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2-12 図書室と本と唄

 サンドリーム城の南棟と東棟の間には、四階建ての使用人宿舎がある。宿舎の周りは木で囲まれていて、城壁の中に涼やかな林を作り上げていた。この林を南へ進んで行くと、第三王子が妃として迎えるスプリア王女のために用意させたと噂の、南棟の美しい大庭園が見えてくる。


 ガルセクの近頃の朝の習慣は、宿舎と庭園の間の林で剣を振ることだった。昼間も王国騎士団に混ざり剣の鍛練はしているが、少しでも多く剣の上達に励まずにはいられない。ガルセクをせり立てる主な原因は、先月城下町で賊に襲われた時、エフェメラを守れず敗北に喫したことだった。


 朝霧が立つ林の中で剣を振っていると、故郷スプリア王国でのことが思い起こされた。ガルセクがスプリア城の警護にあたるようになりまだ日が浅い頃、剣の上達のため、朝に剣を握り汗を流すことを日課としていた。鍛練の場所は決まって城の横手――末姫の第六王女が大事に世話をしている庭が見える場所だった。


 当時のエフェメラはまだ十歳で、おとなしく引っ込み思案だと有名だった。だが非常に愛らしい容姿をしていて、成長すれば上の五人の姉姫たちよりも美しく育つだろうと言われていた。


 エフェメラは毎朝一人庭に現れ、花に水をまいていた。感心に思いながら、ガルセクは懸命に花の世話をするエフェメラをよく盗み見ていた。エフェメラはガルセクに見られていることに気がつくと、いつも恥ずかしそうに顔を赤くし隠れてしまった。たまに挨拶をしてみても、返事もなく逃げられるのが常だった。


 エフェメラの庭はいつだって花が元気に咲き誇り、育てている者の優しさがよく表されていた。幸せそうに花を眺める幼い姫を見れば、誰しも一時足を止め、穏やかや気持ちになったものだ。


 ガルセクが朝の鍛練を始めてから一年ほどが経過し、毎朝エフェメラを見ることが密かな楽しみとなっていた頃だった。初めて話しかけてくれた時のことは、いまでもはっきりと覚えている。


『どうして毎日剣の練習をしているの?』


 愛らしい容姿に似合った、高く甘い声だった。大きな瞳でガルセクを見上げながら、三歳年下のエフェメラは不思議そうに小首を傾げる。桃花色の髪も銀色の瞳も姉姫たちと同じものだったが、ガルセクには第六王女のそれが最も魅力的に見えていた。


『もしもこの国に危険が訪れた時に、あなたを守れる力がなくてはいけませんから』


 考えてみれば、この時にはすでにガルセクはエフェメラに恋をしていたのだろう。まったく予想外の言葉だったのか、エフェメラはガルセクを見上げたまま目を丸くした。芝居がかった言葉だったかもしれないとガルセクが後悔し始めた時、エフェメラはゆっくりと表情を変えた。ガルセクが初めて正面から見たエフェメラの笑顔だった。


 もちろんこの恋が叶わないことは知っていた。エフェメラが十五歳になったらサンドリーム王国へ嫁入りするという話は誰もが知ることだ。それでもガルセクは、日々優しく美しく成長していくエフェメラに惹かれる気持ちを抑えることはできなかった。


「朝早くから精が出るな」


 草を踏む足音とともに若い男の声がした。濃い金髪と青藍の瞳の青年が木々の間から現れる。ガルセクは驚き剣を振る手を止める。


「……殿下」

「昼も、騎士団の鍛練に加わっているらしいな。傷はもういいのか?」


 現れたのはディランだった。ディランは澄んだ朝の空気を気持ち良さげに吸い込むと、眠気を覚ますように伸びをする。腰には剣をさげている。鍛練でもするのか、手足を動かし身体をほぐし始める。


「なあ。一人で剣を振るくらいなら、俺と手合わせをしないか」


 思いも寄らない提案だった。


「し、しかし」


 自分の腕ではディランの鍛錬相手にならないのではないかとガルセクは思った。複数の賊たちをあっという間に倒したディランの腕は、ガルセクのものとは格段に違う。


 だがガルセクの懸念に構わずディランは銀色の剣の柄を握る。闘技場で飾り剣だと言っていた黒い鞘からは、当前のように立派な剣が表れる。光の反射で剣身が青色にも見える珍しい剣だ。


「……どうしてあの時、あえて負けたのですか?」


 ガルセクは闘技場での手合わせがずっと気になっていた。あの時のディランは情けなく逃げ惑い嘘を演じていた。


「あなたの強さなら、みなの前で恥をさらすことなく、私を下すこともできたでしょう。もし負けるにしても、もっと体裁を守る負け方もできたはずなのに」


 偽りの勝利がわだかまりとなり、つい険を隠し切れない。騎士団の面々からはいまでもたまにディランへの勝利を褒められる。無論素直に喜べない。


「理由か……」


 ディランは何やら考えるように木を仰いだ。朝陽を透かす新緑が美しい。やがてディランは意地悪な問題を出す先生のような目をガルセクに向ける。


「もし俺から一本とれたら理由を教えるよ」


 ガルセクが言葉を返す前にディランは土を蹴った。いきなり距離を詰められ、剣がガルセクの胸元に伸びてくる。ガルセクは反射的に胸の前で剣を構えた。


 しかし聞こえると予想した剣がぶつかり合う音はなかった。代わりに青く反射する剣先がガルセクの首元にあった。いつの間にかディランはガルセクの横に回っている。冷や汗がガルセクの背中を伝う。


「まあ、俺から一本もとる自信がないのなら、無理にとは言わないけど」


 安い挑発だった。この程度で怒るわけはない。しかしガルセクは挑発に乗ることにした。一人で剣を振るよりはずっと良い鍛練になる。


 ガルセクは剣を素早く横に払った。ディランはそれを避け後ろへと跳ぶ。手合わせに了承したと見て、ディランが集中するように剣を構え直す。


 それからしばらくの間、攻撃はガルセク一方だった。右腕、胴、左足と、次々斬撃を放っていく。ディランは軽い身のこなしで剣をかわしつつ、時折自身の剣でガルセクの強撃を軽々と受け流す。陽動の動きを交えてみても遅れをとることなくかわされる。ディランの動作には一切の無駄がなく、まるで指先までも動きを計算しているようだ。


「基本はできているし、筋も良い。だが、一振りに力が入り過ぎてる」


 手応えのない剣にじれったさを感じながら、ガルセクはディランの言葉を訝しむ。力がよく入っていると他人から褒められることが多いからだ。


「これじゃあ構え直すのが遅くなるだけだ。もっと調整したほうがいい。剣にはそれ程力は必要ない。守る剣を目指すなら、なおさら」


 剣が重なる音が何度も林の中に響き渡る。話すことに気をとられたのか、ディランの防御に一瞬の隙が見えた。ガルセクは迷わず渾身の一撃を放った。剣は勢いづいてディランの肩口へ向かう。


 だがディランはガルセクの動きを予想していたようで、誘われたのだと気づくが剣の制止は間に合わない。懐に入り込まれ、ガルセクは手元から剣を弾かれた。剣は弧を描き草の上へ落ちた。


「一本、だな」


 ディランが子どものように無邪気に口の端を上げた。息を整えながら、ガルセクはその笑顔にやや面食らった。冷静で表情に乏しい人物だと感じていたが、こんな顔もするのかと思った。


「攻守交代だ。次は俺から行くぞ」



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