2-19
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快晴の空の下、見渡す限りの草原が広がっていた。草原では牛の親子が草を食み、遠くに点々と建つ人家は玩具の家のように小さく見える。
エフェメラたちが乗る幌馬車は、王都とアプリ市をつなぐ〈東の大街道〉を順調に進んでいた。エフェメラは出発してからずっと、ローザとヴィオーラとともに流れゆく風景に夢中だった。
馭者台にはガルセクが座り、幌の中ではディランが読書を、アルブスが昼寝をしていた。アーテルは初めこそエフェメラたちに近隣の市町村や街道について説明していたが、いつまでもはしゃぐ三人に疲れ、いまはディランのそばでのんびりとしている。
「この速度だと、確実に三ヶ月は城の外だな」
アーテルが嬉しそうに言うと、ディランが本に目を落としたまま否定する。
「そんなに城を空けられるか。アプリに行って、砂漠を見たら帰るぞ。セプテンの展望台はなしだ」
アーテルが声にならない叫び声を上げた。エフェメラはやりとりに反応した。
「アプリからでも、砂漠が見られるのですか?」
ディランが本から顔を上げ頷く。
「街の高い場所に上れば、どこからでも見られるよ」
「それは楽しみです! わたし、小さい頃から、一度砂漠を見てみたいって思っていて」
サンドリーム王国とオウタット帝国の国境は、巨大な砂漠地帯となっている。そのためアプリ市は関所も兼ねており、市の東側がすべて砂漠だ。砂漠との境には防衛のために高い壁が連なっているため、地上からは砂漠を見ることができない。
エフェメラが初めて砂漠を知ったのは、サンドリーム城内に飾られた絵画を見た時だ。空と地面ばかりの絵を不思議に思い、これは何かとそばにいたディランに訊いたのだ。
この時エフェメラは、本物の砂漠も見てみたいとディランに返した。いまふとそのことを思い出す。
「……もしかして、ディランさまは、昔わたしが砂漠を見たいと言ったことを、覚えていてくださったのですか?」
「うん、まあ……。せっかく出かけるなら、いい機会だと思って」
「ディランさま……」
「……」
「……おい。オレもいるの忘れんなよ」
揃って赤くなる二人にアーテルが疲れたように笑う。エフェメラは外の景色に注意を戻し、照れを隠した。するとローザがある一点を指し声を上げた。
「あの人すごい! 力持ち!」
示す方向には一人の男がいた。周りにいる二人の男たちとともに、荷馬車に載った木材や煉瓦を下ろしている。
「ほかの人は一本の木を二人で持ってるのに、あの人は一人で二本も持ってる! すごい!」
木材の長さは身長の倍、太さは大人の頭ほどはあったが、その男は平然と運んでいた。明らかに人が為せる業ではない。怪訝に思って見ていると、作業する男たちがみな足に枷をはめていることにエフェメラは気がついた。衣類もぼろぼろに着古したものだ。対して小綺麗な服を着た一人の男が、枷のある男たちのそばに立っている。小綺麗な服の男は暇そうに腕を組み、手には鞭を持っていた。
エフェメラはやっと理解した。使役されているのは奴隷だ。彼らは文句一つ言わず、ひたすらに積荷を運んでいた。作業が遅い一人が膝を崩すと、小綺麗な服装の奴隷主が鞭を振るい、怖い顔で何事かを叫んだ。
「つかれてるんだから、休ませてあげればいいのに。かわいそう」
ローザとヴィオーラが揃って眉根を寄せた。エフェメラも彼らが可哀想だと感じた。エフェメラは奴隷について以前教えてくれたアーテルを振り向いた。
「ねえ、アーテル」
「んあ?」
「あの人たちって、いくらで買われたのかしら」
アーテルが立ち上がり、エフェメラと一緒に幌の口から顔を出す。
「大人の男が三人、か。荷運び奴隷の相場はだいたい銀貨百五十枚。だから三人で四百五十枚……って違うな。一人は朱瞳か」
「シュエ?」
「血みたいな朱い瞳のオウタット人のことだ。一人で丸太を二本運んでるやつ。ここからだと遠くて見えねえだろうけど、あいつだけ目が朱いはずだ」
エフェメラは目を凝らしてみた。森の緑に囲まれて育ったおかげか、エフェメラは目がいい。勉強を熱心にしなかったおかげでもあるかもしれない。アーテルの言葉通り、確かに一人だけ瞳の色が朱かった。
朱い瞳のオウタット人。第四王子のサウエルが図書室で言っていた、片手で馬一頭を持ち上げるほどの力を持つ労働奴隷のことだ。
「シュエは普通の奴の数倍は力あるから、オウタットでは戦士としてかなり重宝されてるんだぜ? サンドリームじゃ重労働の便利な奴隷として扱われてるけどな。――ほかの奴隷と比べ、価値は高い。あいつだけで銀貨五百枚はするだろうな」
「つまり、金貨五枚と、残り二人の三枚とだから……三人で金貨八枚ということね。――ガルセク! 馬車を停めて!」
ガルセクが声に手綱を引いた。馬が嘶き、幌馬車が止まる。気持ちよく寝ていたアルブスが目を覚まし、ローザとヴィオーラが不思議そうにエフェメラを見上げる。
エフェメラは転ばないように気をつけながら馬車を下りた。そして奴隷主のところへ歩いていった。
「あの」
声をかけると、奴隷主は振り向き、エフェメラの美貌にぽっと頬を染めた。
「この方たちを、わたしに売ってもらえないかしら」
襟元を正していた奴隷主は、しかしエフェメラの意味不明ないきなりの申し出に、一転し不審顔になる。
「何、言ってんだ? 俺が大金はたいて買った奴隷だ。売ることはできねえよ」
「金貨八枚を払うわ。相場のはずよ」
軽く提案したエフェメラに、奴隷主が目を丸くする。
「だ……だめだ。明日までに、資材を全部ここに運ぶ約束なんだ。また奴隷を買いに歩いてたら、間に合わなくなっちまう」
「損する分も払うわ」
「払うって……違約金も払う羽目になるからなぁ。だいたいあんた、そんな大金、本当に持ってんのか?」
「ええ、ここに」
金なら本当に払うことができた。路銀にと、今朝ベルテがくれたのだ。合わせて金貨十枚分はあったはずだ。
だがエフェメラは、ワンピースの懐に手を入れはっとした。金貨や穴金貨が入った袋は、落とすかもしれないと思い、ガルセクに預けたのだった。
「なんだ。やっぱりねえのか」
「馬車に置いてきたの。いま、持って来るわ。お金を確認できたら売ってもらえる?」
奴隷主は嘘をついていないか見定めるようにエフェメラを見つめる。エフェメラは真剣な目で返答を待った。
「……金貨十枚ならいいぜ」
「本当? ならいま――」
エフェメラはふっかけられたとは気づかず二つ返事で了承する。だが不意に、後ろから手首を掴まれた。振り向くとディランがいた。ディランは奴隷主に向けて言った。
「すまない。いまの話はすべて忘れてくれ。――行こう」
ぽかんとする奴隷主を置き去りに、ディランはエフェメラの手を引き馬車へ戻っていく。