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第53話  腐った瘴気が洩れてます。

回想から覚めた俺は、ぼんやりと芙蓉の顔を眺めた。在りし日の弟とのやり取りを噛み締めているのか、芙蓉はどこか辛そうな表情をしている。


「……人間の尊厳も命の繋がりも、ドラッグが根こそぎ破壊し尽した例を、あいつは知っていたからな」


気がつけば、俺はぽつりとそんなことを呟いていた。低い声でもちゃんとそれが聞こえたのだろう、芙蓉ははっとこちらを見た。が、俺の表情に何を感じたのか、それがどういう意味なのか訊ねてはこなかった。


ひとつ息をつき、芙蓉は話を再開する。


「あの人は、いつも言っていた。自分を大切にしろって。自分を大切に思うなら、変なドラッグに手を出そうとは思わないはずだって」


夜の街にしか居場所を見つけられない子供たちは、自分に自信を持つことが出来ない。ただただ卑屈になり、傷つきたくない一心で自分の殻に閉じこもり、上っ面のつき合いだけで、「友だち」と繋がっていると信じたがる。


だが、それではいつまで経っても自分を好きになることが出来ないし、自分を好きになれなければ、本当の意味での友だちも作ることは出来ない。


「ろくに返事も返ってこないのに、マメに子供たちに声を掛けていたあの人は、自分を諦めてただ刹那的に生きている子供たちに、『君たちは自分で気づいていないかもしれないが、本当はそれぞれに価値があるんだ。そのことに気づいてほしい』って言いたかったんだと思う」


いつも子供たちを見つめていたから、あの人はいち早く気づくことが出来たんだろう、彼らを蝕みつつあるドラッグの存在に。


芙蓉はそう言った。


「あの人が単独で<ヘカテ>の捜査をしていたこと、リアルタイムで知ってたわけじゃない。さっきも言ったとおり、その頃俺はまだ子供だったからね。だからこれは、後から調べて分かったことだ」


ニュースソースは教えられないけどね、と芙蓉は牽制するように智晴を見つめた。


「警察内部に、あのドラッグ組織に関係してる者がいるよ。だから、いくらあの人が捜査結果を添えて上に報告しても、途中で握りつぶされて……結果、あんな死に方をすることになった」


「……彼は口封じのために殺されたと?」


ゆっくりと、確認するように智晴が問う。


「ヤクザの抗争に巻き込まれたという警察発表は、表向きの方便だったと、そういうことですか?」


それを肯定するように、芙蓉ははっきりと頷いた。


「でも、警察ぐるみということはないと思うよ。時期的に抗争なんてなかったわけだし、一般の警察署員からすると、彼を殺したのがヤクザの鉄砲玉だと断定するのは、ちょっと苦しいんじゃないかというのが本当のところなんだ。だから結局、あれは単なる行きずりの犯行だったんじゃないかということに落ち着いている」


私服で巡回に出ては、無茶をやる若いやつらに注意したり、積極的に声を掛けたりしていたから、彼が警察官だということはわりに知られていた。そういうところから何か個人的に恨みを買うことがあったんじゃないかと、一応の捜査はされたようだ、と芙蓉は言う。


「でも、めぼしい容疑者は見つからなかった。手口がヤクザっぽかったことから、便宜上、何らかの抗争のとばっちりを喰らったんだということにされてしまったけど、警察内部に巣食っている<ヘカテ>組織内通者は、その真相を知っているはずだ」


彼が、核心に近づきすぎたということを。


芙蓉の言葉に、智晴は何事かを考え込むようにしばらくのあいだ沈黙していた。ややあって顔を上げた智晴の目は、なぜか俺に注がれている。


「義兄さんが何者かに狙われている原因が、彼の死にあるということはつまり、彼の兄である義兄さんが、『何か』を知っていると、そいつらに思われているということですか……」


すごい、智晴。俺なんか芙蓉に説明されるまで全然分からなかったのに。

俺は、ちょっと尊敬の目でこの元義弟を見つめてしまった。


「この人は本当に何も知らないみたいだけどね」


芙蓉はちらりと俺を見た。


何だよ、悪いかよ。

俺は不貞腐れた。


だいたい、あいつが俺に何も言わなかったのが悪いんじゃないか。この世にたった二人の兄弟なのに、もうちょっと俺を頼ってくれたって、さ。いや、まあ実際頼りない兄だったかもしれないけど、話を聞くくらいは……。


なんてな。分かってるよ、あいつは公務員の守秘義務を守っていただけなんだ。それにきっと、俺を巻き込みたくなかったんだと思う。特に<ヘカテ>の件に関しては。


まあ、結局巻き込まれてるわけだけど。芙蓉の言葉を信ずるとすれば、弟は自分が殺される前からそうなることを予測していたことになる。──俺に<ガーディアン>がついているなんて。


