第56話 着メロは「ラバウル小唄」
「──知り合ったきっかけっていってもなぁ。あれって本当に偶然だから」
俺は口を開いた。
「ネットで犬猫探しに役立つ情報を集めてた時、パソコンがおかしくなったことがあるんだよ。その時に助けてもらったんだ」
智晴は呆れたように息を吐いた。
なんだよ、その「はぁ~」っていう力ない発声は。俺だって傷つくんだぞ、コラ。
「パソコンで困った時は、僕に連絡くださいって言ってあったでしょう? 本当にもう、機械オンチなんだから……」
悪いかっ! お前に迷惑は、って……かけまくってるか。スマン、智晴。
「お前はそう言うけどさ。ポップコーンがはじけるみたいに、ポンポン窓が開いて、挙句に画面が固まったんだぞ。そんなん初めてだったから、俺はパニクッて──」
つい後ろめたくて言い訳がましくなる俺。だからさ、大小の窓の中に映し出された、無数の同じ画像。アレをお前に見られたくなかったんだってば。
けど、言えない。ジレンマ。
「画面が固まった時は、三つのキーを同時に押して再起動してくださいね、ってシールを貼ってあげたでしょう?」
お説教するように腕を組んで、非難がましく俺を見つめる智晴。そういえばそうだった。けれど。
「とうの昔に剥がれた。で、そのまんまにしてた」
俺の言葉に、智晴はわざとらしく天を仰いでみせた。
「いや、だから。俺はその時何にも考えずに気ままにリンクを辿ったり、キーワード検索かけたりしてたわけだよ。その上で行き着いたサイトにだな、偶然俺のガーディアンが待ち構えているっていうのは、無理がありすぎないか?」
「それはそうかもしれませんけど……」
智晴も考え込んでいるようだ。
「ねえ」
それまで黙っていた葵が言った。
「直接本人に聞いてみたら? その方が早いじゃない」
「そ、そうかもしれないな」
俺は答えていた。けど……なんだかな。『あなたが俺の足長おじさんだったんですか?』って聞くような感じで、それはそれでこっぱずかしいような気がする。
うーん、足長おじさんより、黄金バットの方がマシかな?
バカなことを考えてるなぁ、俺。ヒロインじゃねーっつーの。
などと心の中でひとりボケツッコミをやっていると、芙蓉がこっちを見た。ぎくっ。
「じゃあ早く聞いてみてよ」
そう言って、さっき着替えた時テーブルに置いた携帯を目で示す。俺はホッとした。心の中の声が聞こえるわけないよな。
つまらないことを考えて焦ったことはおくびにも出さず、俺は双子に首を振ってみせた。
「聞きたくても、この携帯から連絡は取れない。あっちからはいつでも電話なりメールなり送ってくるけど、リダイヤルも返信も出来ないんだ。こっちからも連絡取れなくはないけど、この携帯では無理だ」
そう。事務所に置いてあるあのパソコンからでないと<風見鶏>とコンタクトは取れないはずだ。あいぴーあどれす? とかいうものがどうのこうの、と聞いたことがあるが、そんなん俺に分かるわけない。
無理だ、という俺の言葉に智晴は頷いている。多分智晴も自分の方から彼とコンタクトを取れないんだろう。……今更だが、<風見鶏>ってちょっと不気味な人?
その時、俺の携帯がいきなり『ラバウル小唄』を奏で始めた。……<風見鶏>だな。どうやって俺の携帯の着メロ変えてるんだ。ってゆーか、何で『ラバウル小唄』?
