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2-15

 サウエルは無事本棚の上段へ辿り着くと、一冊の本を抜き取った。そして再びたっぷりと時間をかけ、階段を下りてくる。あまりの遅さに、ローザとヴィオーラは長卓に戻り借りた本を読み始めていた。


 やっとのことで床へ戻って来たサウエルは、息を切らしながら額の汗を拭った。


「もう少し……、梯子の上り幅を小さくするよう……、使用人に、命じておかないと……」


 エフェメラの気遣わしげな視線に気づき、サウエルは恥ずかしそうに乱れた髪を整える。


「こ、この本の中に証拠がある。ついて来い」


 サウエルは飽きているローザとヴィオーラの前に音を立てて本を置いた。二人がにわかに興味を取り戻す。製作されてから数百年は経っていそうな古い上製本だ。表紙の布が劣化し、角も欠けてしまっている。表紙には『ハキーカ史書』と記されていた。


 〈ハキーカ〉というのは、元はこの大陸を創ったとされる神の名前だ。そこから大陸名や暦名、そして宗教名にまでも用いられるようになった。


 かび臭い本をめくる。文字が掠れて読めない単語も多い。


「証拠は、このページにある」


 サウエルが開いた(ページ)には見覚えのある短文が載っていた。


『銀の羽は誰よりも高く 水の中では幻だけ

 力で抑えるは容易(たやす)く 知恵を望むは難しい

 未来へ連れ去る時の旅人

 瞳が合えば命はない』


「これは……、ハキーカ大陸の、唄?」

「そうだ。この唄の第一節に、『銀の羽は誰よりも高く』ってあるだろ。これは妖精のことを指している。これが、ぼくがお前たちを羽人間と呼ぶ証拠だ」


 ヴィオーラが盛大に顔をしかめた。


「何かと思えば、こんなことだけでヴィオーラたちを羽人間って呼んでるわけ? しょうこ不十分ね」


 ローザが「そーだそーだ!」と賛同する。エフェメラもやんわりとサウエルの主張を否定した。


「銀の羽、というのが妖精を指している可能性は高いけれど、それがスプリアと関係しているかは、わからないんじゃないかしら」


 するとサウエルはその言葉を待っていたように口の端を吊り上げる。


「唄の二番の詞を見てみればいい」

「二番?」


 ハキーカ大陸の唄に二番があるなど初耳だった。


「広く伝わっているのは一番だけだから、知らなくても無理はない。実際、ぼくもこの本を見るまでは知らなかった」


 サウエルが頁をめくると、一番と同じ六節の詞があった。紙の劣化が特にひどく、半分程の文字しか読み取れない。エフェメラは辛うじてわかる単語だけを読み上げた。


「スプリア……森……、ウィンダル……海……、

 オウタ……荒れ野……、……空……望む、

 ……ハキーカ、

 ……儚い夢を」


 サウエルが頁を見ながら話し出す。


「一番と二番は、節ごとに対になっているとぼくは見ている。一番第二節『水の中では幻だけ』と、二番第二節『ウィンダル』と『海』、これらは海に面する南西のウィンダル公国と、公国にいる〈水中歌人(サラーブ)〉のことを指している」

「サラーブ?」

「水の中で歌うことができる人間のことだ。聞いたことないのか? その歌声を聞くと、楽しい思い出が頭に浮かび、気分が最高に良くなると言われている」

「水の中で歌うなんて、できるはずないわ」


 エフェメラも飛べはするが、やはり信じられない話にしか聞こえない。


「リチャード兄さんが公国に行った時、実際に体験したって言ってた。だから本当だ。――唄の二番第三節『オウタ』と『荒野』は、国土の約半分が荒れ野の国、オウタット帝国のことで間違いない。一番第三節の『力で抑えるは容易く』が、オウタット人の労働奴隷と関連してるからな。オウタット人の中で朱い瞳を持つ者は、片手で馬一頭を軽々持ち上げることができるほどの怪力がある。これも知らないか?」


 エフェメラもローザもヴィオーラも、唖然としてサウエルの話を聞いていた。水中で歌える人間や、馬を片手で持ち上げられる人間がいるなど、旅人も来ないスプリア王国では聞いたこともない。


「これでもう、ぼくがお前たちを羽人間と言う理由がわかっただろ? 一番第一節『銀の羽は誰よりも高く』が示す国は、二番第一節の『スプリア』と『森』より、スプリア王国以外にない。どうだ! ぼくが間違ってないって認めるだろ?」


