2-14
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朝食を済ませ、闘技場へ鍛練に行くガルセクを見送った後、エフェメラはローザとヴィオーラと一緒にサンドリーム城中央棟にある図書室へ向かった。サンドリーム城の図書室の蔵書数は約三千万冊で、天井は三階分ほどの高さがあり、壁沿いには恐ろしく高い本棚が連なっている。本をとるために必要な梯子が何本も立て掛けてあり、上階の本棚へ行くための階段もある。
目が回りそうな程の多量の本だ。床から手の届く範囲だけでも、読み切るのに何年もかかってしまいそうだ。
「うわぁーっ。スプリア城の図書室より、ずっと大きい!」
ローザが首を真上に曲げ本棚を仰ぐ。
「選びほーだいですね、エフェメラさま」
「ええ。スプリア城も三万冊ほどあったけど、ここに比べたら少ないわ」
王都サンドルの城下町には更に大きな国立図書館があるという。蔵書数は一億五千万冊で、国力の違いに改めて驚かされる。
「ローザは、かっこいい王子さまと強い騎士さまが、一人のお姫さまを取り合う本が、よみたいです!」
「三角関係のお話?」
五歳にはまだ早い好みではないかとエフェメラが迷っていると、ヴィオーラが呆れ顔で手の平を仰向ける。
「まったく。ローザったらほんと子どもね。そんなおもしろみのない本はいやよ。もっと大人向けのお話じゃないと。――エフェメラさま。ヴィオーラは、国王とお妃とめかけの、シワクとアイゾウが入り乱れるお話がいいですわ」
「……二人とも、三角関係の恋愛話が好きなのね。魔法使いが出てくるお話とか、冒険の旅をするお話とかじゃだめなの?」
エフェメラは常駐の司書に五歳の女の子向けの本がある場所を尋ねた。案内された本棚の中から一冊ずつ選ぶよう、二人に指示する。
二人が不満げながらも本を選んでいる間、エフェメラも本棚を眺め始めた。特に何かを選ぶでもなくぼんやりと本棚の間を通り抜けていく。実のところ、エフェメラの頭の中は昨夜からずっと、ディランの部屋から出てきた黒髪の少女のことでいっぱいだった。
一体、少女はディランとどういう関係なのか。瞳の色がまったく同じだったため、初めは兄妹なのかと思ったが、髪色や顔立ちはまったく違っていたし、年齢もディランと差がないように見えた。夜中に部屋で会っていたことも大いに気になるが、互いに呼び捨てだったことも強く心を惑わせる。王子であるディランを呼び捨てることができる者など、それほど多くはないはずだ。
「エフェメラさま」
ヴィオーラが手を振りながら呼ぶため、エフェメラはヴィオーラがいる本棚に近づいた。ヴィオーラはいつの間にか大人向け小説の本棚へ移動していた。五歳向けの本棚には彼女のお眼鏡にかなう恋愛物語がなかったらしい。
「この本、エフェメラさまがお好きな本ですよね?」
ヴィオーラが本棚に収まる本を指差した。そこには『夜空の花の王子様』という本が置いてあった。
小説『夜空の花の王子様』は、身分違いの恋を描いた作品で、主人公が村娘の少女、相手が一国の王子という設定だ。惹かれ合う二人が密かに想いを重ねていく話が主軸となっており、エフェメラは数々の甘美な展開に何度うっとりしたかわからない。まず出会いから刺激的で、夜の湖で水浴びをする少女を王子が目撃してしまうことから始まる。裸を見てしまったお詫びに、少女の仕事の手伝いをする約束をし、二人は仲良くなっていくのだ。
エフェメラが『夜空の花の王子様』に夢中になった理由は、物語が正統な恋愛話であったためもあるが、王子がディランと同じ金髪碧眼だったからに違いなかった。ディランと同じ夜空色の瞳を想像し、少女のほうを自分に重ねて読んでいたのは、エフェメラだけの秘密だ。
「続きがあったのね」
本棚には夜空の花の王子様が三巻まで置いてあり、三巻の裏表紙に完結の記載があった。全三巻のようだ。エフェメラが読んだ第一巻は、二人が両想いになった切りのいいところで終わっていた。スプリア城の図書室にも一巻しか置いていなかったため、一冊で完結なのだと思っていた。
続きがあるのならば是非読みたい。エフェメラは二巻を借りることにした。
