2-09
繋がれた手が熱い。ディランらしからぬ行動に戸惑いつつも、置かれた状況にエフェメラは夢見心地だった。ディランと手をつないで歩くなど、子どもの時以来だ。テラスが見えなくなり来た時に上った長い階段まで戻る。階段を下りようとした時ディランはエフェメラの手を離した。
「ごめん」
急に手をつなぎ連れ去ったことを謝っているようだった。
「いえっ、大丈夫です!」
まだ手もつないでいたいくらいだ。しかしそれで頭が茹で上がり倒れてしまうのも困るので、エフェメラは階段を下り始めたディランに素直に続いた。
ディランは急にどうしたのだろう。余程急いで薔薇の花が必要なのか。北棟の高い吹き抜け空間に階段を下りる二人の足音だけが響く。せっかくディランと二人きりになれたのだから何か会話をしようと思い、階段を下り切ったところでエフェメラはディランの隣に並んだ。
「こ、この階段、とても長いですよね」
ディランは返事をする代わりに立ち止まり、エフェメラの顔をじっと見つめた。エフェメラが首を傾げると目線を外し階段を見上げる。
「ああ……うん」
エフェメラはしまったと思った。話したいことが山程あるにも関わらずくだらないことを言ってしまった。もっと別の話題にしようと緊張する頭を必死に動かす。
「みっ、三日ほどお城にいらっしゃらなかったようですが、今回はどちらへ行かれたのですか?」
「デクシアと、その近隣に行ってきた」
「デクシア?」
「王都の西にある町だよ。馬で半日ほどで着く」
「へえー。そうなのですかぁ」
「……」
「……」
エフェメラはまたしても後悔した。行き先に関する質問はディランが帰って来る度にしているが、地名を教えてもらってもいつもエフェメラはわからない。話を広げることができなかった。サンドリーム王国の地理についてはエフェメラなりに勉強しているのだが、市町村合わせて一千近くあるためどうしても覚えられない。
顎に手を当て次の話題に悩む。ディランに時折窺うように盗み見られていることに気づかないまま、エフェメラたちは北棟を抜け、中央棟へ続く柱廊に差しかかった。象牙色の柱の間から覗く空は快晴で、日の入りが悪い北棟に慣れた目にはやけに眩しく見える。陽射しもぽかぽかと温かい。
「今日も、いい天気ですね」
話題に悩んでいたことも忘れ、エフェメラは感じたままのことをのんびりと口にした。ディランもエフェメラを真似て空を見上げる。
「わたし、お陽さまがいっぱい見られる晴れの日が大好きなんです。お陽さまのご機嫌次第で青い空はいつも微妙に色を変えて、それがとってもきれいで」
目を細め、息を深く吸い込む。スプリア王国で日向ぼっこをした記憶が頭に浮かぶ。
「お陽さまはいつだって温かくて優しくて、曇り空の合間には幻想的な光を地上に降らせて、雨の後は虹の橋を架けてくれます。そういうのを見ていると落ち込んでいる時も心が晴れて……。だからわたし、晴れの日が大好き――」
横を向き、ディランと目が合ったところでエフェメラははっとした。昔のように、またディランを差し置きどうでもいい自分の話をしてしまった。これではいつまでたってもディランのことがわからないままだ。
「ディ、ディランさまはどのお天気がお好きですかっ!?」
「え?」
ディランは返答に迷った。天気による利点欠点はあるが、ディランは好き嫌いについては深く考えたことがなかった。
「し、強いて言うなら、雨、かな」
「雨ですか! ディランさまって、雨がお好きだったんですね」
エフェメラは晴れと同じくらい雨も好きになった気がした。
「雨はいいですよね。とてもいいです。お花に不可欠な水を降らせてくれます。今日のような晴れの日は、代わりに人が水をまいてあげないといけませんから。わたしも午前はお花に水をまいたんです。ついでに庭のお花のお手入れもして……」