 サウエルは得意気に腕を組む。


「まあ、いまのお前たちには羽がないから、昔の話なんだろうけど……。でも、スプリア人は、昔は確かに羽人間だったんだ!」


 エフェメラが反応に窮していると、ヴィオーラとローザが長卓の上に身を乗り出し抗議をした。


「こんなの、こじつけよ!」

「そーだそーだ!」

「論理的解釈をせず感情で否定するなんて、マリアンヌ姉さんくらい脳みそが軽いな。しょせん小国の侍女か」

「なっ!」


 二人と一人がいがみ合い始めた。身分や立場を考えると、ローザとヴィオーラを注意するべきなのだが、エフェメラには五歳と十歳が可愛いいがみ合いをしているようにしか見えない。どうにも手を出すのがもったいない。


「……わたしは信じるわ、サウエル王子」

「……え?」


 サウエルが動きを止め、間の抜けた顔でエフェメラを振り向いた。被っていた第四王子の仮面が外れ、十歳の少年の純粋な表情が露わになっている。


「な、なんで……?」

「あなたの考えに、間違いを感じられないもの」


 ずっと自信満々だったサウエルだが、いざ賛同者が出ると動揺した。焦りながら、ずれてもいない眼鏡をかけ直し、徐々に頬を紅潮させていく。


「そっ、そうか。ぼくの推論に、間違いが見当たらないか!」


 口元に浮かび上がる笑みを隠し切れない様子だ。


「ま、まあ当然だな。八歳の時から考えていたぼくの仮説だったんだから! 認められたからって別にうれしくはないぞ。当然だからな」


 エフェメラはローザとヴィオーラの不安げな視線に頷きを返した。話はまだ終わっていない。膝を曲げ、有頂天のサウエルと目線を合わせる。


「サウエル王子」

「な、なんだ?」

「わたしは、あなたが間違っていないとは思うわ。けれど、もし羽のあった人たちが、その事実を隠したがっているとしたら、この本の内容とサウエル王子の考えが知れ渡るのは、とても困ると思うの。だから、このお話はここだけにしたほうがいいんじゃないかしら」


 サウエルはエフェメラの困った笑みに何かを感じてくれたらしかった。やや間を置いた後、返す。


「確かに、そうだな……。もしお前たちが先祖のことを隠したがっているなら、ぼくが言いふらすべきではないな」


 サウエルはハキーカ史書を閉じた。


「心配しなくても大丈夫だ。もうこの話をするのはやめるよ。……誰も信じてくれないし、マリアンヌ姉さんにもばかにされるしで、ちょっと意地になってただけなんだ」


 サウエルは本を棚に戻すために再び梯子を登り始めた。エフェメラは、ローザとヴィオーラと目を合わせ、にっこりとほほえんだ。


 サウエルとともにみなで図書室を出た。彼の居住区である東棟と、南棟へ分かれる廊下の分岐で立ち止まる。サウエルが居丈高な態度を和らげて言った。


「エ、エフェメラは、美人なだけじゃなくて、その……、優しいんだな」

「まあ、うれしいわ。でも、わたしもまだまだ修行中なの。目標はディランさまなのだけど」

「ディラン兄さんが目標? そんなの、やめたほうがいい」

「どうして?」

「ディラン兄さんは、優しいんじゃない。臆病で情けないだけだ。ぼくがいくらばかにしても、ぜんぜん怒らないし、抵抗もしない。公務をさぼって遊び歩いてばかりで、サンドル王家の王子失格だ」

「……サウエルは、ディランさまが嫌いなの?」


 サウエルは反射的に嫌いと言いそうになり、だがエフェメラの柔らかな視線に気勢を削がれる。母グレンダが選んだ、洒落ているが歩きにくい靴の先を見る。


「……嫌いじゃ、ない。ディラン兄さんに意地悪されたことはないし、冷たくされたこともない。むしろぼくは……、ディラン兄さんがだらしないおかげで、得してるんだ」

「得?」

「ディラン兄さんのおかげで、いろんな人に褒めてもらえるんだ。騎士団員とか、使用人たちとか。『ディラン殿下と違って、サウエル殿下は勉強をがんばっていて偉いですね』って。……ぼくは、イーニアス兄さんやリチャード兄さんと比べて劣ってる。父上がまったく期待してくれてないってことが、わかるんだ。だから、みんなが褒めてくれることが、すごくうれしい」

「……そう」

「卑怯なやつなんだ。いまが続けばいいって思ってるくせに、会えばディラン兄さんをばかにして」


 エフェメラは俯くサウエルの頭に手を添えた。


「だめなところがわかっているなら、直せばいいわ。次にディランさまに会った時、普通に話してみたらどうかしら」

「いまさらって思われるよ」

「そんなこと、ディランさまは思わないわ。ディランさまは、優しいもの。サウエル王子だって、本当はそう思っているのでしょう?」


 サウエルはエフェメラの笑顔を見つめた後、「うん」と小さく頷いた。それから廊下を歩き出す。


「じゃあな、エフェメラ。いつでもまた図書室に来るといいよ。わからないことがあったら、教えるから」


 サウエルは子どもらしい笑みを見せてから、東棟へと戻っていった。



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