一年で一番長い日 キリ番リクエスト はんぺんの冒険 6
「おじちゃーん、つぎはぞうさんのすべり台!」
夏樹がきゃあきゃあとはしゃぎながら叫ぶ。
ブランコ、シーソーの次はピンクの鼻も愛らしい(?)ゾウの滑り台。子供は元気だ。月に一度だけ会わせてもらえる娘のののかで慣れていると思っていたが、同い年でも男の子はやっぱり活発だな。
「ちょっと待って。おじさんといっしょに滑ろう」
この滑り台、ちょっと高さがあるので、俺の膝に乗せて一緒に滑ることにする。真ん中あたりでバンクしてるし。これくらいは一人で滑らせてもいいかとも思うが、夏樹は公園遊びに慣れてなさそうだしな。
公園の遊具は、最近ずいぶん減った。実際、この公園には鉄棒が無い。落ちて怪我でもしたら大変、ということらしい。ジャングルジムも、球形の回転遊具も無い。俺の子供の頃には皆そういう遊具で遊んでたもんだが。そりゃ、怪我もしたけど大したもんじゃなかった。子供ながら、危険の回避は出来たもんだ。
ジャングルジムは手でしっかり掴んで、足場を確保していないと落っこちるとか、回転遊具の軸に指を挟んだら危ないとか、ベンチ型ブランコの金具を下手に掴むと怪我するとか。
今の子供は知らない。知る機会がない。
それを教えるのが大人の役目なんだけどな、と俺は溜息をついてしまう。ただ、危険から遠ざけようとするばかりで・・・
「おじちゃん、どうしたの?」
滑り台のてっぺんで、夏樹が不思議そうに俺の顔を見上げる。
「いや、何でもないよ。ほら、おじさんの膝に乗ってみて」
俺は足を投げ出して座り、夏樹を座らせてその身体にしっかりと腕を回す。
「行くよ。それ!」
俺は夏樹を抱えたまま、一気に滑り台を滑り降りた。きゃー、と歓声を上げる子供。それからもう二回ほど一緒に滑ってから、最後にはひとりで滑らせてみることにした。
「おじちゃん、見ててね!」
「ああ。絶対に途中で足をついたらいけないよ。お尻と背中だけで滑るんだ」
「うん!」
にっこり手を振って、夏樹はひとりでゾウの鼻を滑り降りた。
「ひとりですべれたよ、おじちゃん。ぼく、すごい?」
「すごいすごい。でも、そろそろ休憩しようか」
「うん。たのしかった。サカバヤシのおじちゃんもいっしょにすべったらよかったのにね」
夏樹と手を繋いで、俺はサカバヤシの座っている桜の老木の木陰のベンチに戻ってきた。と、驚いたことに彼は眠っていた。はんぺんを抱えたまま。
クマのような大男が、大切そうに白い犬のぬいぐるみを抱いているの図・・・ ちょっと視覚の暴力かもしれない。しかしまあ、それはこの際おいておいて、俺は離れた場所から彼に声を掛けてみることにした。「全身戦闘モード」の男の寝起きが、ちょっと怖かったというのは内緒だ。
「あのー、サカバヤシさん? もしもーし?」
サカバヤシはぴくりともしない。熟睡しているのか? まさか。あんなに周囲の状態に過敏だった男が?
「ねー、サカバヤシのおじちゃーん」
俺の手からするりと抜け出して、夏樹が眠る男に駆け寄った。おい、危ないってば夏樹。桜の花びらにすらピリピリと反応していた相手に、そんなに無防備に近づいちゃ・・・
夏樹は無事に(?)サカバヤシに近寄り、その小さな手で膝をゆすった。
「こんなとこでねてると、かぜ引いちゃうよ?」
心配そうな子供の声に、銀縁眼鏡の奥のサカバヤシの目が、ぱちりと開いた。うわっ、夏樹危ない!
夏樹が跳ね飛ばされたら受け止めなければ! と構えていた俺は、拍子抜けした。つい一時間くらい前までの人間兵器状態が嘘のように、サカバヤシから殺気(?)のようなものが消えている。
「サカバヤシさん?」
「ああ・・・」
彼は夢から覚めたみたいに夏樹の顔を見つめていた。
「・・・もしかして、クールダウン、出来ましたか?」
「そう、みたいです・・・」
自分で自分にびっくりしたみたい、サカバヤシは答える。しかも、なんだか口調まで変わっているような?