ますます分からん、<風見鶏>。
しかも、着うた。
さ~ら~ばラバ○ルよ~♪
……昔、子供の頃、近所のおじいさんが縁側で猫を撫でながら歌っていたのを覚えているが、しかし。これが携帯の着信だと思うと何か力がぬける。……<風見鶏>って実は戦時中の人なんだろうか。幾つだ。
また来るま~では~♪
はいはい、しばし別れの涙も滲みますね、と思いながら携帯に出た。知り合ってからはずっとチャットかメールでしか接触したことなかったのに、本日二回目の会話。一体何がどうしたんだろう。
──ああ、そうだよな。今日はウン十年生きてて、初めて女装したくらいだからなぁ……。俺はひとり乾いた笑みをもらした。
『ご機嫌だな?』
「そういうわけじゃないよ。ただ、あんたの選曲がさ」
『なかなかいいだろう、ラバウル小唄』
「実はリアルタイムであの歌を歌っていたのか?」
俺の問いに、<風見鶏>はくすくす笑った。
『そうだったらどうする?』
「マモーって読んでやるよ。──なあ、何か用があって電話してきたんだろ?」
『そろそろ君たちの積もる話も終わった頃かと思ってね』
「そんな気遣いいらないから。なあ、俺たちはいつまでここにこもってなきゃいけないんだ?」
『それなんだけど、今は全員そこから出ないで欲しい。身の安全を保障できないから』
なんだ、それ。
「そんなに危ないのか、俺たち? 俺も、芙蓉も葵も夏樹も、ついでに智晴も?」
『危ないよ』
「理由を教えてくれよ」
『今はダメ』
<風見鶏>は淡々と答える。
『でも、もうじき話せるようになると思う。少なくとも、今夜だけは皆その部屋に泊まってほしいんだ』
むう。俺は唸った。
この部屋から出てはいけない理由を教えてほしいのに。だけど、<風見鶏>は今以上のことを話してはくれないだろう。
「分かったよ。俺たちは今夜、この部屋から出ない」
『そう願うよ』
「代わりに、これだけは教えてほしい。俺の弟が死んでから俺を護ってくれていたガーディアンって、もしかしてあんただったのか?」
耳元で、くくく、と笑う声が聞こえた。
『ガーディアン? 私が君の?』
「どうなんだ? 答えてくれ」
しばらく、風がささやくような忍び笑いが聞こえていた。
何だよ、<風見鶏>め。どんな顔で笑ってるんだ? ああ、顔が見えたら。
『月の魚は、太陽と月のどちらが好きだと思う?』
「え?」
『このなぞなぞが解けたら教えてあげるよ。それじゃ』
プツン。通話は一方的に切れてしまった。
「なぞなぞって何だよ、なぞなぞって……」
呟き、俺は手の中の携帯のバックライトをじっと見つめた。
「答えてもらえなかったの?」
芙蓉が聞いてきた。俺は力なく頷く。
「なあ、芙蓉」
「何?」
今はしっかり男に見える双子の片割れに、俺は訊ねた。あの時は女にしか見えなかったけど。
「あの店、<サンフィッシュ>で会った時、去り際に意味深な言葉を残していったよな」
「意味深な言葉?」
こいつはもう忘れてやがるのか。俺は心の中で悪態をついた。
「『太陽の魚は、お日様が好きだと思う?』あの時、君はそう言った。あれはどういう意味だったんだ?」
「それが今の通話と関係あるの?」
不思議そうな顔。それで確信が持てた。こいつ、やっぱり<風見鶏>とは全然接触してないんだな。
「『月の魚は、太陽と月のどちらが好きだと思う?』<風見鶏>はそう言った」
「……」
芙蓉はかすかに眉をしかめた。
「太陽の魚、なら分かるけど」
芙蓉は訝しげに首をかしげる。
「オーシャン・サンフィッシュ。マンボウのことだよ」
マンボウ……オーシャン・サンフィッシュ……?
「そういえば」
俺は思い出した。微妙にリアルなのがキモカワな、あのとぼけたおちょぼ口。
ああ、まだほんの一日、二日のことなのに、もう何ヶ月も前のことのように思える。
「なあ、あのマンボウは何だったんだ? マンボウのピアス」
葵は不思議そうに、ピアス? と呟いてから、ああ、と頷いた。
「あの日、あなたのポケットに忍ばせておいたあれのこと?」
葵が答える。俺は無言で頷いた。
「えーと。あれはなんというか、あなたの興味を惹くためだけのものだったんだ。モノは何でも良かった」
「何でも良かったって……」
俺は絶句した。
なぜマンボウなのか、なぜ石の色が違うのか。
智晴と一緒になってあんなに頭を悩ませたのに。
脱力しながら無意識に智晴を見ると、元義弟も苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「だ、だけどさ」
大学での聞き込みを思い出し、俺は葵の方を見やった。
「ずっと身に着けてたものだったんだろ? あのマンボウ。どう見ても君の雰囲気に合わないのに、あれ以外のピアスをつけてるのを見たことがないと聞いているぞ」
もっとオシャレなのをつけた方がいいって言ってたぞ。おい。
「うん。でもあれは芙蓉がくれたものだったからさ。いつか絶対会えると思って願掛けしてたんだよ。そしたら本当に会えたから」
そう言って、葵は微笑む。その弟の言葉に、芙蓉は照れたようにぼそぼそと呟いた。
「偶然再会出来た時も、葵はあのマンボウをつけてくれていた。昔行った水族館で、ネタで買ったものだったのに。正直、うれしかったよ。突然居なくなった俺のこと、恨むでもなく心配してくれて、ずっと大切に思ってくれてたんだと思うと、……涙が出るほどうれしかった」
「芙蓉……」
「あはは、何だか俺らしくないよね」
くすくす笑い、芙蓉はわざと乱暴に弟の頭をくしゃくしゃと混ぜた。
やめてよと言いながらも、葵は兄の好きなようにさせている。
「仲がいいですね、本当に」
そっと智晴が呟くのが聞こえた。




