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第65話  リストラは人の心を殺す。

『兄さんは、頭の上から植木鉢が落ちてきても、何故か逸れて当たらないんだって。そんな時、ん? と振り返って背後を見回してることもあったらしいけど、視線が見当違いの方ばかり向いてるから、地面に落ちて割れた植木鉢にも気づかない。護衛の人はもう半笑いだったよ。彼らのそんな目撃談を聞いて、我が兄ながら、大物と讃えればいいのか、鈍感と笑えばいいのか』


え? 植木鉢? そんなことあったっけ?

あ、あるわけないじゃないか! そんな喜劇映画みたいなこと!


だけど……俺を護衛(?)してくれてた人が見たっていうんだから、本当のことなのかなぁ?


画面の中の弟は、何やら溜息をついている。何だよ、その呆れたような顔は! ムカつく! ふん、偉そうに。──もうこの世にいないくせにさ。


『義姉さんは、兄さんのスーツに不自然な汚れがついていたり、おかしな具合に破れたりしているのに気づいて、そこから兄さんの身に何かおかしなことが起こってるらしいって気づいたみたいで。だけど、当の本人はがのほほんとしてるから、聞いても無駄だろうと思って訊ねるのはやめたらしいよ』


そ、そんなことがあったのか……?

元妻は俺には何も言わなかった。それにしても、ひと言くらい「何かあったの?」って聞いてくれても良かったんじゃないか? 


いや、聞かれても、当時の俺には意味が分からなかっただろうな。「え? 何が?」とか答えてそう。どうせ俺は縁側で寝そべってる猫なみに危機感に欠けてるよ……。


『その代わり、義姉さんは俺に相談してきた。義姉さんは薄々勘付いていたんだと思うよ、兄さんがおかしな目に遭うようになったのは、俺の仕事のせいなんじゃないかって』


え? 元妻がそんなことを?


『そりゃ、義姉さんがそういう結論を出してもおかしくないと思うよ。だって、兄さん個人が誰かの恨みを買うわけがないもの。仕事はごく普通のサラリーマンだったから、社外の人間からそういった感情を向けられるような要素は無いしね』


う。俺はどうせしがないサラリーマンだったさ。営業にも行ったけど、後方支援の資料作りなんかの方が多かったから、社名を背負って取引先に乗り込むことなんてことも、多くはなかったしな。


『サラリーマンとひと口に言っても、部門によっては色々あるだろうけど、兄さんのいた部署はそんなんじゃなかったし、義姉さんはそういうことも考えて判断したんだと思うよ』


あー、そういえば、同じ学部で金融系に行ったやつ。顧客に刺されかけたとか言ってたっけ。逆恨みだっってぇのに。他にも、会社の法務部門の雑用(と、そいつは言っていた)をやってるやつも、夜道で待ち伏せされて危ない目に遭ったことがあるって聞いた。


だけど、そいつらはあんまり俺に詳しいことを教えてくれなかった。「お前の何も考えてなさそうな笑顔を見ると安らぐ~!」とか、「にこにこ酒を飲んでる先輩の楽しそうな顔にすっごく癒される……」とか、俺にはちっとも分からない理由でよく飲み会に誘ってくれたっけ。


妻がいたから、さすがに合コンみたいなのは遠慮したけど、男だけで飲むのも楽しかった。


リストラされてからすっかり彼らとも疎遠になったけど、やつら、どうしてるかなぁ……。


『義姉さん、とても心配してたよ。実は俺、責められた。でもね、本当は俺のせいじゃないってことも、よく分かってくれていた。俺を責めたのは、ただ、不安な気持ちの持って行き場が無かったからだと思う』


それって、俺が頼りないっていうか、不甲斐ないっていうか……。


「俺、すっごく情けない夫だったみたいじゃないか──」


事実、そうだったのかもしれないけど、改めて事実を知らされた今、心の中に木枯らしが吹いたような気がした。──夏なのに。


『兄さんのせいでも、もちろんない。だからよけいに義姉さんは辛かったんだと思う』


「……」


俺は黙り込んだ。


『実は、義姉さんとののかにも護衛はついてたんだよ。彼が先回りして手配してくれたんだ。不穏な動きもあったし……ののかがまだ幼稚園前で良かったよ。下手したら、あの子が誘拐される可能性もあったからね』


「ののかが……?」


それを聞いて、俺は口の中がカラカラになった。

俺はどうなってもいい。けど、ののかが危ない目に遭うなんて絶対嫌だ!


『義姉さんには、家族全員に護衛がついてることを説明した。外出する時はもちろん、家にいる時もね。それでかなり安心してもらえたと思う。それでも義姉さんは、兄さんのことを心配してたよ。だってさ、いくら護衛がついてたって、本人にまったく危機感が無いんだもの』


俺はどうでもいいんだよ! ののか、ののかが……!


