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第57話  デコピンでおあいこ。

十六歳で離れ離れになって、五年間。


芙蓉にしてみれば残してきた弟が気掛かりだっただろうし、葵にしてみれば前触れもなく兄が行方知れずになったのだから、ずっと心配していたのに違いない。


恐怖の<笑い仮面>こと高山父の手前、葵に会うどころか連絡すら出来なかった芙蓉。──二度と会えないかもしれなかったその双子の弟と、偶然とはいえ再会出来て、どんなにかうれしかったことだろう。


……それにしても、十六歳男子のプレゼントが何故マンボウ。

いや、まあ、趣味は人それぞれだろうけどさ。


それを訊ねると、葵が説明してくれた。


マンボウというのは、大きなものになると畳四畳ほどの大きさにもなるらしい。が、どんくさく、ぼーっと海流に運ばれるまま寒い海まで行ってしまい、凍死することもあるのだという。


その生存本能のトロいところが愛しい! と力説する葵……。


うん。そうだな。もし俺の弟が同じことを言っていたら、俺もピアスとは言わないが、キーホルダーくらいは買ってやるくらいしただろうか。


「葵君のこだわりは分かったから……」

俺はこめかみを押さえながら、実はマンボウおたくだったらしい葵の熱弁を遮った。そんな俺たちを、芙蓉は面白そうな笑みを浮かべて眺めている。智晴はといえば、ソファに座ったまま天井を見上げ、疲れたように腹の上で両手を組んでいた。


「聞きたいんだけど、芙蓉くんが葵くんにプレゼントしたそのマンボウピアス。小さい石がついているよね」


「うん。あのデザインは可愛いくていいなぁ」


好きなマンボウについて一頻り語った葵は、なんだかご機嫌だ。


「それなんだけど、君が大切に持っていたのは青い石のついたものだった。それで間違いはないか?」


「ブルートパーズだよ。それがどうかした?」


不思議そうに答えるのに、俺はさらに訊ねた。


「青いブルートパーズの代わりに、赤い石のついたものは持ってなかったかい?」


「赤い石?」


き、葵は首を振った。そのきょとんとした表情に、知らず、俺は渋面を浮かべていた。


それじゃあ、あれは何だったんだ? <笑い仮面>が俺に葵の行方探しを依頼をしてきた時(依頼自体がフェイクだったが)、「葵のベッドに落ちていたのを見つけた」と言って、俺に渡したあの赤い石のマンボウは?


「……君らの父親が俺に渡したんだよ、“行方不明”になった葵くんの遺留品だといって」


と、智晴がハッとしたように身を起こした。


「義兄さん! あの赤い石のマンボウ、今どこにありますか?」


「え……」


ムンクの名画『叫び』を髣髴とさせる、智晴の悲愴な声と表情。その迫力に気おされて、俺は一瞬言葉を失った。


もどかしそうに、智晴は再度同じことを訊ねてきた。

「赤い石の方のマンボウですよ。今、どこにありますか?」


ついてる石の色が違うだけの、二つのマンボウ。


一つは、偽の死体(キャスト:芙蓉)を見つけて逃げ出したあの日、俺のポケットに入っていた青い石のもの。


もう一つは、<笑い仮面>高山父から、「葵の部屋に残されていたもの」として預かった赤い石のもの。


えーと。その二つを、俺は小さな袋に入れてポケットに……。


「あ、服のポケットに入れたまま……」


「もしかして、今も持ってるんですか?」


俺の呟きに、卓球のカット並みの早さで智晴が問いを返す。


「いや、服を着替えた部屋に忘れてきた」


脱いだ服ごと、マンボウたちを忘れてきたと答えた途端、智晴は深く、深ぁく息をついた。


「な、何だよ、しょうがないだろ。あの時は慌ててたし、あんな格好させられたし、それに──」


そうだよ、生まれもつかぬ<美女>に変身させられたんだぞ、この俺が。男であることに、疑いを抱いたことなどこれまでの人生で一度もなかったというのに。


あ、言っとくけど、今だって別に疑ってないから! 


