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1.続きの始まり

〈1ページ〉


 ふと よこに目をやると 女の子がないていました。


「どうしたの?」

 男の子はいいました。


「おにんぎょうさんをなくしちゃったの」

 女の子はいいました。

 二○○四年。四月三十日。- Friday -


 部屋に差し込む朝日と小鳥の鳴き声に目を覚ました。

 簡単な朝食を済ませ外へ出ると、眼前に広がるのは樹木が規則正しく植えられた並木道。いつものように寮と校舎を繋ぐこの道を歩く。



 教室に着いたボクを迎えるのは、授業に話し声、日の光、風に揺れるカーテン、繰り返される学校生活。

 代わり映えしない日常に満足もしなければ不満もなく、ただぼんやりと黒板に目を向けていた。

 前の席の男子生徒が振り返り小声でささやいた。

「なぁイツキ、あの先生っておっぱいでかいよな」

「あ、あぁ……」

 そう言うコイツは竹村佑太たけむらゆうた。相手にするのは少し疲れるけど、話かけてくれるおかげで孤立せずに済んでいる。

 ボクと同じ一年で、この高校に入学してから知り合った。お調子者で女性が大好き。

 とはいえ、秀才とお嬢様が多く集まるこの聖カンパニュラ学院高等学校に気合と煩悩だけで入学したコイツの執念はすごいと思った。


 この高校は一風変わっている。まずはその外観。

 ボクらが授業を受ける校舎とは別に今は使われていない木造二階建ての旧校舎が現存しており、使われていないにも拘らず取り壊されるという話は聞かない。

 入試に関しても少々特異だった。

 一般枠と孤児枠との二つがあり、両親、親戚等の保護者のいない者を対象とした孤児枠の倍率は当然低く入学が容易になる。だけどこの仕組みが導入されたのは今年からだそうだ。



 昼休み。

 竹村がニヤニヤしながら言った。

「わりぃイツキ、俺今日は他のクラスの子と飯食うわ」

「またナンパか? 今度は上手くいくといいな」

 適当にあしらう。

「おう! 連休を謳歌するためにもこのチャンスは逃さねえ!」

 竹村はそう言うと胸を張って遠征に旅立った。


 たまには一人の食事も悪くない。そう思ってはいたが、話し相手がいないだけで案外早く完食してしまった。

 窓側で一番後ろの座席、時間を余したボクは机に顔をうずめた。


      ***


 窓から吹き込む春の穏やかな風にうとうとと眠りに落ちていた。

 ふと目を覚ますと私語と雑音の入り混じっていた教室は静まり返り誰もいなかった。


 ──しまった、次は体育だ。早く移動しないと。


 ボクは着替えを手に取り教室を出た。

 更衣室に向かう途中、生徒のいない静かな廊下に優しい音色がかすかに響く。とても美しい旋律だった。


 ──ピアノ? もうすぐ授業が始まるっていうのに誰だろう。


 音のする方へ辿っていくと音楽室だった。

 開いたままのドアから中を覗き込むと一人の女生徒がピアノを弾いていた。海外の人だろうか、綺麗な銀髪に虚ろな瞳。漂う不思議なオーラはその容姿によるものだけじゃないような気がした。

 一人でいる状況からそれが授業中でないことを見て取れる。


「そろそろ次の授業始まるけどいいのか?」

 神秘的な雰囲気に惹かれ気がつけば声をかけていた。ここまで近づきボクはようやく気づいた。

 ──あれ? この子、もしかして同じクラスの。

 演奏をとめた少女は視線を合わさないまま口を開いた。

「……あなたは?」

「ああ、いきなりごめん。ボクは来栖くるす いつきって言うんだ。たぶん、クラスも同じだと思う」

「……来栖、さん。いい音を、お持ちですね」

 ──音?

 よくわからないけど苗字を気に入られたようだった。反応を見る限り、少女もボクをクラスメイトだと知らなかったようだ。

「確かに珍しい方かもしれない。でも君の演奏だっていい音だと思うよ」

「……ありがとうございます。授業の件ですが、体育は免除されているのです。私は目が、見えないので」

 ゆっくりとした静かな声はピアノの音色にも負けず劣らず、その言葉の残酷さに気づいたのは少し後のことだった。

「え?」

「……このピアノの色も、あなたの顔も、私にはわからないのです」

 知ってしまった瞬間、神秘的に見えていた少女がとても儚く見えた。

「そう、か。何も知らずに悪かった」

「……お気になさらず。これは、私が望んだことなのですから」


 昼休みの終わりを告げる鐘の音がボクらの会話を断ち切った。

 普段なら余韻が残るほどに荘厳そうごんな鐘の音も今は心臓を軽く締め付け僕を急かした。と僕は思った。

「しまった、次は体育でグラウンドだ。それじゃ、えーと……」

 ボクが口ごもっていると少女は聞きなれない単語を口にした。

「……テレーゼ、フォン、ザクセン榊原さかきばら

「ん?」

 ──テレフォン、ザ、センサーキバラ?? なんの呪文だ。

「……テレーゼ、フォン、ザクセン榊原。私の、名前」

 ──やっぱり外国の方なんだろうか、ずいぶん長い名前だ。

 名前を言えずにいたボクの心中を察してくれた彼女は依然として目線をやや下方に向けたままそう呟いた。

「それじゃ榊原さん、また」


 ボクは次の授業へ向かった。

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