっと……おやすみ」

「……おやすみなさい」


 ディランが階下へと戻っていく。エフェメラは背中を見送った後、決意した。


「わたしたちも下へ行きましょう、ガルセク」

「え?」



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