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第78話  ピンヒールでモンロー・ウォーク?

「あ!」


それで俺は閃いた。もしかして。いや、もしかしなくても。


「部屋を移って、変装しろっていう指示は、発信機を置いていかせるためだったのか!」


その問いに、友人はゆるくうなずいてみせる。


「ああ、変装ねぇ。たいそうな美女に化けたそうだね」


「人を化け狐みたいに……。言っておくけど、俺の趣味じゃないからな!」


あああ、あの時の情けない気分がまだぶすぶすと燻っている。思い出すとやり場のない怒りがこみ上げて、犬のように唸りたくなってくる。


両手をぐっと握り締めて恥辱の思い出に耐えている俺を見やり、友人が派手に吹き出した。こ、この野郎!


「君に衣装倒錯の趣味が無いことは知っているよ。だけど、メンバーの中にそのエキスパートがいたからねぇ。用意した衣装は、当然そのことを意識したものになったよ、うん」


くっ! 芙蓉め!


「まあ、実際彼の仕事は大したものだったよ。ハリウッド風特殊メイクを駆使しなくても、人は変身することが出来るという証明だねぇ」


「ってゆーか、見たのか、あんた……?」


俺は恐る恐る訊ねた。

友人はあの場にいたわけではないだろうが、もしかして……。


「もちろん見たよ、って言いたいところだけど、防犯カメラの映像じゃあね」


「防犯カメラ? そんなもん、どこに!」


この友人のことだから、俺のガードについていたという人に隠しカメラでも持たせたのかと思ったが、どうやらそうでは無かったらしい。それは良かったとしても、防犯カメラに残っているのか? 俺のあんな姿が……!


「そう興奮しないで。エレベーターとエレベーターホールだよ。あっても不思議ではないでしょ?」


「いや、不思議じゃないけど……」


その防犯カメラの映像、どうやって見たんだよ、と問い詰めたいが、この友人も<風見鶏>の同類。「まっとうでない」手段を講じたんだろう。


「あれには正直、降参したよ」


友人は遠い目をしている。


「長年のつき合いなのに、あの女性が君だとは、全く分からなかった……」


「いや、分からなくていいから!」


「うん。だからね、変装は大成功だった、って言いたいわけ。小さい子は元々服装で判断するしかないからともかく、あとの大人二人も見事に別人になってたねぇ」


一卵性の双生児にはとても見えなかったよ、と友人は言う。


そういえば。あいつら。芙蓉と葵。出来上がりは「他人」だった。空似ですらない、全くの他人。……どっちもハンサムだったけど。


「僕が凄いなと思ったのは、芙蓉が君に細いヒールの靴を履かせたことだよ」


「凄すぎるだろ! あいつ絶対趣味が悪いよ。半分くらい楽しんでたんじゃないのか?」


あんな危機的状況だったのに。

俺がまたもや思い出し怒り(?)をしていると、友人は首を横に振った。何でだ?


「すごく歩きにくかったでしょ?」


「ああ。あんなの履いて、ひとりで歩けないよ。女はよくあんなもん履いて階段登ったり出来るよな」


そういえば、別れた妻も踵の高い靴を好んで履いていた。彼女はあれで走っていることもあったっけ……。尊敬するところの多い女性だったけど、今、改めて尊敬するよ。うん。


友人はくすっと笑って「分かってないなぁ」と言う。

何が?


「だからだよ、彼が君にハイヒールを履かせたのは」


「へ?」


意味が分からない。何で歩きにくい靴なんか履かせるんだ? 靴は歩きやすい方がいいに決まってるだろ?


「ひとりで歩けないような靴を履いて、君はどうした? というか、歩くためにどうせざるを得なかった?」


「芙蓉につかまってたよ。しょうがないじゃないか」


あんな靴でも、慣れれば颯爽と歩けるのかもしれない、元妻のように。だけど、四つんばいから這い這いを経て、歩けるようになってこのかた、運動靴か紳士靴かサンダルかスニーカーか、そんなものしか履いたことのない男が、七センチだか八センチだかの細いヒールの靴をいきなり履かされて、まともに歩けるわけがない。


おっかなびっくり立ち上がり、試しに一歩踏み出した時、俺はいきなり足首を捻りそうになった。


「そう、それが狙いだよ。君は女装のエキスパートの手によって、見事に女を装っていた。だけど、仕草や歩き方は男でしょ? それじゃあオカマさんにしか見えないよ。でも、高い踵の靴を履かされた君は、よろよろするからどうしても誰かにすがらなければまともに歩けなかった」


その仕草が、君の女装を完璧なものにしたんだよ、と友人は言った。


「下手すると、いつ転ぶか、足を捻るか分からない。だから君は恐々と足を運ぶ、隣にいる誰かに支えられながら。それは事情を知らない者の目からすると、弱々しく庇護を誘う存在にしか見えなかったと思うなぁ。美人だったし」


げげ。


「君は下を向いてよろよろしていたし、具合の悪い女性が夫に支えられて立っているようにしか僕にも見えなかったよ。あるいは、引っ込み思案な女性?」


何だ、そりゃ。


「恥ずかしそうに俯き加減で、隣にいる夫にすがりついてるようにも見えたなぁ。苦手な人混みに耐えている可憐な人妻、みたいな」


ぎゃー、もう勘弁してくれ~!


