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2-16

   ×××


 いつもの就寝時間はとっくに過ぎていたが、エフェメラは寝台の上で本に読み(ふけ)っていた。読んでいるのは昼に図書室で借りてきた『夜空の花の王子様』の第二巻だ。最後の(ページ)を読み終わり、エフェメラは肩の力を抜きながら本を閉じた。


「すごい、内容だったわ……」


 二巻では、少女の幼なじみの少年が新たに登場し、三角関係が始まった。三角関係は恋愛物語の王道で望ましい展開と言えるのだが、一つ問題が発生した。幼なじみの少年が、いささか積極的過ぎたのだ。


 幼なじみは、少女に両想いの相手がいると知りながら、遊びに誘ったり勝手に手をつないできたり、無理やり抱きしめたりした。この幼なじみの目的は、身分違いの恋など諦めさせ、少女を自分のものにすることだ。エフェメラは王子と少女の仲を応援していたため、この幼なじみの行動には非常にやきもきした。


 さらに幼なじみは、少女を壁に押しつけ強引に口づけたかと思うと、口内に舌を入れる、という驚くべき行動をした。未知の過激な展開に、エフェメラは赤くなりながら文字を追った。


 その少女の危機へ王子が現れ、少女を助けるのだが、今度は嫉妬した王子が少女を寝台へ押し倒してしまう。幼なじみに対抗するように、王子は熱のある口づけを少女の意識が朦朧とするくらい長く続け、やがて少女の服の留め紐を外していく。エフェメラは唾を呑み込み先を読み進めたが、王子の使用人の登場で、その場は二人で逃げて終わってしまった。


「こんな過激な本、部屋に置いておくわけにはいかないわ。もしローザとヴィオーラに見られでもしたら」


 教育に悪いに違いない。エフェメラは夜中のうちに本を図書室に返却することを決意した。


 ドレスに着替えるのが手間だったため、寝衣に肩掛けだけをして部屋を出る。南棟から中央棟への図書室までは、幸いさほど距離はない。時刻も真夜中のため、恐らく誰にも会わずに戻って来られるだろう。


 廊下の蝋燭(ろうそく)灯はすべて消えていた。窓から射す月明かりを頼りに、エフェメラは無音の廊下を早足で進んだ。


 二巻は、少女の気持ちが王子と幼なじみの間で揺らぐところで終わっていた。ずっと王子一筋だった少女だが、意地悪ばかりの幼なじみががらりと態度を変え、長年積み重なった互いの時間もあり、心が惑ってしまうのだ。


 身分違いの結婚は障害が多過ぎるが、幼なじみが相手ならば少女は問題なく結婚し、普通の幸せな家庭を手にすることができる。


(最後は、王子さまと幸せになって欲しいけど)


 次巻で完結である。続く三巻がかなり気になるところではあるが、本の過激な内容を考えるとこれ以上読んでいいものか悩む。いけないことをしている気持ちになってくる。


 夜の図書室は、昼とは雰囲気がまるで異なっていた。採光窓から射していた陽光は、いまでは青白い月光へと姿を変えている。興味が駆られたはずの高い本棚や梯子は、闇の中ではエフェメラをじっと見下ろす得体の知れない生き物のようで、恐怖を感じた。


 エフェメラは手燭を持って来なかったことを後悔した。暗い場所では悪の魔物が出ると、子どもの頃、歳の近い兄にからかわれたことを思い出す。


(早く、戻らないと)