『ののかの方は大丈夫だよ。義姉さんが絶対目を離さなかったし、ガードも厳しくしてたし。誘拐なんて言って怖がらせたけど、兄さんの方が危なかったんだよ』


実際、あの子は今も元気だろう? 多分。

弟はそう言って、笑った。


まあ、確かにそうだ。俺は大きく息を吐いた。ののかは何事もなく、今も健やかに育っている。


覚えている限り、あの子の笑顔が本当の意味で曇ったことはない。ただ、弟が死んだ時は、幼いなりに何かを感じたのだろうか。しばらくは情緒不安定になっていた。「パパと同じ顔の叔父ちゃん、どこへ行ったの?」そう何度も聞かれたが、俺は答えられなかった。


……あの時は辛かった。ののかは弟にも懐いていたからなぁ。


次にあの子に悲しい顔をさせたのは、俺だ。妻との離婚が成立した時、これからはもうパパとは毎日会えなくなるんだと説明すると、イヤイヤといつまでもぐずって泣いた。


父親失格だな……。


妻も、ののかも愛していた。それは天地神明に誓える。けれど、愛していれば愛しているほど、一緒にいるのが辛かった。リストラされて、自分には何の価値もないような気がして、それでも家族を守ろうと必死で。そして、壊れかけた。


妻が離婚という形で俺を解放してくれなかったら、どうなっていただろう。とにかく、俺は自分のことだけで手一杯になっていた。そんな時に、危ない組織に付け狙われていたなんて。


妻はどれほど不安だっただろう。


『義姉さんは、強い人だよ』


弟は言った。


『だから、兄さんの精神状態と現実の危機を考えて、兄さんと距離を置くことに──離婚することに決めたと言っていた』


「距離って……」


『だって兄さん、本当に何度も何度も危険な目に遭ってたんだよ? それに気付かないくらいだもの。いくら鈍いっていったって、普通なら何かおかしいなくらい気付かなきゃ嘘だ。それなのに──周囲が見えないくらい、リストラに参ってたんだろうね』


俺は、なんて無様な人間なんだろう……。独りよがりな悩みに囚われ、周囲が完全に見えなくなっていたのか。


「くっ……」


俺は呻き、唇を噛んだ。これ以上情けない声を上げないように。


『あ、暗くならなくていいよ、兄さん。兄さんなら、どうせ悩みが無くても自然体で危険に気付かないだろうって義姉さんも言ってた。俺もそう思う』


自然体って何だよ。俺がニブいって言いたいのか、二人して。……人がシリアスに悩んでいるっていうのに。


だけど、ここ数日俺の身辺を見守ってたっていう芙蓉と葵も、同じようなこと言ってたな。尾行されてても全然気付いてなかったって。


双子の言ってた<ガーディアン>が、大学時代からの友人のあいつの手配によるものだなんて、思いつきもしなかった。


いや、護衛だかガーディアンだかに守られていることすら知らなかった俺は、やっぱりニブいというか、どんくさい、のか?


『義姉さんは、兄さんのそういうところが好きだって言ってたよ。あまりにも人の悪意に気付かないっていうか、気付かなさ過ぎるから、悪意を持ってる人間もだんだんバカらしくなるっていうか。人の悪意を無毒化出来るっていうのも、一種の才能なんだろうねぇ』


地上に降りた最後の天使かもね~、などと二人して盛り上がったと弟は笑った。緊迫した状況だっただろうに(俺は気づいてなかったけどさっ!)、何をしゃべってたんだ、こいつらは。


『だから、義姉さんは兄さんのことが嫌いで別れたわけじゃないんだ』


……知ってたさ、そんなこと。

彼女は、元妻は、やさしい女だった。そして聡くもあった。離婚は俺を思いやってのこと。それと──ののかを危険から遠ざけるため。なあ、そうなんだろう?


もし俺のとばっちりでののかに何かあったら、俺はリストラされた時とは比べ物にならないくらい、酷い精神状態になっただろうな。


正確には弟のとばっちりだけど……。それを知っていたとしても、俺には弟を切り捨てることなど出来なかっただろう。だって、俺たちはこの世でたった二人きりの兄弟だったんだ。


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□■□ 逃げる太陽シリーズ □■□
あっちの<俺>もこっちの<俺>も、<俺>はどこでも変わらない。
『俺は名無しの何でも屋! ~日常のちょっとしたご不便、お困りごとを地味に解決します~(旧題:何でも屋の<俺>の四季)』<俺>の平和な日常。長短いろいろ。
『古美術雑貨取扱店 慈恩堂奇譚』古道具屋、慈恩堂がらみの、ちょっと不思議なお話。
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