「防犯カメラのだから映像はモノクロだったけど、あれを見て、僕は思ったね。芙蓉という男、なかなかやるじゃない、って」


友人は、しきりに芙蓉の仕事を褒め讃える。


「……」


そんな友人を横目に見つつ、俺は今すぐ走り出して部屋の窓を叩き割り、そこから虚空にダイビングして何もかも忘れたい気分になった。


が、俺の中の冷静な部分は、いちいち友人の言葉に頷いてもいたのだった。


確かに、女の服をただ着せられただけだったら、俺は変装には失敗してたと思う。歩き方、立ち居振る舞い、そういうものがいちいち男だからだ。


そういえば、芙蓉に聞いたんだっけか。

男は肩で、女は腰で歩く。それは意識してそうなるのではなく、男女の骨格の違いが自然にそういう動きを要求するのだということを。


だから、異性に化けようとする時は、骨格や筋肉の動きまでコントロールしなければならないのだと。──そんなこと、一朝一夕どころか、たったの数時間でマスター出来るはずがない。


そういう意味では、芙蓉が安定の悪いピンヒールを俺に履かせたのは、とても正しいことだったのだろう。


「女っぽく歩くためには、多少の演出も必要だってことだねぇ。あのマリリン・モンローだって、より色っぽく歩いてみせるためにヒールの片方を短くしていたというよ。そうすると足元が頼りなく、意図せずともヒップが大きく揺れることになる。それが“モンロー・ウォーク”の秘密だよ。知ってた?」


俺は力なく首を振った。

俺は知らないけど、きっと芙蓉は知っているだろう。


「うーんと。話を戻すと君たちの場合、惜しむらくは目立ちすぎたことなんだよねぇ……」


友人は何故か遠い目をしている。


「ど、どういう意味だよ?」


せっかく変装したのに、目立ちすぎって。

あ! うっかり忘れてたけど、そういえばあの時、エレベーターホールで<笑い仮面>に会ったんだった。やっぱり気づいたのか? 気づかれたのか? <笑い仮面>に!


恥を忍んだ俺の努力は、一体どうなるんだよ?


「目立ちすぎって。そのせいでわらいかめ、いや、高山にバレたのか? 俺たちの正体が?」


「それが、そうじゃないんだなぁ」


友人は否定する。


「高山は、多分、君たちの正体には気づかなかったはずだ。昇りのエレベーターで、彼がちょうど君たちのいるエレベーターホールに姿を現した時、さすがに君たちにつけた護衛たちは緊張したみたいだけど、それは杞憂に終わったよ」


「そ、そっか」


「君たちの変装には気づかなかったけど、君があのホテルに入ったことだけは例のGPSで特定していた。だから高山は先に手の者を遣って、自分も後からそこに乗り込んで来たんだ。もちろん彼一人じゃないよ。組織の人間や用心棒も一緒だった」


「もしあそこですぐに俺たちの正体がバレてたら、ヤバかった……?」


「ヤバかったねぇ。いくら僕の配下の護衛たちが有能だと言っても、無傷で助けられたかどうか。小さい子供もいたことだし、それはどうしても避けたくてね」


「う、うん……」


俺だって夏樹を危ない目に遭わせたくはない。その点においては友人と同感だ。


「だから、君たちの護衛はひとりだけ残すことにして、後の人員には急遽高山たちをマークさせることにしたんだよ」


それが間違いだったんだよねぇ、と友人は落ち込んだ様子を見せる。

間違いって……一体何なんだよ?


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□■□ 逃げる太陽シリーズ □■□
あっちの<俺>もこっちの<俺>も、<俺>はどこでも変わらない。
『俺は名無しの何でも屋! ~日常のちょっとしたご不便、お困りごとを地味に解決します~(旧題:何でも屋の<俺>の四季)』<俺>の平和な日常。長短いろいろ。
『古美術雑貨取扱店 慈恩堂奇譚』古道具屋、慈恩堂がらみの、ちょっと不思議なお話。
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