「あの人を殺したやつらは、あの人の捜査資料を兄であるこの人が持っていると考えている。署内に遺されたあの人の私物や寮の部屋をいくら漁っても、それらしきものを見つけられなかったからね」


だから、表向きはヤクザの抗争に巻き込まれたとされたあの事件の直後から、この人は狙われている……。そう言って、芙蓉は俺を見た。


「やつらは、隙あらばこの人をどこかに拉致して、その資料の在り処を吐かせようとしている」


ぞぞっ。そんな恐ろしいことをさらっと言ってくれるなよ、芙蓉。もっとこう、ソフトな表現はないのか? 俺が顔を引き攣らせていると、おもむろに智晴が口を開いた。


「……義兄さんは誰かに守られている、とも言ったね。そのことに関しても、君たちは何か掴んでいるんですか?」


ここで、芙蓉は考え込むようにいったん黙り込んだ。


「この人には<ガーディアン>がついている。それは確かだ。でも、その正体となると、<ヘカテ>犯罪組織よりも掴みどころがない。分かるのは、かなり有能だっていうことだけ」


それに、とまた芙蓉を俺をちらりと見た。


「この人はともかく、あなたですら長い間その存在に気づかなかったわけでしょう? それって、かなりレベルの高い護衛だと思わない?」


芙蓉、それって実は逆説的に智晴のことを評価してる?

智晴は智晴でさらりと受け止めてちゃってるよ。 


お前らは二人して俺がニブイと言いたいのか? あーん?


……確かに鈍いけどさ。


「正体は分からないというけれど……その護衛というか用心棒というかを、義兄さんにつけるに至った動機は? またその動機を持った人物は? そのあたり、君はどう考えてるんです?」


試すような瞳で、智晴は芙蓉を見る。


「その動機を持っていたのは、この人の弟さん自身──」


ゆっくりと、芙蓉は答えた。


「あるいは、彼の捜査上のパートナーというか、協力者だ」


智晴はひょい、と首を傾げてから、納得したように頷いた。


「つまり、彼は<ヘカテ>の捜査を進めるうちに、身辺に危険を感じるようになっていた。そして、自分に何かあった場合、残された兄にまで累が及ぶ可能性に思い至った。この人に護衛をつけることにした動機はそれだと、君は考えているということですね?」


「あの人は、自分がいずれ殺されることになると、知ってたんじゃないかと俺は思ってる」


だから彼は捜査資料をどこかに隠したんだ。

芙蓉は言った。


「何度も上に資料を提出したのに、その都度うやむやにされ、挙句に捜査を止めるよう圧力をかけられ……。そういったことから、彼は警察内部に組織の内通者がいると、確信したんだと思う」


実際、いるんだけどね、と芙蓉は呟く。


「現時点で、君はその内通者を特定してるんですか?」


「いや」


芙蓉は首を振った。


「個人を特定することは、まだ出来ていない。ただ……うん、そうだな。こう言えばいいか」


どこから漏れてるのか分からなくても、ガスが漏れていることは分かる。


「瘴気みたいなものかな。調べているとぷんぷん臭うんだ。あの人の所属していた所轄署のどこかから、確かにそれが漂ってくる」


しょ、瘴気って。漫画でいうおどろ線みたいなものか?

俺は慄いた。


そういうのであの警察署の建物が覆われているというのか、芙蓉。何か呪われてそうで怖いじゃないか。


俺がつまらないことを想像してぐるぐるしていると、智晴が過激に言い放った。


「ガスならば、火をつけてみればいい」


「ひ?」


思わず問い直した俺の顔を、智晴は呆れたように眺める。


「義兄さん、力がぬけるからそこで区切るのはやめてください」


「だけど、火って火?」


何する気だ、智晴。放火は犯罪だぞ。


そういう意味ではないのだと分かっていても、過激発言についオタオタしてしまう。が、そんな俺をきれいに無視して、芙蓉が訊ねていた。


「つまり、こっちから仕掛けるってこと?」


「ええ。でも、それは今思いついたこと。その前に、僕の知らない事情をもう少し説明してもらわなくてはね」


怖い提案をしておいて、智晴は冷静に先を促した。

 

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□■□ 逃げる太陽シリーズ □■□
あっちの<俺>もこっちの<俺>も、<俺>はどこでも変わらない。
『俺は名無しの何でも屋! ~日常のちょっとしたご不便、お困りごとを地味に解決します~(旧題:何でも屋の<俺>の四季)』<俺>の平和な日常。長短いろいろ。
『古美術雑貨取扱店 慈恩堂奇譚』古道具屋、慈恩堂がらみの、ちょっと不思議なお話。
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