「きっと、はんぺんのおかげだよ!」
夏樹はにこにこ笑い、サカバヤシの膝の上に乗ってしまった。わりと人見知りする子なのに、ここまで懐くのも珍しいな、と俺は密かに驚いていた。
「はんぺんだっこしてると、きもちいいでしょ? ぼく、はんぺんといるとむねがね、あったかくなるの」
サカバヤシはしばらく不思議そうに子供の顔を見つめていたが、次の瞬間、ひまわりの花のように破顔した。何かが吹っ切れたようなその笑顔は、とても明るかった。
「はんぺんを貸してくれて、ありがとうね、ぼうや。おじさん、とても心が軽くなったよ」
やはり、アニマルセラピーか。ぬいぐるみだけど。
俺は内心で驚いていた。はんぺん、恐るべし。
「なんかこの、もこもこしたのを抱きしめていたら、急に眠くなってきて・・・ どうやらそれで、極限の緊張状態からうまくフェイドアウト出来たみたいです」
サカバヤシは、俺に向かって言った。こんなこと、初めてです、と彼は小さく呟いた。
「・・・良かったじゃないですか」
俺は言った。
「きっと、それがあなたに合ったクールダウンの方法なんですよ」
「でも、いいトシをして恥ずかしいです・・・」
サカバヤシは夏樹の頭を撫でながら、恥ずかしそうに目を泳がせている。ちょうど風が吹いて、その鼻先を桜の花びらがかすめていった。しかし、もう彼はそれに過敏な反応は示さなかった。
「いいじゃありませんか。四六時中周囲に過敏に反応して神経を磨り減らすより、ぬいぐるみを抱っこしてリラックスする方が精神衛生上絶対にいいです」
「そうでしょうか」
「そうですよ!」
力強く頷いてみせる。サカバヤシの膝の上で、夏樹もうんうんと頷いていた。
「きょうから、はんぺんとサカバヤシのおじちゃんはおともだちね。ぼくとも、おともだちになってくれる?」
可愛い提案に、サカバヤシは照れたようにうなずいた。色白の頬が、桜色に染まっていたのが俺的にはキモカワイかったと言っておこう。
ふう。俺は息をついた。世の中には、どんな出会いが待ち受けているか分からない。クマなSPと小さな子供のツーショットを見ながら、俺はぼんやり考えた。
なあ、はんぺん。俺は心の中で話しかけた。命のないはずのぬいぐるみは、サカバヤシと夏樹のあいだに挟まれて、きょとんとしているように見える。
なあ、はんぺん。今日のお前は、ちょっとしたアドベンチャーだったな。
それ以来、休暇のたびにサカバヤシが夏樹にはんぺんを借りに来るようになったが、それはまた別の話。
さて、夏樹を助けてくれたお礼にと、事務所でサカバヤシに秘蔵のワインを振舞った時のこと。
「顔、真っ赤ですよ? 大丈夫ですか?」
本当に赤い。さくらんぼのように赤い。飲ませちゃいけなかったか? 俺は焦った。
「ぼく、実はあまりお酒に強くなくて・・・」
へらっと笑いながらサカバヤシは答える。話し方は戦闘モードの時とは完全に違う。実は二重人格だったのかと思うほど。
「あまり飲めないけど、好きなんです。これ、美味しいですね」
「それは良かったですけど・・・ 無理しないでくださいね。あ、チーズでもお腹に入れておいてください。少しはマシだと思います」
俺は慌てて冷蔵庫の奥からコンビニで買ったベビーチーズを出してきた。ショボイつまみだが、急なことなんだから仕方が無い。
「ありがとございます」
またにっこりと笑いながら、丁寧に礼を述べるサカバヤシ。
「ぼくの名前、酒と林で酒林なんです。それなのに、お酒に弱いなんて変ですよね」
そう言って、彼はにこにこにこにこ笑っていた。
遊び疲れた夏樹は、酒林の膝の上で眠っている。
と、ドアがノックされた。夏樹の父の芙蓉か、葵が迎えに来たのだろう。立ち上がってドアに向かいながら、いい一日だったな、と俺は思った。
明日も九官鳥のカンちゃんを探しに行かなければならないけど、な。
おわり。