三人は借りる本を決めた後も、しばらくの間図書室を見物していた。連なる本棚の間を無意味に彷徨っているだけでも心が踊る。やがて、中央に六人掛けの長卓が並べられた閲覧区画に出た。その一番手前の卓に、見覚えのある十歳ほどの少年が座っていた。丸縁の眼鏡に、生真面目そうな雰囲気、赤褐色の髪色は、国王アイヴァンの鳶色の髪と第二妃グレンダの緋色の髪が遺伝していることを示している。少年は、第四王子サウエルだった。
サウエルは長卓の上にうず高く本を重ね、手元の一冊を黙々と読み進めている。時折眼鏡をくいっと上げては、本の要点を羊皮紙にまとめる作業を繰り返す。
挨拶をするか、それとも勉強の邪魔をせず静かに立ち去るかエフェメラが迷っていると、サウエルがエフェメラに気がついた。わずかに目を見開いた後、訝しむような顔になる。
「羽人間の末えいも、本なんて読むのか」
羽人間という単語にぎくりとしたのはエフェメラだけではない。ローザは持っていた本を床に落とし、ヴィオーラはエフェメラのドレスをぎゅっと握った。
サウエルは威厳を見せつけるためだけに三人を鼻で笑った後、もう興味はないと言わんばかりに再び本に集中する。読んでいる本は十歳の少年にはとても読み切れるとは思えない分厚さだが、しかし卓上をよく観察してみると、『優しい語学辞典』やら『犬でもわかる用語辞典』等がしっかりと置いてある。
ローザとヴィオーラが戸惑った声でエフェメラに囁いた。
「エ、エフェメラさま、あの人、ローザたちに羽があることに、気づいてるんですか?」
「ふ、ふんっ! でたらめに決まっていますわよね、あんなの」
「大丈夫よ、二人とも。わたしに任せて」
エフェメラはそっとサウエルに近づいた。
「こんにちは、サウエル王子。一人でお勉強なんて、偉いのですね」
「ふんっ。大国サンドリームの第四王子として当然のことをしているまでだ。田舎の小国のやつらには理解できないだろうけどな」
「そ、そうなのですか……」
「そうだ。だから邪魔するんじゃない。どこかへ行け、羽人間!」
やりとりに、周りの人たちがちらりとこちらを窺ってくる。だが王族の会話だ。口を挟めるはずもなく、みな素知らぬ顔で各々の作業に戻る。
「あの、サウエル王子。わたしたちを羽人間と呼ぶのは、できればやめていただけないでしょうか」
「どうしてだよ。本当のことなのに」
「いえ。それはきっと、物語にある作り話のようのもので」
「作り話なんかじゃない! ジェンニバラドに住む奴らには、遥か昔、本当に妖精の羽があったんだ。お前たちは、先祖に羽があったことを知ってて隠しているだけだ」
ローザがエフェメラの背に隠れながら顔を出す。
「ス、スプリアの人たちに、羽なんてありませんーっ!」
サウエルが瞳を鋭くした。
「侍女の分際で、ぼくに気安く意見するんじゃない! 打ち首にするぞ!」
図書室にいた数名が、騒ぎに巻き込まれないよう扉から出て行く。あまり歳の差がない男の子からの敵意溢れる態度に、ローザは衝撃を受け固まっている。
「そうだ。いま、証拠の書物を持ってきてやるよ」
「えっ? でも、本はなくなったと、以前の晩餐会で……」
「確かに、初めに羽人間についての記載を見つけたスプリア王国史は、なくなってた。でも証拠になりそうな本をもう一冊見つけたんだ。王国史には劣るけど、お前たちにはその本で十分だ」
サウエルはすっくと立ち上がり、勝手知ったる様子でとある本棚へ向かう。目的の本は上段にあるらしく、サウエルは長い掛け梯子を登り始めた。
運動があまり得意ではないのか、段を上る足取りが危うい。エフェメラはいつサウエルが落ちても受け止められるよう、梯子の下で待機した。威勢は良いが、サウエルの身長はエフェメラより頭二つは小さい。まだ同じ年頃の子どもたちと外で遊んでいたい歳に思える。
(イーニアス王太子やリチャード王子、それにディランさまも、勉強をたくさんするよう言われながら育ったのかしら)
エフェメラの兄たちは、勉強はそこそこに、普段は川釣りや狩猟を楽しんだり、友人や恋人と遊んだりと、自由に過ごしていた。大国と小国、一体どちらに生まれるのが幸せなのだろうとエフェメラは思った。