エフェメラは言葉を途切れさせた。茶会でのカーミラの声が頭の中で再現される。
『田舎から来たお姫さまはやはり違うようね。まさか土いじりがお好きだなんて』
お興奮していた頭が落ち着いた。俯いたエフェメラの顔をディランが覗き込むように見る。
「フィー?」
エフェメラは笑顔を作った。
「ご、ごめんなさい。わたし、また自分の話ばっかり……。バラの花を……急がないといけないのでしたね」
エフェメラは歩き出した。ディランはそれ以上問うことなくエフェメラに続いた。
楽しい気分は消え去り、茶会でのことがエフェメラの頭の中をぐるぐると回った。楽しみにしていたのに、うまくできなかった。せっかくプリシーが誘ってくれたのに、友人を作るいい機会だったのに、何がきっかけで彼女たちの気分を損ねてしまったのかすらわからない。
何かおかしなことを言ってしまったのか。話した言葉をすべて思い起こす。どの言葉がいけなかったのか。それとも礼儀作法が間違っていたのか。今夜寝る前にでもしっかりと省みなければならない。
だがもし、エフェメラがスプリア王国出身だという理由だけで嫌われていたとしたら、どうすればいいだろう。こればかりはエフェメラが頑張っても変わるものではない。
「……大陸にある五つの国には、それぞれ国花があるんだ」
ディランが急に沈黙を破った。エフェメラは反射的に顔を上げた。
「スプリア王国にはタンポポ、サマレ共和国にはヒマワリ、オウタット帝国にはコスモス、そして、ウィンダル公国にはスイセン。それぞれ、春、夏、秋、冬に咲く花なわけだけど、不思議なことに、自国の国花はその国土では一年中咲くんだ。例えば、スプリアでは一年中タンポポの花が咲き、サマレでは一年中ヒマワリの花が咲く」
ディランの言葉通り、確かにスプリア王国では四季問わず蒲公英の花が咲く。そのためエフェメラは子どもの頃は蒲公英が一年中咲く花なのだと思っていた。そのためクイーンティーリスにディランに会いにサンドリーム王国訪れた時、城の庭に蒲公英が咲いていないことに驚いた。
「サンドリームの国花は、君も知ってると思うけど、ラムルフルムの花だ。サンドリーム内では一年中どこでだってラムルフルムの花を見ることができる。ただ、ラムルフルムの花だけは少し特別で、サンドリームの外で育てようとしてもすぐに枯れてしまう。他国の国花は国外でも季節になれば自然に咲くけど、ラムルフルムの花だけは咲かない。理由は未だ解明されていない。……これは、俺のただの仮説なんだけど、ラムルフルムの花は、実は自然にできた季節の花じゃないんだ。だからこそ、他国で咲くことができないんじゃないかって思うんだ」
南棟の区域に入ってからも、ディランは話し続ける。
「これら五つの花の生息について、もう何十年も調査がされてる。でも未だに自然を逸脱し咲く理由が解明されない。最近読んだ論文では、大陸には未知の力が根付いていて、その力が引き起こしているんじゃないかって説があった。もっとも、論文を発表した教授は散々に批判されてたけど。ばかげた妄想だって。でも――」
ディランが立ち止まったため、エフェメラも足を止めた。南棟の庭園の前だった。色彩に富んだ花たちがそよ風でゆっくりと揺れている。
「でも俺も、五つの花の開花には、大陸の未知の力が働いているんじゃないかって思う。説明がつかない力というものも、あるんじゃないかって思うんだ」
ディランがようやく口を閉じた。エフェメラは呆けた顔でディランを見上げていた。話を終えたディランは居心地が悪そうに横を見る。彼がこれ程の長話をするのは初めてのことだった。一体どうしてしまったのか。ためになる話だとは思うが、いきなり国花とその不思議に関する長話を始めた理由がわからない。エフェメラは瞬きを返した。その時、ディランの後方の薄紅色の花が視界に入る。