「今のは呆れたんじゃありません」


智晴は座っていたソファにだらしなく凭れた。その姿は、とても疲れているように見える。何故だ。


「じゃ、何だよ?」

「安堵の溜息です……」


智晴はまた大きく息をつき、こめかみを揉んでいる。何だ、そのたそがれ方は。俺より若いくせに。


「あなた、鈍すぎ」


芙蓉が言った。


「へ?」


智晴はそっぽを向いてしまったし、葵も微妙な表情をしている。

夏樹は……ぬいぐるみの<はんぺん>をぎゅっと抱きしめ、うとうととおねむだ。そうだよな、子供の身には、今日の出来事はハードすぎたよな。


<はんぺん>はでっかいぬいぐるみだから、それを抱いてれば風邪を引くことはないだろうが、ベッドに運んでやった方がいいんじゃないだろうか。


俺がそう提案しようとした時、芙蓉までもがわざとらしく溜息を吐きやがった。ホントに何だよ、失礼な。


「智晴さんに同情するよ。あのね、彼はこう言いたいわけ。父があなたに持たせた赤い石のマンボウには、発信機か何か、そういうものが仕込まれてたんじゃないかって」


「は、発信機?」


俺の間抜けな問いに、芙蓉は頷いた。


「そのせいで、俺たちの居所がバレたんじゃないか。彼はそう言いたいわけだよ」


頭の上に金盥が三つくらいゴンゴンゴンと落ちてきたような、俺はそんな衝撃を受けていた。頭が真っ白だ。


芙蓉の敵、あるいは<ヘカテ>組織を、俺が彼らの元に導いたっていうのか?


「お、俺がドジ踏んだのか……?」


無意識に、呟いていた。


俺のせいで、芙蓉や葵、それに何より夏樹が危険にさらされたっていうのか?


「……あなたが悪いんじゃないよ、多分」


慰めるように芙蓉が言う。しかし、その言葉に含まれるいたわりのニュアンスに、俺は気づくことが出来なかった。


“多分”悪くないのか。そうか。ってことは、悪い? うん、俺が悪いんだな。なんだか頭がグルグルしてくる。


「もうっ、そんな死にそうな顔しないでよ。俺と高山……父との確執やその他の事情を、あなたは何一つ知らなかったんだから、しょうがないでしょ?」


芙蓉が俺の肩をつかんでがっくんがっくん揺すってくる。


「でも……」


「義兄さん」


智晴の強い呼びかけに、俺はぼんやりとそちらに目を向けた。


「あなたが一度自分を責めだしたら、なかなかそこから抜け出せないのは知ってますよ」


俺の目をじっと見つめ、智晴は言葉を続ける。


だいたい、それであなたは姉さんと離婚したんだしね、と低く呟き、元義弟は溜息をついた。


「でもね、今回の件はあなたのせいじゃありません。だってあなたは知らなかった。僕だって、知らなかった。あの二つのマンボウについて語り合った時、僕たちはまだ高山親子の確執について、全く何も知らなかったんだから」


知らなかった。知らなかったけど。


……後から悔いるから、後悔っていうんだよな。最初から分かってたら失敗なんてしない。だけど──。


「知らないって、怖いことなんだな……」


下を向いて呟いたら、突然額に鋭い痛みが走った。


「痛っ! 何するんだよ!」


芙蓉がいきなりデコピンをかましてきたのだ。思わず睨みつけたが、涙目では迫力がないに違いない。


「痛かった? 良かったね。じゃ、そういうことで」


怒ったような声で、芙蓉が言う。それ、どういう意味?

謎の言葉にぼうっと考え込んでいると、葵が教えてくれた。


「今のは、あなたへの罰。といっても、別にあなたは何も悪くないんだけどね。ただ、気が済まないみたいだから芙蓉があなたにデコピンして、それでおあいこ、おしまいにしようよ、ってことだよ」


デコピンでおあいこ? デコピンでガチャピンとムック。意味不明。あー、結構痛いんだよな、本気でやられると。


ってゆーか、気を遣われてしまったのか? オジサンの俺が二十歳を過ぎたばかりの青年に。


しょぼーん。

だけど、もうこれ以上落ち込んでいるわけにもいかないよな。いつまでもそんなんじゃ、芙蓉や葵に失礼だ。それに、智晴にも。


「ありがとう」


俺は双子と智晴に頭を下げた。なんだか、少しだけ心が軽くなったような気がした。


「うん。俺がぼんやりしてたから利用されただけで、悪いのは高山だもんな」


「だから最初からそうだって言ってるじゃない」


芙蓉が答える。


「あなたときたら。楽天的なのか神経質なのか分からないよ。普段は能天気な人に見えるのになぁ。──ねえ、この人っていつもこうなの?」


芙蓉の問いは智晴に向けられている。おい、なんで智晴なんかに聞くんだよ?


「普段はとってもいい加減というか、ガサツな人なんですけどね。どうかすると地の底にめり込むくらい落ち込んじゃうから、扱いが難しいんです」


臆面もなく答える智晴。失礼なやつめ……覚えてろよ。

俺は心の中のデスノート(?)に元義弟の名前をしっかり刻み込んだ。


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□■□ 逃げる太陽シリーズ □■□
あっちの<俺>もこっちの<俺>も、<俺>はどこでも変わらない。
『俺は名無しの何でも屋! ~日常のちょっとしたご不便、お困りごとを地味に解決します~(旧題:何でも屋の<俺>の四季)』<俺>の平和な日常。長短いろいろ。
『古美術雑貨取扱店 慈恩堂奇譚』古道具屋、慈恩堂がらみの、ちょっと不思議なお話。
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