2-10
「あっ! 巻きひげが!」
声を上げたエフェメラに、「……ひげ?」とディランの目が点になる。
エフェメラは今日の茶会のために出した新しい靴のまま花壇に踏み入った。土の上ではふわりと花びらを膨らませる薄紅色の花が、可憐に花開いている。そしてその花びらに、細い蔓が絡みついていた。この細い蔓は巻きひげと呼ばれ、放っておくと丸く膨らむ花を潰してしまうものだった。
花びらを傷つけないよう気をつけながら、エフェメラは巻きひげをそっと外した。外した巻きひげは近くに立ててある支柱にくるりと巻きつける。支柱が倒れかかっていたのでついでに深く差し直した。開放された花が気持ち良さそうに風にそよぐのを見て、エフェメラは満足して頷いた。
「これでもう大丈夫ね」
「その蔓は花のために除けないといけないんだな」
ディランの声がすぐ隣から聞こえ、エフェメラは飛び上がる勢いで横を向いた。ディランまでが花壇に入り、エフェメラと肩が触れ合いそうなほどの近さで花を見ている。靴が土で汚れてしまうと教えようとして、同時にエフェメラは自身の靴とドレスに泥がついていることに気がついた。急に恥ずかしくなる。
「ご、ごめんなさい」
エフェメラが細い声で謝ると、ディランは不思議そうにした。
「何が?」
「わ、わたし、ディランさまの妻なのに、みっともないことを……」
カーミラやロレッタからすると、花の世話は土いじりなのだ。昼にプリシーが茶会の迎えに来てくれた時、花の世話をするエフェメラを見て驚いていたのも似たような理由からだろう。
ディランは考えるように宙を見やった後、花群に目を移した。やがて何かに気がつき花壇の奥へと更に入っていく。そうして一輪の花に手を伸ばした。花びらに巻きひげがついている花だった。ディランはエフェメラを真似て、巻きひげを丁寧に外していった。
「フィーには、いまの俺がみっともなく見える?」
エフェメラは一瞬呆気にとられた後、慌てて頭を振った。ディランはかすかに表情を緩めた。
「放っておくとだめなんだろ? 俺はそのことに気がつかなかったし、どうすればいいかも知らなかった。でも君は気づいて対応もした。庭師だって放っておいたことをしたんだ」
庭師の仕事は王族や客人の目にかなう庭を作ることだ。一輪の花がうまく咲いていなくとも全体が美しく見えるならばそれでいい。
「きっとこの城には、君以外にこの花を助ける人はいなかった。君はそれぞれの命を大切にして、丁寧に育てているだけだ。卑屈に感じることじゃない。みっともないなんて、思う必要はないと思う」
薄青の空の下、エフェメラはディランの優しい夜空色の瞳から目が離せなかった。嫌なことも気にしていたことも、ディランの言葉であっという間にどうでもよくなってしまう。
相変わらず単純だなと自分でも思う。エフェメラが笑みをこぼすと、ディランも安堵したように頬を緩めた。
「……あっ! そういえば、バラの花でしたね」
ディランの用事を思い出し、エフェメラは薔薇の花壇までディランを案内しようとした。するとディランに呼び止められた。
「いや、花は必要ない」
「え?」
「その……、来客があるというのは、嘘なんだ」
ディランが罰の悪そうな顔で謝る。
「ごめん」
「……どうして、嘘を?」
「それは……」
ディランが言いづらそうにしながら続ける。
「テラスで、君の元気がなかったように見えたから。……いまにも、泣き出しそうな顔をしてた。だからつい、連れて来たんだ。君の意思を確認しなかったことについては、悪かったと思ってる」
「…………いえ。お気になさらないで、ください……」
どうにか答えたが、ディランはまだ気にしている顔だ。
令嬢たちの相手をしてばかりのように思えたが、ディランはエフェメラがいることにも初めから気づき、機微をしっかりと捉えてくれていたらしい。戻る途中ディランがエフェメラを気にしたり、柄にもなく長話をしたりしたのも、ディランなりに元気のないエフェメラを気にしてのことだったようだ。その証拠に、話の内容は子どもの頃から散々好きだと伝えてある花に関するものだ。
不意打ちだ。目頭が熱くなる。気を落としていることに気づいてくれたことも嬉しく、また、何があったのか安易に聞かないでくれる。スプリア王国や自分のことを悪く言われたなど、令嬢たちの立場を悪くする可能性もあるためエフェメラには気軽に言うことができない。
やはり、ディランは優しい。直接的な励ましの言葉がないため分かりづらいが、相手のことをよく考えてくれている。エフェメラは自分もディランのように優しくなりたいと思った。
「あっ! エフェメラさまだー!」
幼い少女の声が響いた。駆けてくるローザと、その後ろを追うヴィオーラの姿が見えた。二人の後ろには更に、肥料の袋を担いだガルセクとアーテル、その横を歩くアルブスがいる。午前中に山のように持ってきた肥料でも大庭園には足りなかったらしく、用具小屋からまたとって来たらしい。
「じゃあ、また」
ディランは背を向け、城内へと歩き出す。アーテルも「後は頼んだ」と肥料袋をガルセクに投げ渡し、アルブスとともにディランを追いかけて行ってしまった。三人は何やら話をしながら南棟へ消える。エフェメラが三人の後ろ姿を見ていると、ローザとヴィオーラが腰に抱きついてきた。
「お茶会終わったんですか? エフェメラさま」
「楽しい時間は過ごせまして?」
エフェメラは笑顔で頷いた。
「ええ。ご令嬢方はみんなおしゃれで、お話も上手で。用意されたお菓子は宝石みたいにきらきらしていて、とってもとっても楽しかったわ」
ローザとヴィオーラは羨む声を上げた。