 エフェメラは急いで目的の本棚へ向かった。そして二巻があった場所に本を戻した。そのまま部屋に戻ればいいのだが、隣にある第三巻につい目がいった。


 エフェメラは三巻をそっと本棚から引き抜いた。月明かりで微かに見える表紙をじいっと見つめ、持っていくか否かを迷う。


 正直言えば、読みたい。三角関係の結末もだが、服の留め紐をとった先がどうなるのかも実は気になる。


「フィー?」

「きゃあーっ!」


 急に背後で声がして、エフェメラは飛び上がって驚いた。本を手から取り落とし、背後の火の灯りに目を瞬かせる。それからその手燭の持ち主にもう一度驚いた。


「ディラン、さま?」


 ディランはエフェメラの悲鳴に二、三度瞬きをした後、自分が持っていた本を脇に抱え、エフェメラが落とした本を拾って手渡した。


「はい」

「あ、ありがとうございます」

「どうしてこんな時間にここへ?」

「えっと、どうしても、本を返したくなって」

「一人で来たのか?」


 エフェメラがこくりと頷くと、ディランが表情を曇らせる。


「感心しないな。夜中なんだから、ガルセクは連れて来ないと……」


 話しながら、ディランはエフェメラの服装に気がついた。ぎょっと目を見開き、襟ぐりの深い寝衣から慌てて視線を逸らす。


「あと、その格好で部屋を出るのも、良くないよ」

「あ……、ごめんなさい」


 ドレスに着替えず城内を歩くなど、みっともないと思われたに違いない。エフェメラは寝衣で来てしまったことを深く後悔した。


「部屋まで送るよ。本は、俺が返しておくから」


 本を渡すよう差し出された手をエフェメラは焦って拒否した。


「いえっ! これはいいです! えっと……、あ、新しく借りた本なので、返さなくて平気です!」


 本の題名を見られたら、はしたない内容のある本を読んでいることを知られてしまうかもしれない。


「そっか。じゃあ、行こう」


 エフェメラは歩き出したディランに続くほかなかった。とっさに飛び出た言葉のせいで、結局三巻を借りることになってしまった。今度こそ大人の階段を上り切ってしまう予感がする。


 図書室を出て廊下を戻りながら、エフェメラはディランに訊いた。


「ディランさまも、こんな時間に本を借りに?」

「うん。急いで確認したいことがあって」


 持っている資料書数冊を軽く持ち上げながら、ディランが返す。


「こんな時間までお仕事ですか? 睡眠は、しっかりととられたほうがいいですよ」


 ディランが苦笑する。


「それは君もね。俺は大丈夫だよ。それより、ちょうど良かった。話したいことがあったんだ」


 エフェメラは小首を傾げた。ディランがエフェメラに話など珍しい。


「明後日から、ひと月ほど城を空けることになった。俺がいない間の行動には十分気をつけて。この前みたいに、無断で城下に下りるなんてことは、くれぐれも――」


 後半の言葉は聞いていなかった。南棟への渡り廊下を晩春の夜風が通り抜け、エフェメラの髪をふわりと掬い上げる。庭の植物がそよそよと揺れ、桃花色の髪がゆっくりと肩に戻るまでの間、エフェメラは口を半開きにしたままディランを見つめていた。


「…………え?」

「だから、俺がいない間は城から出ないで、部屋を出る時も必ずガルセクを連れて歩いて欲しい。困ったことがあったらすぐにベルテに相談して、そして彼女の指示に――」

「ひと月?」

「え? ああ……うん。ベルテに訊いてわからないことは、ないと思う。彼女はこの城で三番目に長く務めてる使用人だから。ほかにも何か入り用がある時はベルテに――」

「ひと月もですか!?」


 エフェメラが気にしている点に、ディランがようやく気づく。


「ご、ごめん……。ユーニウス中には、帰って来られると思うから」

「ひと月も……ひと月も、いらっしゃらない……」


 エフェメラはぶつぶつと呟きながら歩き出した。ディランが気まずげな表情で追って来る。


「えっと……、もしどうしても城外へ出かけたくなったら、そうだな……。マリアンヌやプリシーに頼むといい。彼女たちと一緒なら、君も安全――」

「ひと月もの間、どこかの夜会にでも出席されるのですか? 貴族の様々なご令嬢が……たとえば、メ、メルクリウス公爵家の、カーミラさんが出席されるような」

「どうしてカーミラ嬢がここで出てくるんだ?」

「ディランさま、昨日はカーミラさんと非常に仲睦まじくお話をしておりました」

「そう、だったっけ……?」


 ディランは思い出すが、ごく普通に会話をしていたことしか記憶にない。


「今回は夜会に出るわけじゃないよ。国内を少し回って来るんだ。その、王子の身分を隠して」

「お仕事、ということですか」

「ああ」

「剣を使った?」

「まあ……使う時も、あるかもしれない」

「ではもしや」


 エフェメラは南棟の二階へ続く階段を駆け上がった。踊り場に立つディランを見下ろす。


「ではもしや、そのお仕事とは、昨夜お会いしていた黒髪の女性と一緒に行うものですか?」

「え?」


 悩み抜いた末、エフェメラは黒髪の少女の正体についてある考えに思い至っていた。服装と長槍から考えて、貴族の令嬢ではまずないだろう。よってほかに考えられるとすれば、アーテルやアルブスのような戦闘に強いディランの仲間だ。


「わたし、昨日の夜に見てしまったんです。ディランさまのお部屋の窓から、とても美人の女性が出て来るのを。……あの方とディランさまは、一体どういった間柄なのですか?」


 はっきりとさせたい。仕事仲間から発展した愛妾なんてことは、あってはならない。



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